2014年3月2日日曜日

【角川『俳句』3月号より⑤(終)】

〈Close Up 花谷和子句集『歌時計』〉
-新作5句『慈悲』-
(なし)

-『歌時計』自選20句抄-

・薔薇型のバターを崩すクリスマス

〈新鋭俳人 20句競詠『〇かXか』塩見恵介〉
(なし)

〈新鋭俳人 20句競詠『道問うて』音羽紅子〉

・雪原の足跡たどりつつ埋まり

・みな眠りストーブ青く燃ゆるなり

〈第2回 星野立子賞受賞作品『的皪』30句抄 西嶋あさ子〉

・この世また一日過ぐる桜かな

・ほとけさまなれど母の日ちらし寿司

・夏潮や帽深く征き十九歳

・木の葉髪むかしは髪を驕りけり

・葱坊主子を持たざれば子に泣かず

〈俳人スポットライト『闘鶏』坂口緑志〉
(なし)

〈俳人スポットライト『鳩と雀』江崎紀和子〉

・耳を貸すゆつくりマスク取りはずし

〈俳人スポットライト『蒸鯛』矢地由紀子〉
(なし)

〈俳人スポットライト『雪解風』上村敦子〉
(なし)

2014年2月28日金曜日

【角川『俳句』3月号より④】

〈新作5句『凍れ日釜石』高野ムツオ〉

・大寒の朝日を浴びよ我が遺体

・凍(しば)れ日のこれも花とか魚の腸

〈新作5句『釜石 震災三年』照井 翠〉
(なし)

〈日本の俳人100 藤木倶子句集『清韻』〉
-新作5句『虚空より』-

・忙殺の只中に座す寒さかな

-『清韻』自選20句抄-

・櫻貝流離の跡をとどめざり

・おきふしも旅のひととき櫻散る

〈今日の俳人 作品7句『寒星』小河洋二〉

・卵の殻するりと剥けて寒波来る

〈今日の俳人 作品7句『寒明くる』唐澤南海子〉

・鮟鱇の骨の浮きたる仕舞鍋

〈今日の俳人 作品7句『藍濃き日』小畑晴子〉
(なし)

〈今日の俳人 作品7句『聖樹の灯』中川雅雪〉

・泥水に顎浸しては蓮根掘る

〈今日の俳人 作品7句『季語』照屋眞理子〉
(なし)

〈今日の俳人 作品7句『鶏頭』植松紫魚〉

・枯蘆のひときは高き穂に光

2014年2月27日木曜日

【角川『俳句』3月号より③】

〈作品12句『冬銀河』栗田やすし〉

・父の墓訪へば湯呑に厚氷

〈作品12句『寒波』小林篤子〉
(なし)

〈作品12句『巡礼』澤 好摩〉

・激流の音のみがあり冬すみれ

〈作品12句『水祝ひ』山崎祐子〉

・年惜しむ筆の穂先をほぐしつつ

〈作品12句『てのひら』大石雄鬼〉
(なし)

〈作品12句『あやつる手』鴇田智哉〉

・背もたれを倒せば寒い野がひらく

2014年2月25日火曜日

【角川『俳句』3月号より②】

〈作品16句『水仙花』雨宮きぬよ〉

・我がこゑの我に後れる寒四郎

〈作品16句『雪晒』若井新一〉

・去る人の足の浮きたる雪解靄

〈作品8句『浄土』平井さち子〉

・煮こごりとなりてゐたりし昨日のこと

〈作品8句『襟足』阪本謙二〉

・一陽来復小物あふるる女の辺

〈作品8句『冬麗』松村多美〉

・身の軽くなるまで笑ふ着ぶくれ子

〈作品8句『六枚目』鳥居三朗〉

・棕櫚の葉のばさと今年の始まりぬ

〈作品8句『遠吠え』古田紀一〉

・賑やかき方(かた)へと返す冬木道

2014年2月24日月曜日

【角川『俳句』3月号より①】

〈特別作品50句『一觴』中原道夫〉

・撫牛に地金のひかり梅早し

・水ぬるむ散逸のもの聚まり来

一觴にくちびる厚し春ともし(觴は「さかづき」、熟語に「一觴一詠」

〈特別作品21句『湯島』岩岡中正〉

・みな佳き名もちて凍土となりにけり

・仰ぎては打たるるごとし島時雨

〈特別作品21句『火口』恩田侑布子〉

・白足袋の重心ひくく闇に在り

・春浅く白樺の皮火口とす

2014年2月18日火曜日

【鳥交る・獣交む・猫の恋】

「鳥交る」、「獣交む」の「交る」、「交む」という言葉自体に過剰に卑俗や羞恥心を感じる人もいます。
しかしそもそも俳諧・俳句は和歌・連歌とは異なり、多少なり「通俗」を詠むものです。

