若手作家ブームについて
今から約四半世紀前の昭和六十一年頃、飯田龍太は『俳句研究』『俳壇』において、小林恭二は『文藝春秋』や著書『実用青春俳句講座』において、二十代・三十代の若手俳人を取り上げました。
小林恭二が取り上げた俳人は、夏屋番屋、小澤實、田中裕明、岸本尚毅、長谷川櫂、山田耕司などで、今や俳句界を担っている面々です。この時点では女性は一人も取り上げられていません。
飯田龍太が特に称賛したのが、小澤實と岸本尚毅です。
・夏芝居監物某出てすぐ死 小澤 實
・浅蜊の舌別の浅蜊の舌にさはり 同
・青大将実梅を分けてゆきにけり 岸本尚毅
・てぬぐゐの如く大きく花菖蒲 同
そして多くの俳人らの後押しもあり、世代交代さながらに(第一次?)若手作家ブームが起こりました。
そして今、(第二次?)若手作家ブームが起きています。
しかし先の若手作家ブームと現在のそれには違いがあります。
先の若手作家ブームは、将来の俳句界を牽引するであろうニューリーダーの発掘という気運がありました。また若手作家の活動は俳句界の範疇に収まりました。
現在の若手作家ブームは、ともすれば文芸性より話題性が優先されます。彼らの活動(アピール)の場は俳句界に収まりません。
これらはネットをはじめとした社会現象の変化に加え、商業ベースの介入に依るところももあります。
しかし肝腎の若手作家が、そのことに気付いていない例も見受けられます。
現在の若手作家ブームに諸問題が存在するのは事実です。
しかし最も重要な課題は、彼らが四半世紀後に俳句界を担う存在になるか否かということです。
四半世紀後といえば、現在の団塊の世代の影響も薄れ、「結社」そのものが激減する可能性は高いでしょう。
四半世紀後、私も七十才を越えますが、おそらく生きています。
社会や私個人も変わるでしょう。それでも俳句界の変遷や現在の若手作家の動向は知ることが出来ます。
2013年1月31日木曜日
2013年1月30日水曜日
寒さが少し弛み過ごしやすくなりました。「節分」「寒明」「立春」を迎えます。
それでも「初春」「早春」は、「春浅し」「冴返る」「余寒」「春寒」「遅春」など時候の季語が表すように、まだ本格的な春らしさを実感するのは先になります。
自然は少しずつではありますが確かに移ろいを見せませす。
「時候」のみならず、「天文」「生活・人事」「動物」「植物」のそれぞれは、季節の移ろいの中で絶えず変化しています。
どの季節においても移行期は存在します。それぞれの季節は岩のようなものではなくなだらかに移行します。
古人らは季節の僅かな変化を見逃さず、それが今日も生きています。その日本人の繊細な心は大事にしたいものです。
しかしながら冒頭に挙げた「初春」「早春」「春浅し」「冴返る」「余寒」「春寒」「遅春」というこれらの季語に対し、本意・本情を踏まえ、使い分け作句するのは実は困難です。その理由の一つとして、近隣・類縁の季語らには重複するところがあります。
それでも特に初学者は、先ずは「冴返る」など重要季語とされているものから作句してみるのがよいでしょう。その際には近縁の季語も歳時記で調べておくことが大事です。
このことは「冴返る」という季語を用いた句の確かさを保証するだけでなく、他者の俳句を「正しく」読むことに繋がります。そして次の機会に近縁の季語を詠む際のステップとなります。
便宜上、歳時記は重要季語と言われる太い縦糸とそれ以外の細い糸が織りなすものとしましょう。やがてはそれらは密度を増し、織物であったり地下茎や芋の蔓のようにに上下左右と綿密なものとなります。
初学者にとっては、重要季語の太い縦糸の本数を増やすことが重要と考えます。
歳時記で重要季語を引けば、詳しい本意・本情に加え、数多の例句があります。
例えば「梅」や「桜」、本来ならば「春」。
初学者にとってはこれらは「壁」のような存在でしょう。ここで挑むか、避けるか。
まさしくそこが、上達する者とそうでない者の分岐点の一つです。
まずしっかりとした「写生」し、そして例句を何度も音読し、そこから何らかのエッセンスやインスピレーションを受け、そして「自分らしさ」を出し句作してみて下さい。ファイティング・スピリットがあれば何度失敗しても構いません。
最初は重労働でしょう。それでもやがて後は苦しさは半減し、楽しさも増えます。
「学問に王道なし」…それでも効率の良いトレーニングや柔軟性のある思考は、それを物理的に半減し、精神的に余裕を持ちながら進むことを可能にすると信じています。
それでも「初春」「早春」は、「春浅し」「冴返る」「余寒」「春寒」「遅春」など時候の季語が表すように、まだ本格的な春らしさを実感するのは先になります。
自然は少しずつではありますが確かに移ろいを見せませす。
「時候」のみならず、「天文」「生活・人事」「動物」「植物」のそれぞれは、季節の移ろいの中で絶えず変化しています。
どの季節においても移行期は存在します。それぞれの季節は岩のようなものではなくなだらかに移行します。
古人らは季節の僅かな変化を見逃さず、それが今日も生きています。その日本人の繊細な心は大事にしたいものです。
しかしながら冒頭に挙げた「初春」「早春」「春浅し」「冴返る」「余寒」「春寒」「遅春」というこれらの季語に対し、本意・本情を踏まえ、使い分け作句するのは実は困難です。その理由の一つとして、近隣・類縁の季語らには重複するところがあります。
それでも特に初学者は、先ずは「冴返る」など重要季語とされているものから作句してみるのがよいでしょう。その際には近縁の季語も歳時記で調べておくことが大事です。
このことは「冴返る」という季語を用いた句の確かさを保証するだけでなく、他者の俳句を「正しく」読むことに繋がります。そして次の機会に近縁の季語を詠む際のステップとなります。
便宜上、歳時記は重要季語と言われる太い縦糸とそれ以外の細い糸が織りなすものとしましょう。やがてはそれらは密度を増し、織物であったり地下茎や芋の蔓のようにに上下左右と綿密なものとなります。
