【角川『俳句』7月号より④】
〈今日の俳人 作品7句『祭の前』尾池葉子〉
・葉隠れの葵の花に身を折りて
…最初は「銭葵」かと思いました(「立葵」は論外)。これは「双葉葵」です。「加茂祭(葵祭)」という前提がなければ戸惑います。
句の前書きにも似ていますが、「題」や「前提」に凭れることなく、一句として独立して欲しいと思います。
〈今日の俳人 作品7句『壇之浦』原田暹〉
・この石も落人の墓かたつむり
…栄華を極めた平家も滅び、落人の墓も路傍の石と紛うかのようです。
そこに緩慢にして悠久の時を想像させる「かたつむり」を見事に配合しています。
「夏草や兵どもが夢の跡 芭蕉」にも通じ、琵琶法師の平曲が聞こえてきそうです。
〈今日の俳人 作品7句『開演ベル』合谷美智子〉
・白靴や開演ベルに滑り込み
…明暗の対比です。ただ「白靴の(が)開演ベルに滑り込む」の方が妥当性であり、臨場感も表れる気がします。
〈今日の俳人 作品7句『夏に入る』成井侃〉
・夏に入る聳ゆるものはみな眩し
…個人的には「聳えたるものみな眩し今朝の夏(夏に入る)」という措辞を好みます。
〈今日の俳人 作品7句『夏富士』渡辺和弘〉
・夏富士の高きを越えし怒濤かな
…葛飾北斎の「富岳三十六景」や「あるときは船より高き卯波かな 鈴木真砂女」などが頭の中で優先している感がします。
〈今日の俳人 作品7句『白玉』山田径子〉
・セール品さらりと吊られ日の盛り
…「日盛」と「さらり」という清音のオノマトペの相性に疑問を感じます。
吊られている「セール品」は無造作に、店先で太陽光を直接浴びはいないでしょうか。
またチープなガラスの刺繍もあることでしょう。
例えば「セール品ざらりとしてや日の盛り」、「日盛やざらりとセールス品干され」「日盛やセールス品のざらつきて」など。
〈新鋭俳人20句競泳 『だらだら』矢口晃〉
・雷雲よなまあたたかき吊革よ
…科学的には難しい内容でははありません。
それでも文学的には、句中に(「切れ字」)「よ」を二回用いることにより、二句一章の形となり、「雷雲」と「吊革」の関係が不確かとなることに気付きます。
人間の脳の処理能力に挑戦しているかのようです。新鮮かつ面白いと思います。
・まくなぎも私を中心に回る
…「蠛蠓」=「めまとい」で、多くはヌカカです。俳諧味を感じます。
「世界は自分を中心に回る」という言葉がありますが、むしろ掲句は「世界は自分を中心に回っていないのだ」だという、悲観的、自虐的、そして諦念という内面が滲み出ているように感じます。
・黴だらけ借金だらけ夢だらけ
…青春性は感じますが、下五「夢だらけ」は悲しいですね。概して人間は、何かを得れば、何かを失うものです。それが俳句でなくとも、ささやかでも「夢」を持ち続けることがQOLに繋がります。「銀木犀文士貧しく坂に栖み 水沼三郎」
〈新鋭俳人20句競泳 『自己侵略』鎌田俊〉
・善人を騙り昼餉の冷奴
…「冷奴」をうまく使っています。掲句は「夕餉」は合いません。「善人を騙り」は社会人としての表面的な日常の自分の姿を、自己嫌悪や自虐的に捉えているのかも知れません。
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