2013年11月28日木曜日

【『俳句』12月号より③

〈作品12句『あやかり福』布施伊夜子〉

・日記書くころの眠たさ冬りんご

アロマセラピーにも似て、就寝前の温かい室内に冬林檎の仄かに甘い香が充ちている情景が浮かびます。

〈作品12句『十二月』大竹多可志〉
(なし)

〈作品12句『光る湖』檜山哲彦〉
(なし)

〈作品12句『かりがね寒き』前田攝子〉

・蟋蟀や風に倒れし飼料米

…秋のもの悲しさを詠んでいます。
中七は「風」を略し、「倒れしままの」としてもよい気がします。

ディテールの効果の発現は、ケース・バイ・ケースです。
俳句という詩型においては、まず肉を削ぎ落として骨格のみとし、その後に再度肉付け(ディテールを含め)を行うほうが得策であることが少なくありません。

〈作品12句『乗り捨てて』佐藤郁良〉

・味見して舌を焼きたる時雨かな

…従来の「時雨」という季語の本情を外すことなく、違う側面を捉えています。どこか俳諧の匂いすら感じます。実力に裏打ちされた巧さが光っています。
少なくとも今の私には真似することすら出来ません。

・炬燵へと引き寄せてある受話器かな

…独身か、鰥夫のくらしぶりでしょうか。諧謔を感じます。ただコードレス時代の現代ではやや普遍性に乏しい気もします。

ある程度の「普遍性」も俳句の大事な要素の一つです。

・湯豆腐のゆらりどうでもいい話

…実力者が肩の力を抜いた時の適度な脱力が、何ともいえぬ飄逸感を醸し出しています。
掲句における作者は実年齢よりはるかに老け、好々爺にも似た存在となっています。どこか故・草間時彦氏を彷彿とさせます。

俳優にも似て、人生のあらゆるステージに立つということは、作句においては非常に有利です。ただ俳人の場合は作品で演じることになります。
私が俳人のビジュアル化・ファッション化に難色を示すのは、そうした理由によります。

・なつかざる目をして温き兎かな

…まず前半の「なつかざる目」は「兎」の本質に触れています。
兎はそれほど高等な知能は有していません。その知性は双眸にも現れます。
TVなどの画像や遠目に見る兎は可愛いと捉えますが、ペットとしてはその思慮の乏しさゆえに飼い主にも従順とは言えません。
 そして後半に「温き」とあります。抱きしめたのでしょうか。「温さ」から「生命」を感じています。大仰かも知れませんが「生きとし生けるものへの愛」とも取れます。

直截な感情の言葉を用いることなしに、一句の中に複雑な感情を織り交ぜています。
見事です。

こうした複雑な感情を同時にもつのが人間であり、それゆえ文化・芸術は発展し、そして今われわれはその断片である俳句に携わっているのかも知れません。

〈第59回 角川俳句賞 受賞第一作21句『ただひとり』清水良郎〉

・みるみると籠に満ちたる蓬かな

…蓬の質感とともに色や香りが伝わります。五感の多くを働かせています。

・空つぽの風呂の深さや冬隣

…ここで難しいのは季語の選択です。晩秋から冬にかけどの季語を合わせるかがポイントとなります。
「冬隣」はどこか動揺性を感じますが、代用する他の季語が見つかりません。英断かも知れません。

掲句だけに限らず、特に季節の変わり目を詠むのは実は難しいものです。

・平行四辺形のケーブルカーや春の山

…着眼点は面白いと思います。「春の山」を従来と異なる側面で捉えています。
ただ上の字余り(上十)は調べ(音楽性)を損なっており、惜しいと感じました。

一般に言語(意味性)と調べ(音楽性)は車の両輪のような関係にあります。
もちろん音楽性を削いでも、強烈な意味性により成立している作品もあります。喩えるならば初期の自転車のような恰好となるでしょうか。非常に危うく、簡単に手を出すものではないと私は思います。