初学者にとっては、重要季語の太い縦糸の本数を増やすことが重要と考えます。
歳時記で重要季語を引けば、詳しい本意・本情に加え、数多の例句があります。
例えば「梅」や「桜」、本来ならば「春」。
初学者にとってはこれらは「壁」のような存在でしょう。ここで挑むか、避けるか。
まさしくそこが、上達する者とそうでない者の分岐点の一つです。
まずしっかりとした「写生」し、そして例句を何度も音読し、そこから何らかのエッセンスやインスピレーションを受け、そして「自分らしさ」を出し句作してみて下さい。ファイティング・スピリットがあれば何度失敗しても構いません。
最初は重労働でしょう。それでもやがて後は苦しさは半減し、楽しさも増えます。
「学問に王道なし」…それでも効率の良いトレーニングや柔軟性のある思考は、それを物理的に半減し、精神的に余裕を持ちながら進むことを可能にすると信じています。
2013年1月29日火曜日
ネット社会の普及により、初学者が容易に自分の作品を公開する時代となりました。
思想・発表の自由はさておき、初学者でも向上心のある人ならば自分の客観的評価を知りたいと思うはずです。
客観的評価とは、ネット上の「お気に入り」や「いいね」の数ではありません。
プロによる評価つまりは「選」です。
そうした方にはやはり「選」を受けることをお勧めします。
「選」によりハードル(高さ)と自分の実曲が客観視できるようになります。
それでは最初にどういうところに投句し選をすればよいのでしょうか。
地方新聞への投句から始めることも良い方法の一つでしょう。
私自身、地方新聞への投句から始めました。自分の経験を踏まえて話します。
ただ地方新聞にも差異があります。
大都市圏他の地方都市と比べ一般にレベルが高いものです。これは近隣の地方新聞に投句することである程度解消できます。まずは低いハードルから。
次に一回(一週または隔週)あたりの投句数。
出来るだけ許容されている投句数の最大まで用いて下さい。
ネット上のバーチャルな掲載と違い、「選」を受けて活字として掲載されることはやはり嬉しいものです。
地方新聞にほぼ毎週上位者として掲載されるようになれば、最低のハードルはクリアしたと言えます。
以後は自身で方向性を決めても良いでしょう。
この時点のの前後に結社やスクールに入ることは効果的です。
初めから入会すれば「万年一句」となることは容易に想像できます。初めから壁にぶち当たり、自尊心が保てません。
ハードルの低いものから高いものへと移行していく上での成功の喜びや自負は、初学者を次第に中級者へといざなう糧になる筈です。
思想・発表の自由はさておき、初学者でも向上心のある人ならば自分の客観的評価を知りたいと思うはずです。
客観的評価とは、ネット上の「お気に入り」や「いいね」の数ではありません。
プロによる評価つまりは「選」です。
そうした方にはやはり「選」を受けることをお勧めします。
「選」によりハードル(高さ)と自分の実曲が客観視できるようになります。
それでは最初にどういうところに投句し選をすればよいのでしょうか。
地方新聞への投句から始めることも良い方法の一つでしょう。
私自身、地方新聞への投句から始めました。自分の経験を踏まえて話します。
ただ地方新聞にも差異があります。
大都市圏他の地方都市と比べ一般にレベルが高いものです。これは近隣の地方新聞に投句することである程度解消できます。まずは低いハードルから。
次に一回(一週または隔週)あたりの投句数。
出来るだけ許容されている投句数の最大まで用いて下さい。
ネット上のバーチャルな掲載と違い、「選」を受けて活字として掲載されることはやはり嬉しいものです。
地方新聞にほぼ毎週上位者として掲載されるようになれば、最低のハードルはクリアしたと言えます。
以後は自身で方向性を決めても良いでしょう。
この時点のの前後に結社やスクールに入ることは効果的です。
初めから入会すれば「万年一句」となることは容易に想像できます。初めから壁にぶち当たり、自尊心が保てません。
ハードルの低いものから高いものへと移行していく上での成功の喜びや自負は、初学者を次第に中級者へといざなう糧になる筈です。
2013年1月28日月曜日
まだ疲れやすく眠ってばかりで、活動的になれません。今は心身が休息を求めているようです。
初学者とネットの話を少し。
まずはネット以前の話から。
池田澄子氏や正木ゆう子氏らは結社の枠を越え、ファックスで相互に投句し選・句評をしていました。
長谷川櫂氏は飴山實を師と仰ぎ、古風ながら書簡にて投句・添削を受けていました。
そして今ではメールによる添削・指導も珍しくはありません。
しかしこれらは全て内部で処理され、公開されることはありません。
今やネットが普及し、誰でも何処でもネット上に簡単に公開することが出来ます。
初学者にとって俳句の敷居は低くなりました。
ただ残念なことに、結果として上達への「遠回り」をしているように感じます。
個人の言論・自由・表現の自由はさておき、初学者の作品もネットに公開した時点で衆目の評価を浴びています。ネットは個人の備忘録ではありません。
それでは初学者はどうしたら良いのか?
能動的な姿勢が上達への第一歩かも知れません。
初学者とネットの話を少し。
まずはネット以前の話から。
池田澄子氏や正木ゆう子氏らは結社の枠を越え、ファックスで相互に投句し選・句評をしていました。
長谷川櫂氏は飴山實を師と仰ぎ、古風ながら書簡にて投句・添削を受けていました。
そして今ではメールによる添削・指導も珍しくはありません。
しかしこれらは全て内部で処理され、公開されることはありません。
今やネットが普及し、誰でも何処でもネット上に簡単に公開することが出来ます。
初学者にとって俳句の敷居は低くなりました。
ただ残念なことに、結果として上達への「遠回り」をしているように感じます。
個人の言論・自由・表現の自由はさておき、初学者の作品もネットに公開した時点で衆目の評価を浴びています。ネットは個人の備忘録ではありません。
それでは初学者はどうしたら良いのか?
