「鳥交る」、「獣交む」の「交る」、「交む」という言葉自体に過剰に卑俗や羞恥心を感じる人もいます。
しかしそもそも俳諧・俳句は和歌・連歌とは異なり、多少なり「通俗」を詠むものです。
この傾向は女性(プロも含む)に多いかと思います。
俳句は大らかに詠みたいものです。
また若手作家に対抗すべく、ベテラン作家の最大の術(武器)はテクニックではなく、その「人生経験」です。これを出し惜しみすることはありません。
〈鳥交る〉
「囀」の例句は多いのですが、「鳥交る」では減ります。それでも「獣交む」より心理的抵抗が減るためか、数はあります。また傍題に「鳥の恋」、「鶴の舞」、「恋雀」などがあることも理由かも知れません。
「鳥」の中でも雀、鶴、鳶などの具体的な名称が見られます。
・身に余る翼をひろげ鳥交む 鷹羽狩行
…「鳥」としていますが、「(丹頂)鶴」のようです。内容の美しさと「鳥交む」の俗とよく調和しています。
〈獣交む〉
四足の哺乳類を獣としています。多くの獣の発情期は春です。
やや例外的ですが、「鹿」は晩秋です。
和歌や連歌では雅な「鹿の恋」(歳時記では明確な区別なく「鹿」に分類)は詠まれましたが、猫も含め他の獣は卑俗なものとして忌避されました。
それらが詠まれるようになるには俳諧の時代からです。
傍題に「種つけ」、「種馬」、「種牛」などがあり、利益のため人間が立ち会うことも含めています。代表格は競走馬や肉牛です。
余談ですが、人間の場合でも「種馬」と揶揄されることがあります。
映画『ロッキー』(主演:S.スタローン)のリング・コールは「イタリアの種馬・ロッキー・バルボア」です。事実、S.スタローンはポルノ男優でしたが…
・交尾してほぐれて街の犬となる 畠山汝破
…中七の「ほぐれて」の措辞が面白いですね。野良犬らしい景です。
上五「交尾して」はやや露骨であり、「まじはりて」、「つるみては」等でも良いかも知れません。
拙句にて失礼します。
鹿鳴いて山襞淡き月夜かな
…「山襞淡き月夜」は感じたことがありますが、現実には鹿の鳴く声は聞いていません。あくまで想像の産物です。どうも「即き過ぎ」というか、美し過ぎて現実感に乏しい気がします。やはり偽物は必ずボロが出るものです。
〈猫の恋〉
・山国の暗すさまじや猫の恋 原 石鼎
・星はみな西へ下りゆく猫の恋 山口誓子
・恋の身をしなやかに階下りて猫 鷹羽狩行
・借りて来し猫なり恋も付いて来し 中原道夫
・猫の恋シャワー激しく使ひけり 中西夕紀
…三句目。妖艶な女性が洋館から下りてくるようです。最後に「猫」とし、タネ明かし的な「恋の猫」の句となっています。
四句目。諧謔。「借りてきた猫」というフレーズを巧みに使い、ここでも「恋の猫」という言葉を用いず、「恋の猫」を詠んでいます。
五句目。取り合わせ。「恋の猫」+「シャワー激しく使ひけり」。「恋の猫」という季語を用い、作者の心情を詠んでいます。
拙句にて失礼します。
惚れ症はさびしきがゆゑ猫の恋 …これも取り合わせです。街の女の心情です。
後の祭ですが、「惚れ症はさびしさゆゑよ」とした方が良かったかも知れません。
今日は午前中から右膝窩がむくみ、痛むため、応急的にマッサージをしました。
これからスポーツ・ジムの湯の中でゆっくりと下腿をほぐし、ストレッチをします。
年をとると、健康維持にもエネルギーを費やします。
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