私自身の体験によりますが、上の字余りは八または九が限界ではないかと、感じます。それ以上の字余りも知っていますが、どうしても「調べ」に乗り切れず、韻文が散文に近くなってしまいます。

蛇口の構造に関する論考蛭泳ぐ                     小澤 實

作者のような巧者のみ可能な技でしょう。今にも倒れそうにしている積木細工や、モダン・アートのような不安や不安定性を感じます。

凡人である私は、まず定型の安定性を重視したいと思う次第です。

2013年11月27日水曜日

『俳句』12月号より②

〈俳人の時間 小笠原和男〉
-新作5句『松手入』-

・松手入煙草のうまき日なりけり

…「松手入」は晩秋の季語ですが、「晴れた日に鋏の音が聞こえてくると、いかにも秋らしい」という本情があります。
「松手入」の後、秋空の下での一服は、至福のひとときであり、ひときわ美味そうです。

〈作品16句『父訪はむ』仲 寒蟬〉

・父訪へば母のよろこぶ花八つ手

…作者の実家の情景が浮かび上がってきます。上五・中七の「父訪へば母のよろこぶ」の措辞は見事です。男親というのは案外不器用なものです。そこを母親がうまく仲介しています。

男親は「理性的に人間として)」男児に対する愛情と将来の不安を感じる反面、「動物の本能として」同じオスが自分のテリトリーを犯すのではないかという緊張感があるのかも知れません。

余談ですが、父から「一つ家に獅子は二匹は要らぬ」と家を追い出されたことがあります。突き詰めるとギリシャ神話の「オイディプス王」にまで話は及んでしまいます。

「八つ手の花」が、現実的な「(本来の)家庭の姿」を、さりげく演出しています。

〈作品16句『ポインセチア』岸本マチ子〉
(なし)

〈作品8句『稲穂波』本宮哲郎〉
(なし)

〈作品8句『余生』今井千鶴子〉
(なし)

〈作品8句『馬老いて』吉本伊智朗〉

・鳥の屍のまはりに滲む秋の水

四季の「水」に限定すれば「秋の水」でしょうが、内容と季語の合わせ方にやや疑問が残ります。

〈作品8句『捨甲斐』鳥居美智子〉
(なし)

〈作品8句『菩提の実』澤井洋子〉

・醤(ひしを)の町に残す旧名水の秋

「残す」は「残る」の方が良いかと思いますが…
醤にも水は重要であり、一句のまとまりの良さを感じます。

〈わたしの宝物 中西夕記〉
-新作5句『刀工』-

・火に対ふしづけさとあり秋の昼

…掲句の重要な点は「秋の昼」です。「春の昼」では台無しです。

春と秋の気候は少なからず類似点があり(特に時候)、春の季語を秋の内容に、秋の季語を春の内容に、またどちらとも取れる句を作りがちです。
両者の差異を明確にするのは、季語の本情かと思います。

2013年11月26日火曜日

【『俳句』12月号より①

〈俳壇ヘッドライン〉

・泰山木咲くや白磁のごとく割れ                田島和生

…巧いですね。眼前に泰山木の花が優雅に馥郁として開くようです。
白磁(の皿)がどのようにして割れるのかは触れていませんが、おそらく窪みに掌を当て、柔らかく放射線状に押し割るのでしょう。
文芸という芸術が、真理ないし神の領域に触れる一瞬の煌めきを感じます。

〈特別作品50句『伴走』西村和子〉

・神域の水や嵐気やはしり蕎麦

掲句の「はしり蕎麦」は「新走り」に置換することはできないでしょうか。「神域」という言葉の影響で、「はしり蕎麦」>「新走り」かと思いますが、やや季語の不安定さを感じます。

・星飛べり不覚の涙こぼるごと

…眼目は「不覚の涙」です。逆にこれがなければ『巨人の星』の「星 明子(後に花形明子)」になってしまいます。
上五「星飛べり」がやや気になります。はたして星が飛ぶという表現は妥当でしょうか。ここは「星流る」でもよいかと思います。