能動的な姿勢が上達への第一歩かも知れません。
2013年1月27日日曜日
何とか風邪から離脱しました。
健康に越したことはありませんが、病があるからこそ、普段はあまり気にかけない健康の有り難さが分かります。
直木賞作品「何者(なにもの) 浅井リョウ」(新潮社)を読みました。やや普遍性に欠く舞台設定ですが、就活に喘ぐ若者らの姿が描かれています。
ラストにやや不満は残るものの、人間関係の希薄さ、若者の不安定なアイデンティティー、現在社会の抱える歪みや閉塞感を感じました。
さて日本の詩歌では古くから「雪月花」という「三種の景物」を重んじてきました。
白居易の詩「寄殷協律」の一句「雪月花時最憶君(雪月花の時 最も君を憶ふ)」に依ります。
日本三景や日本三名園はその影響を受けています。
日本三景;雪-天橋立、月-松島、花(紅葉を花に見立てる)-宮島
日本三名園:雪-兼六園、月-後楽園、花(梅)-偕楽園
やがて「雪月花」に、ほととぎす・紅葉を加え、「五箇の景物」と言われます。
「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえてすずしかりけり 道元」「道元禅師和歌集」
いずれにしても「雪」は日本の詩歌を語る上で欠かせない存在です。
雪の「ユ」(斎)は神聖という意味があります。稲を司る神の便りと考えたからです。
「雪」の例句を列記します。
・雪に獲したなごぞ雪のにほふなる 篠田悌二郎
・雪はげし抱かれて息の詰まりしこと 橋本多佳子
・降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男
・雪降れり時間の束の降るごとく 石田波郷
・おびたゞしき靴跡雪に印し征けり 沢木欣一
・雪激し何の夾雑物もなし 津田清子
・南無阿弥陀南無の高さに雪の墓 仲 寒蟬
・口寄せに呼ばれざる魂雪となる 中原道夫
・泥に降る雪うつくしや泥になる 小川軽舟
・まだもののかたちに雪の積もりをり 片山由美子
健康に越したことはありませんが、病があるからこそ、普段はあまり気にかけない健康の有り難さが分かります。
直木賞作品「何者(なにもの) 浅井リョウ」(新潮社)を読みました。やや普遍性に欠く舞台設定ですが、就活に喘ぐ若者らの姿が描かれています。
ラストにやや不満は残るものの、人間関係の希薄さ、若者の不安定なアイデンティティー、現在社会の抱える歪みや閉塞感を感じました。
さて日本の詩歌では古くから「雪月花」という「三種の景物」を重んじてきました。
白居易の詩「寄殷協律」の一句「雪月花時最憶君(雪月花の時 最も君を憶ふ)」に依ります。
日本三景や日本三名園はその影響を受けています。
日本三景;雪-天橋立、月-松島、花(紅葉を花に見立てる)-宮島
日本三名園:雪-兼六園、月-後楽園、花(梅)-偕楽園
やがて「雪月花」に、ほととぎす・紅葉を加え、「五箇の景物」と言われます。
「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえてすずしかりけり 道元」「道元禅師和歌集」
いずれにしても「雪」は日本の詩歌を語る上で欠かせない存在です。
雪の「ユ」(斎)は神聖という意味があります。稲を司る神の便りと考えたからです。
「雪」の例句を列記します。
・雪に獲したなごぞ雪のにほふなる 篠田悌二郎
・雪はげし抱かれて息の詰まりしこと 橋本多佳子
・降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男
・雪降れり時間の束の降るごとく 石田波郷
・おびたゞしき靴跡雪に印し征けり 沢木欣一
・雪激し何の夾雑物もなし 津田清子
・南無阿弥陀南無の高さに雪の墓 仲 寒蟬
・口寄せに呼ばれざる魂雪となる 中原道夫
・泥に降る雪うつくしや泥になる 小川軽舟
・まだもののかたちに雪の積もりをり 片山由美子
2013年1月26日土曜日
少し体調が良くなった気はしますが、まだ全身倦怠感が強いままです。
角川「俳句」二月号特別作品50句 『単身赴任』 小川軽舟 より
どの句も生活に密着してはいますが、不快な生活臭はしません。
私が採ったのは次の句です。
・職場ぢゆう関西弁や渡り鳥
・妻来たる一泊二日石蕗の花
・公園に大人ばかりの小春かな
・凩や間口あらはに自転車屋
・定食に満腹したる聖夜かな
・靴墨のつんと香のたつ淑気かな
・住む町を見下ろす神社初鴉
・がんばりの利く古釘や日脚伸ぶ
一句目…作者の戸惑いと離人感を感じます。下五は「鳥渡る」でも良いのではと思いますが、「渡り鳥」としています。やや自虐めいた作者自身の隠喩かも知れません。
二句目…「石蕗の花」の明るさが心細い心に差し込む様子が伺えます。「石蕗の花」の配合が見事です。
三句目…現代の世相を表しています。見慣れた風景でも所変われば改めて違和感を覚えるものです。
四句目…自転車屋の暗さ、古い部品、奧の居住スペースまで見えてきそうです。「凩」の配合が見事です。
五句目…クリスマスを気にせず淡々とした企業戦士?の外面です。内面は分かりませんが、それほど侘びしさは伝わってきません。
「へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男」こちらは侘びしさが漂います。
六句目…淑気を靴墨の香に感じています。お屠蘇気分の社会人に比べ、新たなる土地、職場を迎え、前向きに仕事に向き合う姿勢が滲み出ています。
七句目…見下ろしているのは作者ですが、「初鴉」も作者の投影かも知れません。
八句目…古釘は長く感じられた冬や、その冬を生き抜いた作者の隠喩かと思われます。「何とかこの冬をしのいだ、もうすぐ春だ」と作者が自身に言い聞かせているように感じられます。
・行秋や漱ぎてにほふ歯磨粉…「行秋」にやや疑問が残りました。
その他気になった句は
・行秋や漱ぎてにほふ歯磨粉 ・綿虫のあたりきのふのあるごとし
・折詰の紐つまみたり年忘 ・小晦日用足して町暮れにけり
・雪降るや雪降る前のこと古し ・ゆらゆらと重さありけり寒卵 です。
角川「俳句」二月号特別作品50句 『単身赴任』 小川軽舟 より
どの句も生活に密着してはいますが、不快な生活臭はしません。
私が採ったのは次の句です。
・職場ぢゆう関西弁や渡り鳥
・妻来たる一泊二日石蕗の花
・公園に大人ばかりの小春かな
・凩や間口あらはに自転車屋
・定食に満腹したる聖夜かな
・靴墨のつんと香のたつ淑気かな