この傾向は女性(プロも含む)に多いかと思います。
俳句は大らかに詠みたいものです。

また若手作家に対抗すべく、ベテラン作家の最大の術(武器)はテクニックではなく、その「人生経験」です。これを出し惜しみすることはありません。

〈鳥交る〉
「囀」の例句は多いのですが、「鳥交る」では減ります。それでも「獣交む」より心理的抵抗が減るためか、数はあります。また傍題に「鳥の恋」、「鶴の舞」、「恋雀」などがあることも理由かも知れません。
「鳥」の中でも雀、鶴、鳶などの具体的な名称が見られます。

・身に余る翼をひろげ鳥交む               鷹羽狩行

…「鳥」としていますが、「(丹頂)鶴」のようです。内容の美しさと「鳥交む」の俗とよく調和しています。

〈獣交む〉
四足の哺乳類を獣としています。多くの獣の発情期は春です。

やや例外的ですが、「鹿」は晩秋です。
和歌や連歌では雅な「鹿の恋」(歳時記では明確な区別なく「鹿」に分類)は詠まれましたが、猫も含め他の獣は卑俗なものとして忌避されました。
それらが詠まれるようになるには俳諧の時代からです。

傍題に「種つけ」、「種馬」、「種牛」などがあり、利益のため人間が立ち会うことも含めています。代表格は競走馬や肉牛です。

余談ですが、人間の場合でも「種馬」と揶揄されることがあります。
映画『ロッキー』(主演:S.スタローン)のリング・コールは「イタリアの種馬・ロッキー・バルボア」です。事実、S.スタローンはポルノ男優でしたが…

・交尾してほぐれて街の犬となる             畠山汝破

…中七の「ほぐれて」の措辞が面白いですね。野良犬らしい景です。
上五「交尾して」はやや露骨であり、「まじはりて」、「つるみては」等でも良いかも知れません。

拙句にて失礼します。

鹿鳴いて山襞淡き月夜かな 
…「山襞淡き月夜」は感じたことがありますが、現実には鹿の鳴く声は聞いていません。あくまで想像の産物です。どうも「即き過ぎ」というか、美し過ぎて現実感に乏しい気がします。やはり偽物は必ずボロが出るものです。

〈猫の恋〉
・山国の暗すさまじや猫の恋               原 石鼎
・星はみな西へ下りゆく猫の恋              山口誓子
・恋の身をしなやかに階下りて猫             鷹羽狩行
・借りて来し猫なり恋も付いて来し            中原道夫

・猫の恋シャワー激しく使ひけり             中西夕紀

…三句目。妖艶な女性が洋館から下りてくるようです。最後に「猫」とし、タネ明かし的な「恋の猫」の句となっています。

四句目。諧謔。「借りてきた猫」というフレーズを巧みに使い、ここでも「恋の猫」という言葉を用いず、「恋の猫」を詠んでいます。

五句目。取り合わせ。「恋の猫」+「シャワー激しく使ひけり」。「恋の猫」という季語を用い、作者の心情を詠んでいます。

拙句にて失礼します。

惚れ症はさびしきがゆゑ猫の恋 …これも取り合わせです。街の女の心情です。
後の祭ですが、「惚れ症はさびしさゆゑよ」とした方が良かったかも知れません。

今日は午前中から右膝窩がむくみ、痛むため、応急的にマッサージをしました。
これからスポーツ・ジムの湯の中でゆっくりと下腿をほぐし、ストレッチをします。
年をとると、健康維持にもエネルギーを費やします。

2014年2月17日月曜日

【薄氷・鶯餅・蕨餅】

観梅し、旬の鮨を食って、久留米よ戻りました。

今日の早朝、空が白みかけた頃に梅林寺に行きましたが、まだ三分・四分咲きでした。
せめてあと3日、満開ならば今週末でしょうか。
ただ梅はやや控えめ(七分程)に咲くのが好ましく思います。

有馬朗人氏(父子)の句碑がありました。

・暁鐘の一打に梅の白さかな                有馬朗人

一読しただけではピンときません
「暁鐘の鐘」は梅林寺の伽藍(庫裡)の鐘でしょう。
禅寺の伽藍からの鐘の音に大気が引き締まり、梅の白さがいっそう引き立った、と解釈すべきでしょうか。
「かな」を「なほ」とすると分かり易くなりますが、平板となり全体の格調も落ちます。ただ「白さかな」を「真白さよ」としても良さそうな気はします。

さて、今日の話題(季語)として挙げるのは薄氷・鶯餅・蕨餅です。

〈薄氷〉
・ひるすぎて薄氷魞をはなれけり              水原秋桜子
・薄氷の岸を離るる光かな                 皆川播水

・薄氷の吹かれて端の重なれる               深見けん二

…秋桜子句は「薄氷の草を離るる汀かな 高浜虚子」より実感を感じます。

その他気になった句を…
・舌の根やときに薄氷ときに恋               池田澄子

…薄氷の冷たさ(湿り)と恋の熱さ(渇き)でしょうか。
「恋」でおさめていますから解釈の自由度はありますが、冒頭の「舌の根」という言葉からは肉感的なもの(具体的な恋の行為)を連想してしまいます。