〈特別作品21句『沈む船』仁平 勝〉

・俗物に大小のあり八頭

…八頭に対する確固たる把握あってこその作品です。
季語に添うにせよ、背くにせよ、季語の本意・本情を充分理解する必要があります。

・秋深しいたるところに道しるべ

「秋深し」を「秋の暮」としてしまいそうですが、それではやや「即き過ぎ」です。ここは「秋深し」とやや離した方が良いでしょう。
季語の選択にあたっては、こうした内容との距離感が肝要です。もちろん多くの失敗の上に成功があります。

〈特別作品21句『灯』津川絵理子〉

・人の目が畑にひそむ唐辛子

私の読み違いであれば謝罪します。
まず「人の目の」、「人の目は」でもなく「人の目が」です。
次に「畑」の必要性をさほど感じず、むしろ「唐辛子」の自由度を奪いそうです。
そして作句法ですが、もう少し読者に寄り添うことも可能かと思いますが…作者の個性かも知れません。
「潜みたる他人(ひと)のまなざし(視線や)唐辛子」、「幸せ(幸福)を妬むまなざし唐辛子」…読者に寄り過ぎでしょうか?

・マネキンにひとつ灯残す夜長かな

裏通りでしょうか。現実的に「ひとつ」かどうかは分かりませんが、「夜長」の本情を捉えています。

2013年11月24日日曜日

【はぐれ狼・純情派

リハビリという位置付けで俳句を再開しています。その一つに「旅」があります。

旅により身体はボロボロです。それでも精神は折れていません。

私は凡才です。ただ自分の才を自覚している者は、それなりに工夫し努力します。

さて…今回の旅は、東京と琵琶湖・湖南でした。

東京では「ふらんす堂」http://furansudo.com編集長の山岡さんを訪ねた後(http://fragie.exblog.jp/20885961/)、仕事を兼ね女性と某イタリアン・レストランで会食。宿泊は「六本木ヒルズ」内のホテルでした。

そもそも私は東京を好みません。精神的疲労が一気に蓄積しました。

「六本木ヒルズ」…どんな美しい言葉で修飾しようとも、私には「六本木HELLS」です。
混沌としたエゴの塊を、かろうじて薄皮一枚で被った有毒の果実にしか思えません。