・住む町を見下ろす神社初鴉
・がんばりの利く古釘や日脚伸ぶ
一句目…作者の戸惑いと離人感を感じます。下五は「鳥渡る」でも良いのではと思いますが、「渡り鳥」としています。やや自虐めいた作者自身の隠喩かも知れません。
二句目…「石蕗の花」の明るさが心細い心に差し込む様子が伺えます。「石蕗の花」の配合が見事です。
三句目…現代の世相を表しています。見慣れた風景でも所変われば改めて違和感を覚えるものです。
四句目…自転車屋の暗さ、古い部品、奧の居住スペースまで見えてきそうです。「凩」の配合が見事です。
五句目…クリスマスを気にせず淡々とした企業戦士?の外面です。内面は分かりませんが、それほど侘びしさは伝わってきません。
「へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男」こちらは侘びしさが漂います。
六句目…淑気を靴墨の香に感じています。お屠蘇気分の社会人に比べ、新たなる土地、職場を迎え、前向きに仕事に向き合う姿勢が滲み出ています。
七句目…見下ろしているのは作者ですが、「初鴉」も作者の投影かも知れません。
八句目…古釘は長く感じられた冬や、その冬を生き抜いた作者の隠喩かと思われます。「何とかこの冬をしのいだ、もうすぐ春だ」と作者が自身に言い聞かせているように感じられます。
・行秋や漱ぎてにほふ歯磨粉…「行秋」にやや疑問が残りました。
その他気になった句は
・行秋や漱ぎてにほふ歯磨粉 ・綿虫のあたりきのふのあるごとし
・折詰の紐つまみたり年忘 ・小晦日用足して町暮れにけり
・雪降るや雪降る前のこと古し ・ゆらゆらと重さありけり寒卵 です。
2013年1月25日金曜日
ようやく感冒から離脱しつつありますが、まだ体力が充分ではありません。
初学の頃の本について
最初に出会う本が後まで影響を及ぼすことが少なくありません。
初学の頃に読んだ本では藤田湘子氏の著作に影響を受けました。
「俳句の佇い」「調べの重要性」…それらは今も私の源泉です。
次に影響を受けたのは長谷川櫂氏の「一億人の俳句入門」でした。その頃、角川出版より「角川俳句大歳時記」が出版され、その付録に後に「一億人の季語入門」となる冊子があり、触発されました。
今では多くの俳句入門書があります。
今の入門書の多くは「取り合わせ」から入っています。それが本来あるべき姿かも知れません。
しかしなかなか初学者は「取り合わせ」に抵抗を感じます。歳時記に馴染んでもいません。「切れ」も熟知していません。
「一物仕立て」ではかなりのことは言い尽くされており、「発見」がなければ「ただごと」になりがちですが、初学者にとっては散文に近い「一物仕立て」の方が、導入に抵抗が少ないのです。
「取り合わせ」で初学者が悩むことは、季語との距離感です。
まず季語の本意・本情を充分に理解していません。それ抜きに「取り合わせ」は成功しません。
次に信頼のおける選者の選や指導を受けることです。
最初は失敗を怖れず出来るだけ離してみる方が良いか思います。「離れ過ぎ」なら少し手前にしてみる。以外にも丁度いいポイントは、予想していた以上に遠くにありものです。
ポイントを初めから近場にし、そこから遠くを探る方法は勧められません。
不幸にも句会などで「即き過ぎ」の句が評価されると、作者は失敗を怖れ「離す」ことが困難となります。ひいては将来の作風に繋がりかねません。
話を戻します。
入門書の後半には、「句会の進め方」や「結社について」という項目が並びます。
特に「結社について」の項目はトーンダウンしています。
結社の見本誌を取り寄せ見比べる、その主催の句集を読んでみると言われても、それが出来ないのが「初学者」なのですから、そのあたりが何とかならないものかと思います。
初学の頃の本について
最初に出会う本が後まで影響を及ぼすことが少なくありません。
初学の頃に読んだ本では藤田湘子氏の著作に影響を受けました。
「俳句の佇い」「調べの重要性」…それらは今も私の源泉です。
次に影響を受けたのは長谷川櫂氏の「一億人の俳句入門」でした。その頃、角川出版より「角川俳句大歳時記」が出版され、その付録に後に「一億人の季語入門」となる冊子があり、触発されました。
今では多くの俳句入門書があります。
今の入門書の多くは「取り合わせ」から入っています。それが本来あるべき姿かも知れません。
しかしなかなか初学者は「取り合わせ」に抵抗を感じます。歳時記に馴染んでもいません。「切れ」も熟知していません。
「一物仕立て」ではかなりのことは言い尽くされており、「発見」がなければ「ただごと」になりがちですが、初学者にとっては散文に近い「一物仕立て」の方が、導入に抵抗が少ないのです。
「取り合わせ」で初学者が悩むことは、季語との距離感です。
まず季語の本意・本情を充分に理解していません。それ抜きに「取り合わせ」は成功しません。
次に信頼のおける選者の選や指導を受けることです。
最初は失敗を怖れず出来るだけ離してみる方が良いか思います。「離れ過ぎ」なら少し手前にしてみる。以外にも丁度いいポイントは、予想していた以上に遠くにありものです。
ポイントを初めから近場にし、そこから遠くを探る方法は勧められません。
不幸にも句会などで「即き過ぎ」の句が評価されると、作者は失敗を怖れ「離す」ことが困難となります。ひいては将来の作風に繋がりかねません。
話を戻します。
入門書の後半には、「句会の進め方」や「結社について」という項目が並びます。
特に「結社について」の項目はトーンダウンしています。
結社の見本誌を取り寄せ見比べる、その主催の句集を読んでみると言われても、それが出来ないのが「初学者」なのですから、そのあたりが何とかならないものかと思います。
2013年1月24日木曜日
九州の山奥に住んでいる私の母もインフルエンザでダウンしています。私はわずかながら復調の兆しはあります。皆様も気を付けて下さい。
割烹や小料理点等で、一般の人から「俳句と川柳はどう違うの?」と尋ねられることがあります。
広辞苑で「川柳」を引くと
「前句付(まえくづけ)から独立した17文字の短詩。江戸中期、明和(1764〜1772)ごろから隆盛。発句とは違って、切れ字・季節などの制約がない。多く口語を用い、人情・風俗、人生の弱点・世俗の欠陥等をうがち、簡潔・滑稽・機知・諷刺・奇警が特色。江戸末期のものは低俗に堕し、狂句と呼ばれた。」
とあります。
・行水の捨て所なき虫の声 鬼 貫
を川柳では
