2013年11月27日水曜日

『俳句』12月号より②

〈俳人の時間 小笠原和男〉
-新作5句『松手入』-

・松手入煙草のうまき日なりけり

…「松手入」は晩秋の季語ですが、「晴れた日に鋏の音が聞こえてくると、いかにも秋らしい」という本情があります。
「松手入」の後、秋空の下での一服は、至福のひとときであり、ひときわ美味そうです。

〈作品16句『父訪はむ』仲 寒蟬〉

・父訪へば母のよろこぶ花八つ手

…作者の実家の情景が浮かび上がってきます。上五・中七の「父訪へば母のよろこぶ」の措辞は見事です。男親というのは案外不器用なものです。そこを母親がうまく仲介しています。

男親は「理性的に人間として)」男児に対する愛情と将来の不安を感じる反面、「動物の本能として」同じオスが自分のテリトリーを犯すのではないかという緊張感があるのかも知れません。

余談ですが、父から「一つ家に獅子は二匹は要らぬ」と家を追い出されたことがあります。突き詰めるとギリシャ神話の「オイディプス王」にまで話は及んでしまいます。

「八つ手の花」が、現実的な「(本来の)家庭の姿」を、さりげく演出しています。

〈作品16句『ポインセチア』岸本マチ子〉
(なし)

〈作品8句『稲穂波』本宮哲郎〉
(なし)

〈作品8句『余生』今井千鶴子〉
(なし)

〈作品8句『馬老いて』吉本伊智朗〉

・鳥の屍のまはりに滲む秋の水

四季の「水」に限定すれば「秋の水」でしょうが、内容と季語の合わせ方にやや疑問が残ります。

〈作品8句『捨甲斐』鳥居美智子〉
(なし)

〈作品8句『菩提の実』澤井洋子〉

・醤(ひしを)の町に残す旧名水の秋

「残す」は「残る」の方が良いかと思いますが…
醤にも水は重要であり、一句のまとまりの良さを感じます。

〈わたしの宝物 中西夕記〉
-新作5句『刀工』-

・火に対ふしづけさとあり秋の昼

…掲句の重要な点は「秋の昼」です。「春の昼」では台無しです。

春と秋の気候は少なからず類似点があり(特に時候)、春の季語を秋の内容に、秋の季語を春の内容に、またどちらとも取れる句を作りがちです。
両者の差異を明確にするのは、季語の本情かと思います。

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