【角川『俳句』7月号より③】
〈作品12句『塩飽屋』安部元気〉
・若布もむひとつかみづつ塩振つて
…景が見えます。作業の手順も分かります。
ただ他の表現の可能性もあるように思います。
例えば「ひとつかみづつ」を「束ごと」に、「振る」を「まぶす」とすれば、「束ごとに若布に塩をまぶし揉む」、「塩まぶし若布揉むなり(揉みたり)束ごとに」となり、風土性も匂うように感じます。
〈作品12句『赫々と』渡辺純枝〉
・根つめて煮る筍や甲斐の雨
…句意は分かります。ただ「根つめて煮る筍」はあまり美味しそうと感じません。とろ火ゆっくり煮る方が情緒がありそうです。
例えば、オノマトペ「くらくらと」を用い、「甲斐の雨」は「甲斐は(に)雨」「雨の甲斐」としてみると、「くらくらと筍煮るや甲斐は雨」、「筍(笋;たかんな)をくらくら煮るや甲斐は雨」となり、室内の暗さと筍の白さのコントラストも定かになるかと思います。
〈作品12句『ひと騒ぎ』野中亮介〉
・料峭や漬物石に母の意地
…句意は分かりますが、季語にやや動揺性を感じます。
〈作品12句『跳躍』西宮舞〉
・白き花多き六月嫁御寮
…確かに六月は白い花が目立ちます。単なるジューンブライドではなく、本家の「嫁迎え」のようです。下五の「嫁御寮」が効いています。言葉の選択が良く、俳諧味も感じられます。
〈作品12句『箱庭』上野一考〉
・包丁を研ぎ夏寒のけふ終(しま)ふ
…個人の体験として、夏でも刃物を研ぐ際にはうすら寒さを感じ、背中にひやりとした汗をかきます。手術で人体にメスを入れる時にも似て、呼吸も浅く静かです。
掲句にはそのような感覚を喚起されました。
〈日本の俳人 朝妻力〉
-新作7句-
(なし)(個人的に「美しい季語に美しい内容・措辞」という「美し過ぎる」俳句には抵抗を感じます)
-『息吹嶺』自選20句抄-
・大凶を引くこんな夜は根深汁
…俳諧味があり面白いと思います。「根深汁」から根の深い問題や闇の深さなどを連想させ、季語がよく合っています。
・あやふやな昼夜のあはひ河鹿鳴く
…河鹿は梅雨をはさんで夏の朝夕に鳴きます。梅雨明け前の夕べの景が浮かびます。
・書痴ひとり虫養ひの椎を炒る
…「椎」は「思惟」に通じるとする、伊藤伊那男氏の鑑賞に驚きました。
そう考えると面白いと思いますが、果たしてそこまで深読みすべきかどうかは分かりません。そもそも俳句は、他のものより読者に負担をかける文芸であると思うからです。
2013年6月27日木曜日
2013年6月26日水曜日
【角川『俳句』7月号より②】
〈俳人の時間 『横丁』小澤實〉
(なし)
〈作品 16句 『初鰹』大牧広 〉
・ていねいに焼けば目刺もよここびし
…確かに焦げた目刺はぞんざいな感じがします。個人的には、「擬人法」はリアリティーに欠けるきらいがあり、避けたいところです。
〈作品 16句 『この世』髙田正子 〉
・ひろびろと苗札ばかり立つところ
…「下萌」もさだかではない、黒褐色の土の上の「苗札」の白さが浮かびます。
やがては発芽が見られるでしょう。そこには季節を信じる心や祈りがあります。
そうは言っても、どこかでもどかしい気持もあるでしょう。
初春から仲春にかけての微妙な移ろいが滲みでています。
句作において「移ろい」を表現するのは難しいものです。
〈作品 8句 『知多・篠島』増成栗人〉
(なし)
〈作品 8句 『聖五月』松浦加古〉
(なし)
〈作品 8句 『白藤』雨宮きぬよ〉
・水に明け水に暮れたる残花かな
…やや淋しい景ですが、「春愁」や「暮の春」をも感じさせます。
あえて句中に季語を表記しなくても(無理な季重なりなど)、季節感は句中に滲み出てます。それは季語どうしに重なり合う部分があるからです。