「鬼貫は夜中盥を持ち歩き」
と冷やかしています。川柳は江戸の大衆文化として発展していきます。
上記のことを一般の人に短時間に話しても理解は得られません。
俳句に限ったことではありませんが、最小限の時間で最大公約数の明示を求められることがあります。まず大きく分かり易く外観から提示します。
個人的に私は次のように話しています。
「俳句と川柳に厳密な線引きはない。川柳は滑稽を主体として時事を詠むことが多いが、それ故に普遍性にも乏しい。俳句は四季を詠み、ある程度の普遍性を持つ」
そして普遍性については例えば「政治の諷刺」「パソコン用語」、また「流行語」等の例を挙げます。
川柳は今でも「サラリーマン川柳」(サラ川)のに見られるよう盛んです。
狂歌(五・七・五・七・七)、狂句(五・七・五)はやがて衰退していきました。
ただ「肥後狂句」等、地域に根ざしている例もあります。
結局のところ現在の我々がよく知る詩型は、五・七・五と五・七・五・七・七に集約されています。
都々逸(七・七・七・五)は主に古典落語の枕として残存している程度と言っても過言ではないでしょう。
主に落語等で耳にする都々逸は
「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」
でしょうか。
牡丹の方が芍薬より背が高く、おかしという意見もあります。以前は私も同様でした。
しかし「芍薬」と「牡丹」を入れ替えると、調子(リズム)に乱れが生じます。
事実はそうかもしれないが、元より戯れ歌めいた座興であり、細かいことは気にせず、調子を整えることの方が大事なのかも知れません。
リズムの重要性は俳句でも同じです。中七を容易には動かせないことに通じます。
割烹や小料理点等で、一般の人から「俳句と川柳はどう違うの?」と尋ねられることがあります。
広辞苑で「川柳」を引くと
「前句付(まえくづけ)から独立した17文字の短詩。江戸中期、明和(1764〜1772)ごろから隆盛。発句とは違って、切れ字・季節などの制約がない。多く口語を用い、人情・風俗、人生の弱点・世俗の欠陥等をうがち、簡潔・滑稽・機知・諷刺・奇警が特色。江戸末期のものは低俗に堕し、狂句と呼ばれた。」
とあります。
・行水の捨て所なき虫の声 鬼 貫
を川柳では
「鬼貫は夜中盥を持ち歩き」
と冷やかしています。川柳は江戸の大衆文化として発展していきます。
上記のことを一般の人に短時間に話しても理解は得られません。
俳句に限ったことではありませんが、最小限の時間で最大公約数の明示を求められることがあります。まず大きく分かり易く外観から提示します。
個人的に私は次のように話しています。
「俳句と川柳に厳密な線引きはない。川柳は滑稽を主体として時事を詠むことが多いが、それ故に普遍性にも乏しい。俳句は四季を詠み、ある程度の普遍性を持つ」
そして普遍性については例えば「政治の諷刺」「パソコン用語」、また「流行語」等の例を挙げます。
川柳は今でも「サラリーマン川柳」(サラ川)のに見られるよう盛んです。
狂歌(五・七・五・七・七)、狂句(五・七・五)はやがて衰退していきました。
ただ「肥後狂句」等、地域に根ざしている例もあります。
結局のところ現在の我々がよく知る詩型は、五・七・五と五・七・五・七・七に集約されています。
都々逸(七・七・七・五)は主に古典落語の枕として残存している程度と言っても過言ではないでしょう。
主に落語等で耳にする都々逸は
「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」
でしょうか。
牡丹の方が芍薬より背が高く、おかしという意見もあります。以前は私も同様でした。
しかし「芍薬」と「牡丹」を入れ替えると、調子(リズム)に乱れが生じます。
事実はそうかもしれないが、元より戯れ歌めいた座興であり、細かいことは気にせず、調子を整えることの方が大事なのかも知れません。
リズムの重要性は俳句でも同じです。中七を容易には動かせないことに通じます。
2013年1月23日水曜日
まだ全身倦怠感が強く、生産性に乏しい日々です。
おそらくインフルエンザによるものでしょう。
「句の前後の切れ」の話をしました。また以前に「かな遣いと口語・文語」の話をしました。例句を挙げ少しまとめをしてみます。「切れ」を「/」で表します。
・くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 飯田蛇笏
/くろがねの秋の風鈴鳴りにけり/
どの句にも句の前後に必ず「切れ」=「間」が生じます。
普段我々が話したり書くことという「日常」から切り離され、「非日常」である俳句の詩型のに移行し、また「日常」へと戻ります。
「句の前後の切れ」にはそうした作用があります。
また日常生活では用いない旧かな・文語による句では、「句の前後の切れ」が効果的に作用します。
おそらくインフルエンザによるものでしょう。
「句の前後の切れ」の話をしました。また以前に「かな遣いと口語・文語」の話をしました。例句を挙げ少しまとめをしてみます。「切れ」を「/」で表します。
・くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 飯田蛇笏
/くろがねの秋の風鈴鳴りにけり/
どの句にも句の前後に必ず「切れ」=「間」が生じます。
普段我々が話したり書くことという「日常」から切り離され、「非日常」である俳句の詩型のに移行し、また「日常」へと戻ります。
「句の前後の切れ」にはそうした作用があります。
また日常生活では用いない旧かな・文語による句では、「句の前後の切れ」が効果的に作用します。
2013年1月22日火曜日
体調はまだ芳しくありません。
体調不良の際、焦りが生じますが生産性は上がりません。無理をすればその後のバーン・アウト(燃え尽き)にも繋がります。
中・長期的にみるとやはり無理をしない方が良いようです。
個々の俳句の実力を判断するのは容易ではありませんが、個人的には一つの目安があります。以下の二句の構造を正しく述べられるか、否かです。
・一月の川一月の谷の中 飯田龍太
・遠山に日の当たりたる枯野かな 高浜虚子
一句目は(二句一章の)一物仕立て、二句目は取り合わせの変型です。
俳句の構造に対する理解も基本の一つです。
それではこの二句の「切れ」はどこにあるのでしょうか。「切れ」を「/」で表します。
/一月の川/一月の谷の中/