その晩は一睡もせず、京都を経て滋賀へ…

暮れなずむの浮御堂の湖畔を歩き、「しづか楼」http://www.shizukarou.comへ。
「しづか楼」に来客した著名人に高浜虚子の名もあります。

香天」の岡田耕治主宰と座敷で会食し、もろこ・(真)鴨・鮒寿しなどに舌鼓を打ちました。女将(五代目)には感謝の言葉もありません。

「義中寺」に続き「しづか楼」に拙句集を収めさせて頂きました。

湖南の居心地が良いため、つい長居してしまいました。

12月初旬は松山への旅です。
母校の愛光学園での恩師や、後輩で今は松山東高校教諭をしている森川大和氏と会食し愛光学園・俳句部の吟行・句会に参加する予定です。

こっそり様子を見に行くだけだったのですが、話が肥大化していきます。
愛光学園と松山東高校の合同句会になる案も浮上してきています。

さて、どうなることやら…愛光学園・俳句部顧問の佐藤明子教諭と、森川氏にできるだけ任せ、私は静観するつもりですが…まぁ、無理でしょうね。

もっともその前に不審者として警察の職務質問に遭い、公務執行妨害と過剰防衛でムショ行きになるかも知れません。

嗚呼…はぐれ狼、どこへ行く…

※(お詫び)
大変申し訳ありませんが、『俳句界』(文学の森)を読むことを一時中断します。
ご期待の声が少なからずあれば必ず再開します。

2013年11月23日土曜日

【『俳壇』12月号より⑤(終)】

〈現代俳句の窓『三国行』小笠原 至〉

・達治詩碑くろぐろ光る雨月かな

「光る」がやや気になります。「雨月なり達治の詩碑のくろぐろと」などとしても良いかと思いました。

 二句目、三句目の「馬鹿の花」ですが、三好達治の「砂の砦」(1946)が有名です。
「馬鹿の花」の正確な名称は不詳です。福井県の三里浜に自生している、ハマウツボ、ハマナス、ハマヒルガオ、ハマゴウ、ハマノベギク、ハマエンドウなどと推測されているようです。

〈現代俳句の窓『土偶たち』曽根原幾子〉

・数珠玉やなにをさがして傘寿過ぐ

…「数珠玉」の配合がいいですね。「数珠玉やいまさら何を探したる」などとしてもも良いかと思いました。

〈現代俳句の窓『振袖』内藤ちよみ〉

・振袖を出しては寝かす一葉忌

…身内の不幸、金銭トラブル…許婚との突然の婚約解消となった樋口一葉の波乱の前半生と、句の内容が合っています。
「寝かす」を「寝かし」と連用止めとしても良い気がします。

〈現代俳句の窓『棉吹く』広瀬久美子〉
(なし)

〈現代俳句の窓『長崎宮日』深野敦子〉

・長坂の眠らぬままや宮日果つ

…長崎の「おくに(ん)ち」です。「宮日」は「くんち」と読みます。
助詞を少し替え「長坂は眠らぬままに宮日果て」としても良い気がします。

〈現代俳句の窓『藁の香』山本允子〉
(なし)

〈現代俳句の窓『覚満渕』吉岡好江〉
(なし)

〈現代俳句の窓『杉落葉』和田知子〉
(なし)

〈競詠・新句集の人々『秋蟬』加藤裕子〉
(なし)

〈競詠・新句集の人々『後の月』栗田ひろし〉

・朝寒のコンロに青き火の走る

…「秋雨の瓦斯が飛びつく燐寸かな   中村汀女」を想起しました。

〈競詠・新句集の人々『秋の空』堀内淑子〉

・音消えて機影は点に秋高し

…日常の景を簡易な言葉で詠んでいます。俳句は難しい言葉を並び立てるのが良い訳ではありません。「秋高し」の選択も的確です。作句のお手本ともいうべき作品です。

〈競詠・新句集の人々『二十の娘』和田華凛〉

・秋の蝶日影に色を休めけり

…秋蝶が日影に羽の色を休めている、繊細かつ発見に近いものがあります。感性の鋭さを感じます。
好みの問題かも知れませんが、「秋の蝶」を「秋蝶の(は)、「休めけり」を「休めたり(たる)」としても良いかと思いました。

※「音消えて機影は点に秋高し 堀内淑子 」と「秋の蝶日影に色を休めけり 和田華凛」
は、旅で疲れ切った私の心に、清涼剤のような心地良さを吹き込んでくれました。
一日一句でも桂句を発見すると、その日は機嫌が良く、俳句に向かう活力となります。 

※別の機会に旅行記を書くつもりですが、今回は東京と、再度湖国(湖南)へと4泊5日の旅でした。身はぼろぼろです。

比叡おろし(北颪)を浴びながら、宵闇の湖南・湖西の湖畔を歩きました。
鴨や渡り鳥の声が聞こえてきます。旅で疲れ切った心に次の句を想起しました。

病雁の夜寒に落ちて旅寝かな               芭 蕉

2013年11月21日木曜日

【『俳壇』12月号より④】

〈本阿弥ブックレビュー 『母の辺』髙木瓔子〉

・母の辺に雀日向ぼこ

…松本ヤチヨ氏が掲句を採っています。氏の言にもありますが、この作品群の中におけrじる「母」は、「亡母」・「先妣」です。
「妣」は本来「ひ」という音読みですが、「意味読み」で「はは」とする場合もあります。ルビを振るかどうかは作者次第でしょうか。