〈鶯餅〉
首ねつこやんはりつかみ鶯餅               檜 紀代

…「鶯餅」を「鶯」に見立てています。
「鶯餅の首やんはりとつかみけり」や「やんはりと鶯餅の首つかむ(み)」でも良さそうな気はします。
ただ「首」ではなく「首根つこ」とすることで「鶯」だけでなく、猫などの動物も連想させようとしているのかも知れません。

〈蕨餅〉
・俳人も小粒になりぬわらび餅               加藤郁乎

…手厳しいですね。反論出来ない俳人も情けない話です。

「蕨餅」は初春の季語ですが、実は今一つ腑に落ちないところがあります。

私の幼少期、「蕨餅」は夏の(涼感のある)駄菓子の一つでした。
「蕨餅屋さん」が風鈴を結わえたリアカーを曳きながら商いをし、子供らは風鈴の音をたよりにリアカーを追いかけました。

今ではコンビニエンスストアでも安易に「蕨餅」は買えます。ただ今の「蕨餅」は昔と異なる上品な味になったと感じます。
私の母も同意見ですが、あの頃の「雑味の多い」蕨餅に郷愁を覚えます。

2014年2月16日日曜日

【寒明・雨水・春光・春の雷】

う〜む…どうも二日酔いならぬ三日酔いのようです。
自慢にもなりませんが、過去には四日酔いがあります。

スポーツ・ジムに行くにはまだコンディションが悪いようです。

精神的緊張が長期に高まるのも、弛緩した生活を送るのも、どちらも精神衛生上良くありませんが、この両極の間をバランスを取りながら一生を送るのもまた難儀です。

自室でも湯槽でほぼ毎日下半身浴を数回しています。湯の中で特に右下腿のマッサージをします。確かに血行が良くなります。最近では入浴剤にも関心が向いています。
自室の湯槽に入るのはまさに20数年以来です。
怪我の功名でしょうか。

歳時記を読んでいました。「寒明」「雨水」「春光」「春の雷」…

気になった例句です。

〈寒明〉
・六十の寒が明けたる許りなり            高浜虚子
・けものらの耳さんかくに寒明けぬ          三橋鷹女

・寒明や野山の色の自ラ               青木月斗

…上二句は「立春」との違いが明確です。三句目は「立春」に置き換えることもできそうですが、「野山」の勢いを詳細にしないことにより、うまく「寒明」を使えています。

〈雨水〉
・藻を焼いて浜の煙れる雨水かな           棚山波朗

…「雨水」は二十四節気の一つですが、「雨水」という言葉に「雨」「水」とあり、一句においてはそれらを直接的に書くより間接的に書く方が有効と思われます。「(焼く)藻」「(煙れる)浜」がそれに当たります。
このことは他の季語でもいえます。

また「時候」を詠む場合であれば、それ以外の項(天文・地理・人事・動物・植物)や五感(視・聴・嗅・味・触)の組み合わせにより(単純計算で25通り)、一句を成立させる選択肢は増えてきます。

〈春光〉
・春光や白猫に透く肉の色              浅生田圭史
・春光のてつぺんにあり観覧車            佐野すすむ

…「春光」は扱いやすそうな気がしますが、作品にするにはなかなか難しい季語です。

どちらも身近にある内容です。
一句目は白いペルシャ猫の桃色の肉球や、上質の白い毛に散乱する光を感じます。
二句目は作者の若々しさが「春光」を介し伝わってきます。

〈春の雷〉
・春雷のたどたどして終りけり            細見綾子
・春雷は空にあそびて地に降りず           福田甲子雄
・春雷のころがりゆける毛野の国           中島大三郎

…どの句も擬人法を用いています。「たどたどとして」、「あそびて」、「ころがりゆける」…擬人法の使い方を誤ると安っぽくなりがちですが、これらはうまく用いています。
三句目の「ころがりゆける」は「毛野の国」もあり、具体的な動きさえ感じられます。

さて、入浴剤を持参し久留米に行くことにします。観梅し鮨を食ってくるだけです。

ところで私は鮨を手で食べます。上級の職人は、手か箸かにより舎利の握り方を変えます。つまり箸の場合は硬く握っています。
手で食べることは、五感の一つである触覚を働かせ、鮨の醍醐味の一つと考えています。

明日は天候不良でなく、また「月曜日」です。鮨店の仕入れは週明けの月曜と、週末前の木または金曜です。まぁ月曜ならば間違いありません。
おっと奥さん方、「ランチ」は別モノですよ。

恥ずかしい話?ですが、生まれて47.5年、「回転寿司」なるところへ行ったことがありません。
最小のコストで最大のパフォーマンスを得ることは不可能かと思います。
美味いものにはそれなりの代償が必要です。