/遠山に日の当たりたる枯野かな/
「切れ」は「切れ字」と同じではありません。「切れ字」は「切れ」の一部です。
どちらも句の前後に必ず生じます。詳しいことはまた別の機会にします。
ただ二句目を指して「切れ」はないと言うのは誤りです。句の前後に「切れ」はあるが、句中に切れはないというのが正しい表現です。
取り合わせの変型の例をもうひとつ。
・さまざまの事おもひ出す桜かな 芭 蕉
/さまざまの事おもひ出す桜かな/
取り合わせの変型は、このように「切れ」を生じることが少ないため一物仕立てと間違い易いのは事実です。この見分け方もまた別の機会に。
体調不良の際、焦りが生じますが生産性は上がりません。無理をすればその後のバーン・アウト(燃え尽き)にも繋がります。
中・長期的にみるとやはり無理をしない方が良いようです。
個々の俳句の実力を判断するのは容易ではありませんが、個人的には一つの目安があります。以下の二句の構造を正しく述べられるか、否かです。
・一月の川一月の谷の中 飯田龍太
・遠山に日の当たりたる枯野かな 高浜虚子
一句目は(二句一章の)一物仕立て、二句目は取り合わせの変型です。
俳句の構造に対する理解も基本の一つです。
それではこの二句の「切れ」はどこにあるのでしょうか。「切れ」を「/」で表します。
/一月の川/一月の谷の中/
/遠山に日の当たりたる枯野かな/
「切れ」は「切れ字」と同じではありません。「切れ字」は「切れ」の一部です。
どちらも句の前後に必ず生じます。詳しいことはまた別の機会にします。
ただ二句目を指して「切れ」はないと言うのは誤りです。句の前後に「切れ」はあるが、句中に切れはないというのが正しい表現です。
取り合わせの変型の例をもうひとつ。
・さまざまの事おもひ出す桜かな 芭 蕉
/さまざまの事おもひ出す桜かな/
取り合わせの変型は、このように「切れ」を生じることが少ないため一物仕立てと間違い易いのは事実です。この見分け方もまた別の機会に。
2013年1月21日月曜日
感冒はまだ快癒しません。以前は身体の不調をネガティブとしか捉えられませんでしたが、最近は「死に向かうための心の準備」と思えるようになりました。
大寒です。一方この時期は「春近し」でもあります。
旧暦では、「大寒」の翌日が「寒明け」「立春」「初春(はつはる)」で、「元日」でした。「節分」も元来は「大晦日」の「追儺」でした。
太陽暦を取り入れたことにより、約1ヶ月のズレが生じた訳です。
【大寒】
・大寒の埃の如く人死ぬる 高浜虚子
・常磐木の大寒に入るひびきかな 加藤楸邨
・大寒の一戸もかくれなき故郷 飯田龍太
【春近し】
・地を搏つて雀あらそふ春隣 堀口星眠
・井戸水に杉の香まじる春隣 福田甲子雄
・俎板に切るとんかつや春隣 小川軽舟
人間の五感は「視覚」「嗅覚」「聴覚」「味覚」「触覚」に分けられます。
「春近し」の一句目は視覚を、二句目は嗅覚を、そして三句目は聴覚で表現しています。
大寒です。一方この時期は「春近し」でもあります。
旧暦では、「大寒」の翌日が「寒明け」「立春」「初春(はつはる)」で、「元日」でした。「節分」も元来は「大晦日」の「追儺」でした。
太陽暦を取り入れたことにより、約1ヶ月のズレが生じた訳です。
【大寒】
・大寒の埃の如く人死ぬる 高浜虚子
・常磐木の大寒に入るひびきかな 加藤楸邨
・大寒の一戸もかくれなき故郷 飯田龍太
【春近し】
・地を搏つて雀あらそふ春隣 堀口星眠
・井戸水に杉の香まじる春隣 福田甲子雄
・俎板に切るとんかつや春隣 小川軽舟
人間の五感は「視覚」「嗅覚」「聴覚」「味覚」「触覚」に分けられます。
「春近し」の一句目は視覚を、二句目は嗅覚を、そして三句目は聴覚で表現しています。
2013年1月20日日曜日
感冒の症状が増悪しています。やはり辛いですね。
次のような句を想起します。
・「大和」よりヨモツヒラサカスミラサク 川崎展宏 (春)
・頭の中で白い夏野となつてゐる 高屋窓秋 (夏)
・鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな 蕪 村 (秋)
・大寒の埃の如く人死ぬる 高浜虚子 (冬)
さすがにここまで達観した句は想起しません。
・旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭 蕉
さて例句を挙げ文語に関する話をします。
・争はぬ種族ほろびぬ大枯野 田中裕明
上五「争はぬ」と中七の「ほろびぬ」の末尾は共に「ぬ」ですが、異なるものです。
上五「争はぬ」は、打ち消しの助動詞「ず」の連体形の「ぬ」です。「争ふ」の未然形「あらそ・は」に接続しています。
中七の「ほろびぬ」は、完了の助動詞「ぬ」の終止形の「ぬ」です。「ほろぶ」の連用形「ほろ・び」に接続しています。
つまり口語で言えば、「争はない種族はほろびてしまった」ということです。
インディアンやアイヌ民族、さらには植民地や古代文明をも連想します。
文語を避ける初学者(特に高齢者)がいます。
俳句の表現には大きく分けて、新かな・旧かな(歴史的かな遣い)と口語・文語であり、それの組み合わせにより、四通りの表現方法があります。
それでも大半は「旧かな・文語」の表現をとります。
俳句という短詩型では「日常」から「非日常」に移るにあたり、非常に有効な表現手段からです。また「句の切れ(特に句の前後の切れ)にも関わりますが、それは後日にしたいと思います。
俳句の定型17音に比べ短歌は31音ですから、散文に近くなり口語表現も比較的敷居が低くなります。
俳句に新かなや口語を用いている作品がありますが、その作者らに既は旧かな・文語に精通しています。初学者の弁明にはなりません。
文語を怠ると必ず行き詰まり伸び悩みます。結局は時間と労力の浪費となります。
まさしく「学問に王道なし」です。古語辞典に慣れる他ありません。
広辞苑には文語も載っていますが必ずしも一致しません。やはり古語辞典で調べて下さい。
次のような句を想起します。
・「大和」よりヨモツヒラサカスミラサク 川崎展宏 (春)
・頭の中で白い夏野となつてゐる 高屋窓秋 (夏)
・鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな 蕪 村 (秋)
・大寒の埃の如く人死ぬる 高浜虚子 (冬)
さすがにここまで達観した句は想起しません。
・旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭 蕉