もちろん、季語の本意・本情をよく理解しておくことが前提です。
〈作品 8句 『夏の日』鈴木太郎〉
(なし)
〈作品 8句 『風の十字路』古賀しぐれ〉
(なし
〈第47回蛇笏賞受賞第一作12句『光まぶしき』文挟夫佐恵〉
・青葉闇はや物の怪の潜みをり
…「物の怪」を否定的に捉えてはいない感じがします。いわゆるアニミズムでしょうか。
・わが挽歌たれ凌霄の花の揺れ
…「凌霄の花」は「夾竹桃」などと共に、戦争を喚起します。
戦争体験の色濃き作者にとっては、最後まで「戦争」の記憶とともに死を迎えたいという気持ちがあるのかも知れません。
蔓状の「凌霄」が揺れると、花弁どうしが擦れ合いかすかな音がします。
「挽歌」(音)と「凌霄の花の揺れ」(音)には無理がなく、しつこくもありません。
なかなか真似の出来ない巧さです。
〈私の宝物 新作5句『失はれゆくもの』加藤瑠璃子〉
(なし)
〈俳人の時間 『横丁』小澤實〉
(なし)
〈作品 16句 『初鰹』大牧広 〉
・ていねいに焼けば目刺もよここびし
…確かに焦げた目刺はぞんざいな感じがします。個人的には、「擬人法」はリアリティーに欠けるきらいがあり、避けたいところです。
〈作品 16句 『この世』髙田正子 〉
・ひろびろと苗札ばかり立つところ
…「下萌」もさだかではない、黒褐色の土の上の「苗札」の白さが浮かびます。
やがては発芽が見られるでしょう。そこには季節を信じる心や祈りがあります。
そうは言っても、どこかでもどかしい気持もあるでしょう。
初春から仲春にかけての微妙な移ろいが滲みでています。
句作において「移ろい」を表現するのは難しいものです。
〈作品 8句 『知多・篠島』増成栗人〉
(なし)
〈作品 8句 『聖五月』松浦加古〉
(なし)
〈作品 8句 『白藤』雨宮きぬよ〉
・水に明け水に暮れたる残花かな
…やや淋しい景ですが、「春愁」や「暮の春」をも感じさせます。
あえて句中に季語を表記しなくても(無理な季重なりなど)、季節感は句中に滲み出てます。それは季語どうしに重なり合う部分があるからです。
もちろん、季語の本意・本情をよく理解しておくことが前提です。
〈作品 8句 『夏の日』鈴木太郎〉
(なし)
〈作品 8句 『風の十字路』古賀しぐれ〉
(なし
〈第47回蛇笏賞受賞第一作12句『光まぶしき』文挟夫佐恵〉
・青葉闇はや物の怪の潜みをり
…「物の怪」を否定的に捉えてはいない感じがします。いわゆるアニミズムでしょうか。
・わが挽歌たれ凌霄の花の揺れ
…「凌霄の花」は「夾竹桃」などと共に、戦争を喚起します。
戦争体験の色濃き作者にとっては、最後まで「戦争」の記憶とともに死を迎えたいという気持ちがあるのかも知れません。
蔓状の「凌霄」が揺れると、花弁どうしが擦れ合いかすかな音がします。
「挽歌」(音)と「凌霄の花の揺れ」(音)には無理がなく、しつこくもありません。
なかなか真似の出来ない巧さです。
〈私の宝物 新作5句『失はれゆくもの』加藤瑠璃子〉
(なし)
2013年6月25日火曜日
【角川『俳句』7月号より①】
〈特別作品 50句『麦秋』大串章〉
・桑芽吹く山里に蚕屋見当たらず
…世の流れは早く、人の営みも泡沫の如し、という哀調の感がします。
・菜の花に囲まれ海女の墓小さし
…海女の墓は菜の花畑に埋れ、分け入らねば存在に気付かないかも知りません。
生前の海女の境遇が偲ばれます。菜の花はそうした海女への「救い」にも似た供花とも取れます。菜の花明りは、きらきらした海面の反射光に似ています。
・牛蛙夕闇重くなりにけり
