観梅し、旬の鮨を食って、久留米よ戻りました。
今日の早朝、空が白みかけた頃に梅林寺に行きましたが、まだ三分・四分咲きでした。
せめてあと3日、満開ならば今週末でしょうか。
ただ梅はやや控えめ(七分程)に咲くのが好ましく思います。
有馬朗人氏(父子)の句碑がありました。
・暁鐘の一打に梅の白さかな 有馬朗人
一読しただけではピンときません
「暁鐘の鐘」は梅林寺の伽藍(庫裡)の鐘でしょう。
禅寺の伽藍からの鐘の音に大気が引き締まり、梅の白さがいっそう引き立った、と解釈すべきでしょうか。
「かな」を「なほ」とすると分かり易くなりますが、平板となり全体の格調も落ちます。ただ「白さかな」を「真白さよ」としても良さそうな気はします。
さて、今日の話題(季語)として挙げるのは薄氷・鶯餅・蕨餅です。
〈薄氷〉
・ひるすぎて薄氷魞をはなれけり 水原秋桜子
・薄氷の岸を離るる光かな 皆川播水
・薄氷の吹かれて端の重なれる 深見けん二
…秋桜子句は「薄氷の草を離るる汀かな 高浜虚子」より実感を感じます。
その他気になった句を…
・舌の根やときに薄氷ときに恋 池田澄子
…薄氷の冷たさ(湿り)と恋の熱さ(渇き)でしょうか。
「恋」でおさめていますから解釈の自由度はありますが、冒頭の「舌の根」という言葉からは肉感的なもの(具体的な恋の行為)を連想してしまいます。
〈鶯餅〉
・首ねつこやんはりつかみ鶯餅 檜 紀代
…「鶯餅」を「鶯」に見立てています。
「鶯餅の首やんはりとつかみけり」や「やんはりと鶯餅の首つかむ(み)」でも良さそうな気はします。
ただ「首」ではなく「首根つこ」とすることで「鶯」だけでなく、猫などの動物も連想させようとしているのかも知れません。
〈蕨餅〉
・俳人も小粒になりぬわらび餅 加藤郁乎
…手厳しいですね。反論出来ない俳人も情けない話です。
「蕨餅」は初春の季語ですが、実は今一つ腑に落ちないところがあります。
私の幼少期、「蕨餅」は夏の(涼感のある)駄菓子の一つでした。
「蕨餅屋さん」が風鈴を結わえたリアカーを曳きながら商いをし、子供らは風鈴の音をたよりにリアカーを追いかけました。
今ではコンビニエンスストアでも安易に「蕨餅」は買えます。ただ今の「蕨餅」は昔と異なる上品な味になったと感じます。
私の母も同意見ですが、あの頃の「雑味の多い」蕨餅に郷愁を覚えます。
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