〈本阿弥ブックレビュー 『草結び』成井惠子

・内海へ袈裟懸けにくる初夏の鷹

…「内海」は「うちうみ」と読んだ方が風情が良さそうです。

「目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹      寺山修司」(「統ぶ」は文語で、他バ下二であり、連体形は「統ぶる」が適切か?)
を想起させます。

〈俳壇賞作家のいま 作品10句『壇之浦』深川淑枝〉

・狐火の遠巻きにせる戦絵図

…「狐火」の句としては、かなりリアリティーを感じます。
作者の個性を尊重した上で…「狐火の」の「の」を「は」または「を」に、「にせる」を「にして」としても良いかも知れません。

・露の世の銭をもらうて遊女墓

…浮き世の無常感が漂っています。
「もらひ(て)」のウ穏便は、「もらふ」の語尾の変化を伴い「もろう(て)」か、と思いましたが…
下五「遊女墓」は上五・中七に比べ、やや窮屈な感じがします。「遊女の墓」と字余りにしても良いかも知れませんし。
また中七から「遊女の墓」のディテール(小さい、欠けている、戒名もない、文字も判然としないなど)としても、いくつかの作品群が生まれそうな気配がします。

〈俳壇ワイド作品集『閑閑抄』瀧澤和治〉

・寒鰤を描きて旅信にはあらず

…文字という言語的伝達でなくとも、絵という非言語的伝達でも充分に旅信となります。それを理解した上での、諧謔です。行為自体も作品としての掲句もなかなか洒落ています。

〈俳壇ワイド作品集『退学届』望月とし江〉
(なし)

〈俳壇ワイド作品集『溺愛』花尻万博〉
(なし)

〈俳壇ワイド作品集『女身男神』川上良子〉
(なし)

〈俳壇ワイド作品集『蜑の畑』廣橋いたる〉
(なし)

〈俳壇ワイド作品集『水輪』澤口航悠〉 

・草の市色濃き菓子を買ひにけり

〈俳壇ワイド作品集『蜜柑山』林家たい平〉

・ふぞろいの蕎麦ひきしめる井戸の水

…「ふぞろい」が効果的に蕎麦の質感を表現しています。いかにも美味そうです。江戸っ子ならでは…


※  旅行が増え、デスクワークが滞りがちですが、何とかこなしていくよう努めます。
旅行記は別の機会に。

2013年11月18日月曜日

【『俳壇』12月号より③】

〈同行二人…ふたりで五十句『メデジンへ』鎌倉佐弓〉

…う〜ん、夏石番矢氏と夫婦であり、同じ俳句の仕事をして、同じ旅吟をして、それでもこれだけ作風が異なるものか、と正直驚きました。
 
 9月のメデジンを、夏石番矢氏が「春」と捉えているのに対し、鎌倉佐弓氏は主に「秋」と捉えています。
 
 前衛ではありますが、夏石番矢氏ほどの「凄み」にも似た強烈な個性や「メッセージ性」はやや影を潜めています。

・バナナ積み上げろ喧噪に負けぬよう

この句に最も好感をもちました。やや観念が先行している感もありますが、その他には

時計無き空港 天に最も近い

坂上りきらずに月見草ひらく 

〈俳人クロニクル・最終回 照井 翠〉
-新作10句『惑星』-

・向日葵のぜいぜいぜいと枯れられぬ

…下五「枯れられぬ」は、「枯る(自ラ下二)の未然形;枯れ」+「らる(助動詞・自発・可能)(ラ下二)の未然形;られ」+「ず(助動詞・打消)(活用特殊)の連体形;ぬ」です。

「冬蜂の死にどころなく歩きけり   村上鬼城」を想起させます。

・対角にはみ出し撓る秋刀魚かな

…「秋刀魚」という言葉自体に「刀」が入っていますが、どのような「刀」が似ているかと問われれば、「青竜刀」に近いものではないでしょうか。
そこを「はみ出し」「撓る」と上手く表現しています。

