【ジム始?・暗唱句終了】
年末・年始の旅を挟み9日振りにスポーツ・ジムに行きました。
ポンコツ寸前の体をなだめつつ、何とか旅や俳句を続けるため通っていますが(目的ではなく手段)、クラシック・カーやS・Lのメンテナンスのようです。
ところでジム始?は稽古始(初稽古)となるのでしょうか?
稽古始(初稽古);正月には何ごとも区切りをつけて、新たな心で取り組む。柔道・剣道などの武芸や、謡曲・仕舞・舞踏・生け花・ピアノ・ヴァイオリン・バレエなどの習いごとなど、新年最初の稽古は着飾って集まり、祝意をこめてなごやかに稽古を行うのである。(「角川俳句大歳時記」・新年 より)
・道場に女下駄あり初稽古 高橋淡路女
・はじかれて竹刀ころがる初稽古 廣瀬直人
確かに年末・年始を経て、正月に再び行うことは該当しますが、「新たな心」・「着飾る」・「祝意」「なごやか」なども含め、「新年」の本情である「寿ぐ」という意味からは逸れます。もちろん個人差はあるでしょう。
ですからジム始なる言葉は、稽古始(初稽古)に該当しないと思います。
同様な理由により、パチンコや博打の打始、囲(かこい)始、卓始なる言葉も新年の季語とするにはいささか問題があります。
それでは「ひめ始」はどうでしょうか?諸説あるものの、現在では正月初めて男女が交わることとして大半は解釈されています。
拙句にて失礼します。
・国生みの天沼矛(あめのぬぼこ)ぞひめはじめ
これは次の句を下敷きにしています。
・ほこ長し天が下照る姫はじめ 望 一
新年早々性的なものを扱うとはけしからん、と現在では言われそうです。また名句もありません。
以前も「正月初めて男女が交わること」は猥褻な行為そのものだったのでしょうか?
稲作文化において「男女が交わる」ことは「五穀豊穣」と同じく、「夫婦円満」や「子孫繁栄」にも繋がっていたと思われます。
また「盆踊」・「祭」の際の「夜這」や「逢引」(山間部など地域によっては現在も風習が残る)など、性に関しては比較的大らかであったと想像できます。
西洋の文化を歪曲して取り入れた結果が今日に至るのではないでしょうか。
俳諧・俳句が和歌と内容の上で異なる点の一つには、野卑にならない程度に適度に「俗」を配合させることではないかと思います。
〈暗唱句〉
生活
〈初笑〉
・初笑ひたしなめつつも祖母笑ふ 星野立子
・泪すこしためたる父の笑初め 石原八束
・みどり子のおならめでたし初笑ひ 福島せいぎ (☆)
〈独楽〉
・おのが影ふりはなさんとあばれ独楽 上村占魚
・独楽二つながなが回り相触れず 宇多喜代子
・りんりんと独楽は勝負に行く途中 櫂 未知子 (☆)
重要季語40、暗唱句100です。これで新年の重要季語を終わります。
一年間お疲れさまでした。
春; 重要季語-104、暗唱句-285
夏; 重要季語-147、暗唱句-381
秋; 重要季語- 98、暗唱句-251
冬; 重要季語- 82、暗唱句-215
新年;重要季語- 40、暗唱句-100
計;重要季語-471、暗唱句-1232です。
これから「極めつけの名句1000」と照らし合わせていきます。
その上で最大公約数を取り、「暗唱句1.000」と「暗唱句-基礎365」を作成し、このブログにwordの形で添付します。少し時間を下さい。
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