【角川『俳句』7月号より①】
〈特別作品 50句『麦秋』大串章〉
・桑芽吹く山里に蚕屋見当たらず
…世の流れは早く、人の営みも泡沫の如し、という哀調の感がします。
・菜の花に囲まれ海女の墓小さし
…海女の墓は菜の花畑に埋れ、分け入らねば存在に気付かないかも知りません。
生前の海女の境遇が偲ばれます。菜の花はそうした海女への「救い」にも似た供花とも取れます。菜の花明りは、きらきらした海面の反射光に似ています。
・牛蛙夕闇重くなりにけり
…聴覚より夕闇の重さを認識しています。
和歌・連歌の頃より「蛙」は鳴き声を愛でるのが一般的です。「古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉」は、賛否は別として、特殊な例です。
・麦こがし古きシネマの味のせり
…麦こがしの匂い(嗅覚)、ぱさぱさした食感(触覚)、味(味覚)、そして懐かしさはモノクロームの名作に良く合っています。
ただ麦こがし自体に古さを感じるので、中七の「古き」は不要かと思います。
〈特別作品 21句『麦秋』三村純也〉
・涅槃図に遠近法のありやなし
…涅槃図に遠近法はありません。「涅槃図」という季語の捉え方や、下五の「ありやなし」という措辞には、俳諧味が感じられます。
・左手ですることいくつ鳥雲に
…思わず指を折って数えてみましたが、どうも漠とした気持になります。その感情と「鳥雲に」の取り合わせが良く合っています。
〈特別作品 21句『ある限り』神野紗希〉
・マリッジブルー屋根から雪の落ちる音
…雰囲気は分かりますが、どのように雪の音がしたのかという説明は必要かと思います。
・どの名前呼んでも寄ってくる子猫
…読む人によって印象が変わるかも知れません。素直に子猫の姿に可愛さを感じる人と、子猫は人格の欠如した人間の隠喩であり畜生(界)を感じる人と。
(屈折している)私は後者と読みます。
多面性を計算しつつ作句しているなら、完全に脱帽ものです。
・咲きたてのポピーしわしわ風の中
…「しわしわ」にリアリティーがあります。ここを飾ると平板で空疎な句となってしまいます。
掲句における「しわしわ」は決してネガティブなものではありませんが、読者には「しわしわ=萎えている」という固定化されたイメージがあるため、余計に「驚き」が生まれます。
『光まみれの蜂』の「まみれ」と同じく、俳句では適度な「俗」が全体を立体化し、より輝かせるものです。
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