…聴覚より夕闇の重さを認識しています。
和歌・連歌の頃より「蛙」は鳴き声を愛でるのが一般的です。「古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉」は、賛否は別として、特殊な例です。
・麦こがし古きシネマの味のせり
…麦こがしの匂い(嗅覚)、ぱさぱさした食感(触覚)、味(味覚)、そして懐かしさはモノクロームの名作に良く合っています。
ただ麦こがし自体に古さを感じるので、中七の「古き」は不要かと思います。
〈特別作品 21句『麦秋』三村純也〉
・涅槃図に遠近法のありやなし
…涅槃図に遠近法はありません。「涅槃図」という季語の捉え方や、下五の「ありやなし」という措辞には、俳諧味が感じられます。
・左手ですることいくつ鳥雲に
…思わず指を折って数えてみましたが、どうも漠とした気持になります。その感情と「鳥雲に」の取り合わせが良く合っています。
〈特別作品 21句『ある限り』神野紗希〉
・マリッジブルー屋根から雪の落ちる音
…雰囲気は分かりますが、どのように雪の音がしたのかという説明は必要かと思います。
・どの名前呼んでも寄ってくる子猫
…読む人によって印象が変わるかも知れません。素直に子猫の姿に可愛さを感じる人と、子猫は人格の欠如した人間の隠喩であり畜生(界)を感じる人と。
(屈折している)私は後者と読みます。
多面性を計算しつつ作句しているなら、完全に脱帽ものです。
・咲きたてのポピーしわしわ風の中
…「しわしわ」にリアリティーがあります。ここを飾ると平板で空疎な句となってしまいます。
掲句における「しわしわ」は決してネガティブなものではありませんが、読者には「しわしわ=萎えている」という固定化されたイメージがあるため、余計に「驚き」が生まれます。
『光まみれの蜂』の「まみれ」と同じく、俳句では適度な「俗」が全体を立体化し、より輝かせるものです。
〈特別作品 50句『麦秋』大串章〉
・桑芽吹く山里に蚕屋見当たらず
…世の流れは早く、人の営みも泡沫の如し、という哀調の感がします。
・菜の花に囲まれ海女の墓小さし
…海女の墓は菜の花畑に埋れ、分け入らねば存在に気付かないかも知りません。
生前の海女の境遇が偲ばれます。菜の花はそうした海女への「救い」にも似た供花とも取れます。菜の花明りは、きらきらした海面の反射光に似ています。
・牛蛙夕闇重くなりにけり
…聴覚より夕闇の重さを認識しています。
和歌・連歌の頃より「蛙」は鳴き声を愛でるのが一般的です。「古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉」は、賛否は別として、特殊な例です。
・麦こがし古きシネマの味のせり
…麦こがしの匂い(嗅覚)、ぱさぱさした食感(触覚)、味(味覚)、そして懐かしさはモノクロームの名作に良く合っています。
ただ麦こがし自体に古さを感じるので、中七の「古き」は不要かと思います。
〈特別作品 21句『麦秋』三村純也〉
・涅槃図に遠近法のありやなし
…涅槃図に遠近法はありません。「涅槃図」という季語の捉え方や、下五の「ありやなし」という措辞には、俳諧味が感じられます。
・左手ですることいくつ鳥雲に
…思わず指を折って数えてみましたが、どうも漠とした気持になります。その感情と「鳥雲に」の取り合わせが良く合っています。
〈特別作品 21句『ある限り』神野紗希〉
・マリッジブルー屋根から雪の落ちる音
…雰囲気は分かりますが、どのように雪の音がしたのかという説明は必要かと思います。
・どの名前呼んでも寄ってくる子猫
