【久留米っ子純情】
旅先の久留米にいます。
私は久留米で生まれ、大学院博士号取得後の32才頃まで、久留米で多くを過ごしました。
朝は飲み過ぎて悶絶していました。嘔吐を試みるも胃液すら出ませんでした。
まぁ、自業自得です。自己管理が出来ていない訳です。
ホテル(翠香園)のフロントに荷物を預ける際に、胃部不快感を訴えるとすぐに胃薬を2種類出してくれました。
さすがは医者の街・久留米です。
形ばかりの胃を携えて、馴染みの鮨屋(甚六寿し-花畑)へ…
もはや15 年以上の付き合いになります。ファミリーで経営してています。
ここは「手」で食すことをお勧めします。「箸」にも対応してくれますが、握り鮨本来の「シャリの触感」(指輪・口中-鮨を味わう要素の一つ)を愉しんで下さい。
タクシーの運転手さん、ホテルの方々、茶店の店員さん、鮨屋のファミリー…みな、おおらかで、「人の温もり」に溢れています。
心は緩みます。私の言葉も「筑後弁」に戻ります。
自分はこんなにも温かく、悪く言えば「ヌルい」にいたのか…最初は喜んでいましたが、次第にその温かさが怖くなり、また自分自身の違和感が怖くなり、ホテルの部屋に閉じこもりました。
ルーム・サービスで夕食を済ませましたが、係りの方がまた温かく、それが今の私の心には痛く感じられます。
自分はもはや「久留米っ子」ではなくなってしまった…自分のバックボーンを失った感じです。
来年は広島を離れる可能性が高く、次の職場を岡山以南に求めていますが、再考の余地がありそうです。
今はどこにも居場所がないように感じられます。
「温かさ」に触れ、つい心が緩んでしまいました。
そもそも私の肉体も精神も、八百万の神からの「授かりもの」です。
「授かりもの」はその使命を全うすれば、潔く天地に帰すべきかと思います。
人の温かさに傷つき、また枯野の沖へ戻りゆく…嗚呼、はぐれ狼どこへ行く。
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