【対象を突き放す】
俳句を含め芸術の至上の目的は、「真理」に近づくことではないかと思います。
人間は五感を有しますが、それらにより得られた情報が必ずしも「真理」に近いとは限りません。別に宗教の話ではありません。
さらにはそれが他の人間と共感領域を持つことが要求されます。
天才的な画家が死後に評価されることは少なくありません。共感する人間との間にタイム・ラグがあるからです。
芸術の分野によりタイム・ラグの時間は変わります。
俳句はタイム・ラグが短い文芸です。川柳はさらに短く、瞬時とも言えます。
皮肉なことにタイム・ラグの大きさと作品の継続性は比例の傾向にあります。
大衆芸能に近づくほどタイム・ラグは短くなりますが、内容の普遍性も低下します。
さて「対象を突き放す」という話をします。
例えば美しい花を見て単に「美しい」と表現するでは、「ただごと」になります。
「孫がかわいい」も同じです。
「ただごと」でない作品は、共感する人間の心の機微に触れ、それを介して「真理」に近づきます。
これは別に俳句に限ったことではなく、多くの芸術がそれぞれの方法で「真理」へのアプローチを試みています。
それでは「ただごと」でない作品を作るにはどうすればよいか。
乱暴に聞こえるかも知れませんが、まずは「対象を突き放す」ことを勧めます。
「美」を「醜」、「是」を「否」、「陽」を「陰」と全く逆の見方をしてみます。
また距離感も「近」を「遠」、「遠」を「近」と変えてみます。
慣れてくると、次第に「斜めから」「少し遠巻きに」と対象への多面的な見方ができるようになります。
もはや「ただごと」の句を作ることはありません。
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