…読む人によって印象が変わるかも知れません。素直に子猫の姿に可愛さを感じる人と、子猫は人格の欠如した人間の隠喩であり畜生(界)を感じる人と。
(屈折している)私は後者と読みます。
多面性を計算しつつ作句しているなら、完全に脱帽ものです。
・咲きたてのポピーしわしわ風の中
…「しわしわ」にリアリティーがあります。ここを飾ると平板で空疎な句となってしまいます。
掲句における「しわしわ」は決してネガティブなものではありませんが、読者には「しわしわ=萎えている」という固定化されたイメージがあるため、余計に「驚き」が生まれます。
『光まみれの蜂』の「まみれ」と同じく、俳句では適度な「俗」が全体を立体化し、より輝かせるものです。
2013年6月24日月曜日
【小康—近詠5句】
ご迷惑をおかけしました。
4日間寝込んでいました。まだ全身倦怠感が強い状態です。
全く下らない近詠5句です。全く使えません。頭の切り替えにはなります。
最後の句は「純喫茶」と「スナック」の違いですが、お分かりでしょうか。答えは後ほど。
『「アミーゴ」と猛(たけし)』
純喫茶「アミーゴ」褥暑猛ゐて
「おやっさん」と叫(おら)ぶ猛や汗散らし
フェロモンか腋窩の汗か猛にほふ
革ジャンは猛の一部黴の花
似て非なる「アミーゴ」と「ゴン」虹淡し
大変失礼致しました。
純喫茶とスナックの違いは、アルコールの有無ではありません。
元来は純喫茶では「食事」を出していなかったそうです。それでもおつまみやサンドイッチなどの軽食はあったそうです。
純喫茶の方が酒の場だったようです。
これらの話は広島に来て、純喫茶(もはやなくなりましたが)の古参(失礼)のウェイトレスさんに聞いた話です。
昭和30年前後のメニューを見せて戴きましたが、コーヒー一杯が50円から60円に値上がりしていました。
「スナック」と言えば、現在は飲み屋を指すことが多いのですが、当時は食べる方が主であり、今の「喫茶店」に近いかと思います。
余談ですが、「キレンジャー」は純喫茶「アミーゴ」には縁がなく、スナック「ゴン」でカレーライスをたらふく食べていたことになります。
体調の管理に努めます。
ご迷惑をおかけしました。
4日間寝込んでいました。まだ全身倦怠感が強い状態です。
全く下らない近詠5句です。全く使えません。頭の切り替えにはなります。
最後の句は「純喫茶」と「スナック」の違いですが、お分かりでしょうか。答えは後ほど。
『「アミーゴ」と猛(たけし)』
純喫茶「アミーゴ」褥暑猛ゐて
「おやっさん」と叫(おら)ぶ猛や汗散らし
フェロモンか腋窩の汗か猛にほふ
革ジャンは猛の一部黴の花
似て非なる「アミーゴ」と「ゴン」虹淡し
大変失礼致しました。
純喫茶とスナックの違いは、アルコールの有無ではありません。
元来は純喫茶では「食事」を出していなかったそうです。それでもおつまみやサンドイッチなどの軽食はあったそうです。
純喫茶の方が酒の場だったようです。
これらの話は広島に来て、純喫茶(もはやなくなりましたが)の古参(失礼)のウェイトレスさんに聞いた話です。
昭和30年前後のメニューを見せて戴きましたが、コーヒー一杯が50円から60円に値上がりしていました。
「スナック」と言えば、現在は飲み屋を指すことが多いのですが、当時は食べる方が主であり、今の「喫茶店」に近いかと思います。
余談ですが、「キレンジャー」は純喫茶「アミーゴ」には縁がなく、スナック「ゴン」でカレーライスをたらふく食べていたことになります。
体調の管理に努めます。
2013年6月19日水曜日
【立ち止まる勇気】
荒梅雨です。
硝子戸を叩き付ける雨音を聞きながら惰眠を貪り、休日を過ごしました。