〈若手作家トップランナー・最終回 津久井健之〉
-新作20句『ソファー』-

まず私が最も好む三句です。

① 茶が腹にたまりてゐたる良夜かな

② 島人のおほきなあくび秋高

③ さるすべりのつたり揺れて秋に入る

それ以外には

・丈の合ふ人の居らずや宿浴衣

・町ひとつこはれさうなる大夕立

大夕立驚き顔と笑ひ顔

・思ひ切り顔を洗ひて帰省かな

と、20句の作品群の中に桂句が犇めいています。

感性が私と近いかも知れない、と親近感を覚えました。
もちろん彼の方が格段に巧者ですし、①の句は「匠の技」です。

私より一回り下の方が①の句を出していることで、及ばずながら私も少し向上心が湧いてきました。
やはり俳句は巧いに越したことはないですね。

僭越ながら「貂」編集長・木内 徹 様と津久井健之 様に、拙句集『原型』を寄贈させて頂きます。

2013年11月17日日曜日

【『俳壇』12月号より②・(劇薬)詩のメッセージ性】

〈師走・年の暮を詠むー実力派俳人55人


・メモ紙片机辺に増ゆる師走かな            佐怒賀正美


・亡き人のものが沢山十二月              鈴木節子


・正月にペンギン歩きしてはだめ            坪内稔典


・濡れ岩をなおかつ濡らし初日かな           中村和弘


・埋火や貧しき父の子と思ふ              富士眞奈美


・年の市まぶしきものの売られけり           藤本倶子


〈同行二人…ふたりで五十句『メデジンの秋』夏石番矢〉


…初学の方は読まない方が良いかも知れません。劇薬です。まずは基本が優先です。

しっかりとした定型句が詠める中級以上の方向きかと思います。

定型は一句のみで、それも無季です。

また中八や下七・八が目立ちます。

私には似すら出来ません。

しかし今回はあえてそこに注目してみたいと思います。

これらの前衛的な(非定型的な)俳句の配列に疲労感を伴います。
しかしこれらは一塊となり、匂い立つような強烈な「メッセージ性」を放っています。

もちろん俳句は「メッセージ性」と「音楽性」の両輪がうまく連動することが好ましい姿という考えには変わりありません。

また知識と自らの作品は必ずしも等価ではありません。


さて、メデジンは赤道直下にあり、大まかに日本の季節と逆であることを前提に展開されています。

またコロンビアは、麻薬+マフィアの巣窟という影を引き摺っています。

導入は比較的受け容れやすい句から…

・路上で眠れば脳に実るよ黒葡萄


…上八ですが、中七・下五と定型に近く、安定しています。

観念的ではありますが、感覚的に分かるような気もします。
季語の本意・本情に素直に即してはいませんが、「黒葡萄」が何ともよく活きています。これがマスカットでも他の果実でも代替できず、つまり「黒葡萄」は動きません。高度なテクニックです。

・詩を歌い断崖よりもあかはだか


…唯一の定型ですが、無季です。

メデジンの断崖を読者が周知しているか否かが問題となります。
俳句にはある程度の「普遍性」とともに(情報の)「共有性」を要します。
ここいらが海外詠の難しいところです。

