2013年9月14日土曜日

【アイデンティティー】

※ 一身上の都合により、ブログを更新できませんでした。深くお詫び申し上げます。

以前、中原道夫氏が次のようなことを言われていました。
「結社の主宰としては、清濁合わせ呑まざるを得ないが、一人の俳人としては自分に正直でありたいと思っている」

また氏の出版した多くの句集に対して、「音楽家でも芸術家でも定期的演奏会や個展などを開くわけで、同じように文芸を生業としている以上、定期的に句集を出すことはむしろ当然のことではないかと思う」

…氏のプロ意識の高さを感じました。発言内容が世間からズレているとは思いません。氏は「俳句界」が決して「象牙の塔」ではないと認識しています。一般常識に照らし合わせても尤もなことです。ただ時には当たり前のことを当たり前に言うことに勇気(毅然とした態度)?が必要かも知れません。

世の中には万事にグレーゾーンは存在します。しかし本来必要のないグレーゾーンはできるだけ明確にクリアカットするのが望ましいと思います。

「(俳句)結社」が「秘密結社」になってはいけませんし、「俳句界」が中世欧州の暗黒時代や錬金術が跋扈するようでは困りますし、そうした色彩を帯びていれば、ますます一般の方との乖離は広がる一方でしょう。

話は変わります。私の話です。

地方新聞に投稿していた初学の頃、一句当り10万円払ってでも掲載を欲するほど、狂気じみた「欲望」や「野心」がありました。ネガティブなハングリー精神です。
全く浅ましい限りです。さながら餓鬼の如く「見栄」や「虚栄心」を求めていました。
今、思い出しても自己嫌悪に陥ります。

先日A新聞全国版から原稿(新詠15句)の依頼を受けました。
有り難い話でしたが断りました。

今は句作をしていませんし、拙句集に収録しなかった句を掻き集めるのも嫌悪します。
また今から15句作ることも不可能ではありませんが、元来寡作にくわえて、時間をかけて(数ヶ月〜数年)推敲を4,5回はします。

プロならば無理してでも取り組むでしょう。またそれ故プロなのだと思います。

ただ私はノン・プロ(アマチュア)であり、俳句で生計を立てようという気もありません。昔の狂気じみた野心はありません。俳句の向上心の野心は必要ですが、ライフ・スタイルを乱してまで世に出ようとは考えなくなりました。

「我儘」や「自信過剰」と誹謗中傷を受けても仕方ありません。
ただ今の私は、こういう形でしか生きられないこともまた事実です。

以前の私にはアイデンティティーが欠如していました。今は多少それを自覚出来ます。
「自負」、「矜持」、そして「自尊心」やというものは、アイデンティティーの確立あってのことだと思います。

私の人間形成において、俳句は重要な役割を果たしてきたと実感しています。

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