う〜む…どうも二日酔いならぬ三日酔いのようです。
自慢にもなりませんが、過去には四日酔いがあります。
スポーツ・ジムに行くにはまだコンディションが悪いようです。
精神的緊張が長期に高まるのも、弛緩した生活を送るのも、どちらも精神衛生上良くありませんが、この両極の間をバランスを取りながら一生を送るのもまた難儀です。
自室でも湯槽でほぼ毎日下半身浴を数回しています。湯の中で特に右下腿のマッサージをします。確かに血行が良くなります。最近では入浴剤にも関心が向いています。
自室の湯槽に入るのはまさに20数年以来です。
怪我の功名でしょうか。
歳時記を読んでいました。「寒明」「雨水」「春光」「春の雷」…
気になった例句です。
〈寒明〉
・六十の寒が明けたる許りなり 高浜虚子
・けものらの耳さんかくに寒明けぬ 三橋鷹女
・寒明や野山の色の自ラ 青木月斗
…上二句は「立春」との違いが明確です。三句目は「立春」に置き換えることもできそうですが、「野山」の勢いを詳細にしないことにより、うまく「寒明」を使えています。
〈雨水〉
・藻を焼いて浜の煙れる雨水かな 棚山波朗
…「雨水」は二十四節気の一つですが、「雨水」という言葉に「雨」「水」とあり、一句においてはそれらを直接的に書くより間接的に書く方が有効と思われます。「(焼く)藻」「(煙れる)浜」がそれに当たります。
このことは他の季語でもいえます。
また「時候」を詠む場合であれば、それ以外の項(天文・地理・人事・動物・植物)や五感(視・聴・嗅・味・触)の組み合わせにより(単純計算で25通り)、一句を成立させる選択肢は増えてきます。
〈春光〉
・春光や白猫に透く肉の色 浅生田圭史
・春光のてつぺんにあり観覧車 佐野すすむ
…「春光」は扱いやすそうな気がしますが、作品にするにはなかなか難しい季語です。
どちらも身近にある内容です。
一句目は白いペルシャ猫の桃色の肉球や、上質の白い毛に散乱する光を感じます。
二句目は作者の若々しさが「春光」を介し伝わってきます。
〈春の雷〉
・春雷のたどたどして終りけり 細見綾子
・春雷は空にあそびて地に降りず 福田甲子雄
・春雷のころがりゆける毛野の国 中島大三郎
…どの句も擬人法を用いています。「たどたどとして」、「あそびて」、「ころがりゆける」…擬人法の使い方を誤ると安っぽくなりがちですが、これらはうまく用いています。
三句目の「ころがりゆける」は「毛野の国」もあり、具体的な動きさえ感じられます。
さて、入浴剤を持参し久留米に行くことにします。観梅し鮨を食ってくるだけです。
ところで私は鮨を手で食べます。上級の職人は、手か箸かにより舎利の握り方を変えます。つまり箸の場合は硬く握っています。
手で食べることは、五感の一つである触覚を働かせ、鮨の醍醐味の一つと考えています。
手で食べることは、五感の一つである触覚を働かせ、鮨の醍醐味の一つと考えています。
明日は天候不良でなく、また「月曜日」です。鮨店の仕入れは週明けの月曜と、週末前の木または金曜です。まぁ月曜ならば間違いありません。
おっと奥さん方、「ランチ」は別モノですよ。
恥ずかしい話?ですが、生まれて47.5年、「回転寿司」なるところへ行ったことがありません。
最小のコストで最大のパフォーマンスを得ることは不可能かと思います。
美味いものにはそれなりの代償が必要です。
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