【人間の尊厳・生きた証】
旅の直前に右膝の状態が増悪しました。
誘因はオーバー・ワークです。
つい調子に乗り、ランニング(ウォーキング)・マシンに傾斜をつけトレーニングしていました。
旅は敢行しますが、歩行に障害を来すのは明らかです。
ウォーキング・スティックを持参します。鎮痛剤を持参します。頻回にタクシーを利用することになります。
しばらくスポーツ・ジムはプールのみです。
まぁ、仕方ありません。
「身から出た錆」であり、自己管理・自己責任が不十分だったという話です。
ただこれから旅が続くので、困っているのは確かです。
旅をするためにジムに通い、そこで増悪して旅がまた困難となる…う〜ん、悩ましい。
ただ精神が生きていれば何とかなるものです。這ってでも前進することが出来ます。
生物学的に生きているだけであれば、人としての精神が生きているとは言い難いものがあります。Fighting Spiritに近い意志というべきでしょうか。
春風や闘志いだきて丘に立つ 高浜虚子
極端に言えば、精神の死は肉体の死に比べ、人間の尊厳を奪うものがあります。
もちろん肉体という「器」が死に至れば、精神も死に向かいます。
生命倫理の話になりますが、人間は文明とりわけ医学に、完全に身を委ねることがあってはならないと思います。それは自然の摂理に反しており、安易に享受する態度は「傲慢」と呼ぶべきものかも知れません。
大事なことはー有形無形は別としてー人間として「生きた証」の有無の問題ではないでしょうか。
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