さて例句を挙げ文語に関する話をします。
・争はぬ種族ほろびぬ大枯野 田中裕明
上五「争はぬ」と中七の「ほろびぬ」の末尾は共に「ぬ」ですが、異なるものです。
上五「争はぬ」は、打ち消しの助動詞「ず」の連体形の「ぬ」です。「争ふ」の未然形「あらそ・は」に接続しています。
中七の「ほろびぬ」は、完了の助動詞「ぬ」の終止形の「ぬ」です。「ほろぶ」の連用形「ほろ・び」に接続しています。
つまり口語で言えば、「争はない種族はほろびてしまった」ということです。
インディアンやアイヌ民族、さらには植民地や古代文明をも連想します。
文語を避ける初学者(特に高齢者)がいます。
俳句の表現には大きく分けて、新かな・旧かな(歴史的かな遣い)と口語・文語であり、それの組み合わせにより、四通りの表現方法があります。
それでも大半は「旧かな・文語」の表現をとります。
俳句という短詩型では「日常」から「非日常」に移るにあたり、非常に有効な表現手段からです。また「句の切れ(特に句の前後の切れ)にも関わりますが、それは後日にしたいと思います。
俳句の定型17音に比べ短歌は31音ですから、散文に近くなり口語表現も比較的敷居が低くなります。
俳句に新かなや口語を用いている作品がありますが、その作者らに既は旧かな・文語に精通しています。初学者の弁明にはなりません。
文語を怠ると必ず行き詰まり伸び悩みます。結局は時間と労力の浪費となります。
まさしく「学問に王道なし」です。古語辞典に慣れる他ありません。
広辞苑には文語も載っていますが必ずしも一致しません。やはり古語辞典で調べて下さい。
2013年1月19日土曜日
昨晩、耳朶がちぎれるほどの寒風に当たったせいか、また風邪に罹患してしまいました。
皆様も体調管理に気を付けて下さい。
「字余り」の話をします。
その前に俳句は「十七文字の詩」と言われますが、正しくは「十七音」または「十七拍」の詩というべきかと思います。
例えば「日短」は文字から言えば「ひみじか」と四音ですが、俳句では「ひいみじか」と五音で読むことが許されています。
角川「俳句」一月号に小川軽舟氏の「軽舟の俳句入門」⑬(p. 102〜107)に「調べをととのえることがなぜ大切なのか」と重複するところがあるかも知れません。
先ず自分の句作の話ですが、これまでの最も字余りとなったものは、九・七・六という形です。どう推敲しても俳句の「器」をはみ出ました。
一応ストックしますが、公開はしません。別のアプローチにより良いものが出来る可能性があると思うからです。
答えは一つではなく、またアプローチも一つではありません。
〈上五の字余り〉
これはよく見られます。
よく見かけるのは六または七です。「五・七調または七・五調」という調べでのためか、七・七・五は比較的安定します。
上六は下の字余りとも連動することが少なからずあります。下五の字余りで後述します。
上五の字余りの限界は八ないし九です。
プロの句で上十五、十六を知っていますが、良いものとは思えません。その理由として、 ① 定型の十七音に近づき俳句の器から完全にはみ出ること、 ② その字余りのなかに「切れ」がなく、冗長で韻文から離れる、ということが挙げられます。
〈中七の字余り〉
限りなく禁忌に近いと思われて下さい。
俳句には、言語による意味性と調べという音楽性が共存します。どちらが欠けても句としての成立は困難です。
特に中七は俳句の背骨とも言うべき音楽性が存在します。
プロでもかなりの技巧がなければ成功(成立)しません。逆に言えば中八の句の殆ど全ては推敲の余地があるとも言えます。
例外を二句揚げます。
・春ひとり槍投げて槍に歩み寄る。 能村登四郎
リフレインの作用によります。仮に「槍投げ槍に」とすると七音ですが、「て」という助詞の介在により「間(時間経過も含め)」が生まれ、春らしい情緒を醸しています。
・夏芝居監物某出てすぐ死 小澤 實
中八は「けんもつなにがし」と読みます。分解してみると、
夏芝居(5)・監物(4)・某(4)・出て・(2)すぐ(2)・死(1)…()は音数
このように上から下へと減数化しています。スリリングなまでのスピード感に溢れ、中八であることも気になりません。技巧の極みとも言えます。
〈下五の字余り〉
これは六音しかありません。七音、またそれ以上は禁忌と思われて下さい。
「係り結び」に加え中七・下五に「句またがり」する時にしばしば生じます。
また別に上五の字余りと連動することも少なくありません。特に六・七・六は中七を中心に上下が同じ音数であり、比較的バランスが保たれます。
例句を挙げます。
・父がつけしわが名立子や月を仰ぐ 星野立子
「月仰ぐ」とせず、助詞「を」の介在により、「月」と「仰ぐ」に「間」が生まれ、季語である「月」は存在感を増し、より鮮やかに見えてきます。
このように下五に二、三文字の季語と活用語(主に動詞・助動詞)が入る場合、助詞を介在させることにより一層季語が引き立つ場合があります。
実作において「字余り」を試みる場合、先ずは上五の字余りから始めるのが良いかと思います。それに充分慣れたら下五の字余りまたは上五と下五の字余りへ段階的に移行するのが良いかと思います。
皆様も体調管理に気を付けて下さい。
「字余り」の話をします。
その前に俳句は「十七文字の詩」と言われますが、正しくは「十七音」または「十七拍」の詩というべきかと思います。
例えば「日短」は文字から言えば「ひみじか」と四音ですが、俳句では「ひいみじか」と五音で読むことが許されています。
角川「俳句」一月号に小川軽舟氏の「軽舟の俳句入門」⑬(p. 102〜107)に「調べをととのえることがなぜ大切なのか」と重複するところがあるかも知れません。
先ず自分の句作の話ですが、これまでの最も字余りとなったものは、九・七・六という形です。どう推敲しても俳句の「器」をはみ出ました。
一応ストックしますが、公開はしません。別のアプローチにより良いものが出来る可能性があると思うからです。
答えは一つではなく、またアプローチも一つではありません。
〈上五の字余り〉
これはよく見られます。
よく見かけるのは六または七です。「五・七調または七・五調」という調べでのためか、七・七・五は比較的安定します。
上六は下の字余りとも連動することが少なからずあります。下五の字余りで後述します。
上五の字余りの限界は八ないし九です。