俳句を始めるにあたって、上達することが第一の目標です。
何も俳句に限らずどの芸術にもいえることです。
「上達する」とは、今の自分よりもう一段上の高みにおいて恒常性(ホメオスターシス)を維持することです。
上達するには努力を要しますが、問題はその「努力のしかた」です。
「努力のしかた」に個人差はあるでしょうが、合目的でない方法は勧められません。
出来るだけ効率の良い「努力のしかた」を選択していかねばなりません。
ひっきりなしに句会(所属結社以外の句会や仲間内でも)に参加する初学の方もおられますが、それだけで著しく上達した人を知りません。
名句を暗唱する、入門書、歳時記を読む、旧仮名・文語に慣れる、…これらを同時に行うことが求められます。特に歳時記は常に読む必要があります。
句会に参加すること自体は悪いことではありません。ただ本来の目標を見失うような方法では逆効果となる危険性があります。
強い「迷い」や「不安」を感じたら、時には「立ち止まる」勇気が必要です。
思い切って俳句から離れてみます。
離れてみると却って見えてくるものもあります。
自分と俳句や俳句界との関係などを俯瞰しつつ、俳句に踏み出した当初の思いなどに思いを馳せます。
しかしながらこれが出来ない方が少なくありません。
「迷い」や「不安」を掻き消すために、忙しそうに立ち回り、意識の外に追い出そうと必死の抵抗を試み、やがては己を正当化する殻を作ることで、恒常性(ホメオスターシス)を保とうとします。
こうした方の指導を受ける初学者は不幸です。
このことは一部の問題ではなく、俳句界全体に蔓延する「負の遺産・連鎖」と呼べる体質にも関係しているかと思います。
荒梅雨です。
硝子戸を叩き付ける雨音を聞きながら惰眠を貪り、休日を過ごしました。
俳句を始めるにあたって、上達することが第一の目標です。
何も俳句に限らずどの芸術にもいえることです。
「上達する」とは、今の自分よりもう一段上の高みにおいて恒常性(ホメオスターシス)を維持することです。
上達するには努力を要しますが、問題はその「努力のしかた」です。
「努力のしかた」に個人差はあるでしょうが、合目的でない方法は勧められません。
出来るだけ効率の良い「努力のしかた」を選択していかねばなりません。
ひっきりなしに句会(所属結社以外の句会や仲間内でも)に参加する初学の方もおられますが、それだけで著しく上達した人を知りません。
名句を暗唱する、入門書、歳時記を読む、旧仮名・文語に慣れる、…これらを同時に行うことが求められます。特に歳時記は常に読む必要があります。
句会に参加すること自体は悪いことではありません。ただ本来の目標を見失うような方法では逆効果となる危険性があります。
強い「迷い」や「不安」を感じたら、時には「立ち止まる」勇気が必要です。
思い切って俳句から離れてみます。
離れてみると却って見えてくるものもあります。
自分と俳句や俳句界との関係などを俯瞰しつつ、俳句に踏み出した当初の思いなどに思いを馳せます。
しかしながらこれが出来ない方が少なくありません。
「迷い」や「不安」を掻き消すために、忙しそうに立ち回り、意識の外に追い出そうと必死の抵抗を試み、やがては己を正当化する殻を作ることで、恒常性(ホメオスターシス)を保とうとします。
こうした方の指導を受ける初学者は不幸です。
このことは一部の問題ではなく、俳句界全体に蔓延する「負の遺産・連鎖」と呼べる体質にも関係しているかと思います。
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