・玉子酒どないもこないもあるかいな
坪内稔典氏の作品の匂いもしますが、掲句の作者像を想像してみて下さい…
正解は…高校の後輩にあたるM先生が顧問をしている、松山H高校・俳句部の高校一年(16才)の女生徒です。
まずは掲句を純粋に(作者像を除外)鑑賞したいと思います。
この場面には複数の人物がいます。歌舞伎の「人情物」を連想します。
場所は友人宅か、自宅(長く連れ添った良妻?あり)を想像します。
中高年の男が、仕事上での理不尽なことへの不満を、気のおける人(場所)で吐露しています。
相手は普段とは違う主人公の雰囲気に対し、「おや、けったいな顔してどないしたん?、まぁ、何か飲むかぇ?」という最初の投げかけに対し、「どないもこないもあるかいな、何でもええわ、寒いから玉子酒にしとってや」といったやりとりを想像します。
「ごった煮」の感じのする「玉子酒」と関西弁…ここは共通項であり、掲句はそれを効果的に用いています。
実は私は「玉子酒」を飲んだことがありません。酒は味わって飲みます。
いずれにしましても、口語俳句では久し振りに感心しました。いい作品です。
さて16才の女生徒という作者像を踏まえて考えてみたいと思います。
少なくとも彼女はアルコールに慣れてはいません。
当初は、世のなかの「大人」に対する冷ややかな視線、嫌悪、そして彼女の「大人になることの抵抗」と捉えていました。
故・尾崎 豊の「15の夜」に代表される、多感で傷つきやすい繊細な心情です。
しかし…しばらく頭のなかで反芻していると、掲句の主人公は父やその友人、彼女の友人の父、そして隣人などの姿が浮かんできました。
そう考えると、世俗?に生きる人々への愛着とも取れてきます。
むしろわれわれの方が「16才の女生徒」というレッテルを貼っているのかも知れません。
大人は、自らの体験等から他人を自分の「物差し」で測り、ステロタイプな考えに拘泥しがちです。
作者の本心は分かりません…
しかし間接的ながら掲句は、大人の固定化した観念に柔軟性を持つよう提言しているようにも感じられます。
俳句もまたしかりで、「真理」なるものに対し、単調で同じベクトルのアプローチの危険性と、柔軟かつ多角的なアプローチの必要性を考えさせられます。
※ 部屋の中は散らかり放題です。「賀状書く」は大変です。明日は久留米に小旅行してきます。宿泊するかどうかは今のところ未定です。
0 件のコメント:
コメントを投稿