「詠い」とせず「歌い」としているのは、前衛かつ海外詠ゆえかも知れません。


・ロスアンゼルスはふて寝しているわが足の下

下七で無季です。メデジンへ向かう飛行機での詠でしょう。この句に限らず殆ど全ては、「脳」がキャンバスです。「(街が)ふて寝している」とはシニカルな表現です。


・パンパス・グラスは芒じゃないぞ時差ボケ男


同じく下七です。前半が面白いですね。

確かに「洋もの芒」と言ってしまいそうです。
「芒」に季語としての働きはありません。無季です。

・その性器イエスの傷よりずっと深い


…中八・下六の無季です。こう開き直られると、ある意味精神的開放感(カタルシス)を感じます。カラーは違いますが、


「ちんぽこもおそそも湧いてあふるる湯   種田山頭火」


・メデジン夕暮ダンテ嬢からラブレター


…上八・中八・下五の構造です。無季ですが、前述のメデジンの地理的条件や気候を考えると、「メデジン(の)夕暮」は「春の暮」に置き換えることも可能かも知れません。

「ダンテ嬢」と「ダンテ」に、関係があるのかさえも分かりませんが…

「露人ワシコフ叫びて石榴打ち落とす   西東三鬼」


・俳人 I 似の男の詭弁メデジンの午後


…上八・中七・下七の構造です。同じくメデジンの午後」を「春の昼」に置き換えることも可能かも知れません。

中七の「男の詭弁」のフレーズがキリリとしています。逆説的?かも知れませんが、改めて定型の調べの力を実感します。

「マダムX美しく病む春の風邪   高柳重信」


メデジン川あらゆるてのひらから遠い


…中八の句です。メデジン川は何かの隠喩でしょう。最初は「てのひら」が掴もうとしているのは紅葉または落葉かと思いましたが、気候を逆とすれば、飛花でもよさそうです。またそう考えると「川」のイメージと結びつきやすいように感じました。

「空をゆく一とかたまりの花吹雪   高野素十」 

・別れは祭九月の朧月のメデジン


…句またがり(朧/月)の下七です。「改めて「九月の朧月」と言っています。やはりこの俳句群は「春」と捉えるべきでしょう。


最初の「別れは祭」だけで想像力をかき立てられます。


時期を考慮すると「メデジンの花祭り」http://www.colombia.travel/jp/turista-internacional/colombia/culturaと思われます。


Feria de las flores, Medellín
メデジンの花祭り

こうした前衛の海外詠の俳句群を難解・逸脱ととるか、面白い(興味深い)ととるか…
俳人でも意見が分かれるところでしょうか。
私の場合は、確かに難解ではありましたが、面白く(興味深く)読みました。

2013年11月16日土曜日

【『俳壇』12月号より①】

〈今月の星座俳人・射手座の人〉

・連山の威にうながされ冬構              野村研三

〈巻頭作品10句 『偶』綾部仁喜〉

・秋の蝶花なき庭に来て去れり

・とんばうの赤くならざる下半身

・顔拭うタオルに冬の来る匂ひ

巻頭作品10句 『秋』菊地一雄〉 

・暾(ひ)が近し踝ぬるる大露野

・秋風の佛の前に小さくをり

巻頭作品10句 『野分きて』岸本マチ子
(なし)

巻頭作品10句 『一稿』田島和生

・噛んでみて稲粒甘き淡海かな

一稿の終わり一稿雁渡し

巻頭作品10句 『色地下足袋』鳥居美智子
(なし)

巻頭作品10句 『秋の暮』保坂リエ

・鳳仙花少女何時しか花嫁に

巻頭作品10句 『手児奈現れよ』松本 翠
(なし)

巻頭作品10句 『草の絮』山本つぼみ

・かの日より音信途絶ゆ草の絮

〈俳句と随想十二ヶ月・十二月『歳晩』森田公司〉
(なし)

〈俳句と随想十二ヶ月・十二月『無数のひかり』辻 恵美子〉
(なし)

2013年11月14日木曜日

【旅を経て】

旅を経て感じたことを述べます。

① 私の本音トークが好評?

意外でしたね…どこそこで私の本音(毒舌)トークが受けます。最初は私の方が勘ぐるのですが、どうも表面的ではないようです。東京の方が冷淡と感じます。

もちろんビジターとステイでは違うのでしょうが、ここに住みたいな、と思わせる居心地の良さがありました。

② 約束を守ることの重要性

約束事に対しては自他共に厳しい方ですが、そのあたりも呼吸が合います。
Barではきちんと「(ルパン三世の)次元」の葡萄を市場から仕入れており、別れに固い握手を交わしました。

③ 子供に好かれる?

これも意外でしたね…弟の子供(甥)に好かれていましたが、男児のみならず、見ず知らずの女子にも好かれ、こそばゆく感じました。

御存知の通り、私はバツ1であり、その間に生まれた自分の子供の育児の経験も乏しく、むしろ「子供嫌い」を演じてきました。

確かに最近は心境の変化もありますが、基本的に私の人格は子供ですので、そうしたことも子供らと馴染みやすい一因かも知れません。

これに関してもも、子供と遊ぶことと養育するのでは大きな違いがあるでしょう。

そう言えば…フレキシブルな教授は、子供と大人の人格を上手く使い分けていました。

話は逸れますが、「断捨離」が出来ない老母?に、私が幼稚園の時に使っていた、「ブサイク」な「ウルトラの父」の弁当袋を探してもらっていますが、物を溜め込み過ぎて見つかりません。
この「ハンサム」でない、「ブサイク」なところがミソです。
仕方なく新しく縫って欲しいとせがみますが、それも叶いません。

男は多少なり、マザコンの要素があるものです。女も然りで、多少なりファザコンの要素があるものです。

くわゐ煮てくるるといふに煮てくれず                                                                      小澤 實

老母からクレームがつき、あまり多くを語れませんが…実際には木彫が上手く、手先は器用です。

私の影響で俳句を始め、句歴は7年になりますが、相変わらずヘタッピです。
それでも俳句を通し、視野が広がったと言います。

このヘタッピの老母が、私の唯一無二の弟子です。

2013年11月13日水曜日

【湖南の旅②•俳聖を斬る】

目覚めたのが正午近く。
シャワーで熱湯と冷水を交互に浴び、部屋の掃除を最低限し、ド派手なスカジャンをはおり、フロワーラウンジでティラミスのケーキをエスプレッソのダブルで流し込み、いざ義仲寺へ。

わざとらしいとさえ思えるほどが、いいあんばいに時雨ています。破芭蕉が濡れながら軽い雨音を立てています。

うしろすがたのしぐれてゆくか                                                                               種田山頭火

しぐるるや駅に西口東口                                                                                          安住 敦

いる、いる…俳句フリークが…句会もしています。

ざっと見て、大黒さんとフリートーク…

長谷川 櫂氏、茨木和生氏、黒田杏子氏などがよく来られるそうです。

まずはトイレの話から…義仲寺のトイレをチェックしたところ、殆どが洋式なのですが、以前に和式で事故(女性が立ち上がれない)があったとのこと…それ以来、洋式に替えたとのこと…いくらカッコつけてもこれでは身も蓋もありません。

参拝者の醸し出す雰囲気は、「神様、仏様、芭蕉様」といった具合です。
やや冷ややかにその景などを大黒さんに伝えると、えらく笑います(表面的ではなく、腹の底から)

次に清掃の話へと…庭からトイレに至るまで殆どは住職と大黒さんで行っており、年に2回庭師の方が来るのみとのことでした。

こうした住職や大黒さんの尽力があってはじめて、参拝出来ることを忘れないで欲しいと思います。

私の出来る範囲の御礼として、拙句集を寄贈することにしました。

嵐山光三郎氏の弁を代用しますが、芭蕉を神格化し「俳聖」と捉えてしまうと、逆に盲目となり、芭蕉という人間が見えなくなります。芭蕉は神ではありません。

これも嵐山光三郎氏の言葉ですが、「俳聖を斬る」くらいの距離感、同じ一個の人間として対峙する方が良いかも知れません。

義仲寺を出て、琵琶湖をクルージング…これから近江牛のステーキを食い、barで葡萄を「『次元』食い」し、湖南の旅を終えます。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る                                                                                 芭 蕉