プロの句で上十五、十六を知っていますが、良いものとは思えません。その理由として、 ① 定型の十七音に近づき俳句の器から完全にはみ出ること、 ② その字余りのなかに「切れ」がなく、冗長で韻文から離れる、ということが挙げられます。
〈中七の字余り〉
限りなく禁忌に近いと思われて下さい。
俳句には、言語による意味性と調べという音楽性が共存します。どちらが欠けても句としての成立は困難です。
特に中七は俳句の背骨とも言うべき音楽性が存在します。
プロでもかなりの技巧がなければ成功(成立)しません。逆に言えば中八の句の殆ど全ては推敲の余地があるとも言えます。
例外を二句揚げます。
・春ひとり槍投げて槍に歩み寄る。 能村登四郎
リフレインの作用によります。仮に「槍投げ槍に」とすると七音ですが、「て」という助詞の介在により「間(時間経過も含め)」が生まれ、春らしい情緒を醸しています。
・夏芝居監物某出てすぐ死 小澤 實
中八は「けんもつなにがし」と読みます。分解してみると、
夏芝居(5)・監物(4)・某(4)・出て・(2)すぐ(2)・死(1)…()は音数
このように上から下へと減数化しています。スリリングなまでのスピード感に溢れ、中八であることも気になりません。技巧の極みとも言えます。
〈下五の字余り〉
これは六音しかありません。七音、またそれ以上は禁忌と思われて下さい。
「係り結び」に加え中七・下五に「句またがり」する時にしばしば生じます。
また別に上五の字余りと連動することも少なくありません。特に六・七・六は中七を中心に上下が同じ音数であり、比較的バランスが保たれます。
例句を挙げます。
・父がつけしわが名立子や月を仰ぐ 星野立子
「月仰ぐ」とせず、助詞「を」の介在により、「月」と「仰ぐ」に「間」が生まれ、季語である「月」は存在感を増し、より鮮やかに見えてきます。
このように下五に二、三文字の季語と活用語(主に動詞・助動詞)が入る場合、助詞を介在させることにより一層季語が引き立つ場合があります。
実作において「字余り」を試みる場合、先ずは上五の字余りから始めるのが良いかと思います。それに充分慣れたら下五の字余りまたは上五と下五の字余りへ段階的に移行するのが良いかと思います。
2013年1月18日金曜日
2013年1月17日木曜日
東日本を中心に雪害が深刻です。
天気図は西高東低の気圧配置で、オホーツク海上には低気圧の塊があり、東日本を中心に狭い等圧線が並んでいます。
こういう時は日本海側は大荒れで、海では冬怒濤が咆哮します。
昔サーフィン(ショートボード)をしていました。日本海の冬怒濤にハード・コア・サーファーは嬉嬉とします。周りから見ればクレイジーの一言です。
間もなく「大寒」ですが「春近し(春隣)」とのギャップを感じることでしょう。
そうは言っても臘梅は開花し、水仙も咲き初めています。梅の蕾も膨らんでいます。多少の気候変動があっても植物をはじめ自然は「大きな嘘」はつきません。
俳句に携わっていると、季節の移り変わりに敏感になります。作品の評価も大事ですが、そうした「豊かに生きる」ことが、まず第一義かも知れません。
前衛的な作品群に触発され俳句を始めることも構いませんが、それでもいつかは俳句の根底を流れるものに触れ豊かに生きて欲しいと思う次第です。
天気図は西高東低の気圧配置で、オホーツク海上には低気圧の塊があり、東日本を中心に狭い等圧線が並んでいます。
こういう時は日本海側は大荒れで、海では冬怒濤が咆哮します。
昔サーフィン(ショートボード)をしていました。日本海の冬怒濤にハード・コア・サーファーは嬉嬉とします。周りから見ればクレイジーの一言です。
間もなく「大寒」ですが「春近し(春隣)」とのギャップを感じることでしょう。
そうは言っても臘梅は開花し、水仙も咲き初めています。梅の蕾も膨らんでいます。多少の気候変動があっても植物をはじめ自然は「大きな嘘」はつきません。
俳句に携わっていると、季節の移り変わりに敏感になります。作品の評価も大事ですが、そうした「豊かに生きる」ことが、まず第一義かも知れません。
前衛的な作品群に触発され俳句を始めることも構いませんが、それでもいつかは俳句の根底を流れるものに触れ豊かに生きて欲しいと思う次第です。
2013年1月16日水曜日
宿酔です。充分に暖を維持せぬまま寝込み、朝方寒気を覚え目覚めました。また風邪に罹患するのでは、とヒヤリとしました。
皆様も体調管理に気をつけて下さい。「春近し」といえど本格的に「暖か」と感じるのはまだ先になります。
さて歳時記の話です。
私が使用している歳時記は「カラー版 新日本歳時記」(2000年、講談社)と角川俳句大歳時記(2006、角川学芸出版)、またインターネットでは「新・増殖する俳句歳時記」(清水哲男氏)を利用させて頂いています。季寄せは用いません。
歳時記を用いるにあたり、最も重要なことは季語の本意・本情をしっかりと掴むことです。例句はそれを裏打ちします。作句にあたり季語に背くしても(反花鳥諷詠?)、やはりそもそもの季語の本意・本情を熟知する必要があります。
季寄せではこのことが不足します。手っ取り早いと思われるかもしれませんが、それが続くと、季語の本意・本情を理解せぬまま、いつまでもピントの外れた句を作るという陥穽に陥りがちです。特に取り合わせの句ではそのことが明白となります。結局は時間と労力の浪費となり、悪癖もなかなか修正できません。「急がば回れ」ということでしょうか。
歳時記も大型のものがいいですね。情報量もそれだけ違います。大型の歳時記とは別に小型の歳時記を持っている方もおられるでしょうが、ついつい小型のものに頼りがちとなります。そうなると上記の季寄せの弊害の延長線に繋がります。
個人的にはスマートフォンのアプリをいれてはいますが、殆ど用いません。
常日頃から歳時記に親しむことは重要です。今必要でなくとも、将来のため用意しておくのです。プロでも歳時記を読んでいます。
ただ2013年の今となっては、例句がやや古いと感じるようになってきました。
そこで「日本の歳時記」(2012、小学館)を購入しました。捲っていくと図版は多いのですが、季語の本意・本情の説明や例句が極端に少ないことに気付きます。歳時記としての条件を満たしているとは思えませんが、俳句図鑑として用いることにします。
皆様も体調管理に気をつけて下さい。「春近し」といえど本格的に「暖か」と感じるのはまだ先になります。
さて歳時記の話です。
私が使用している歳時記は「カラー版 新日本歳時記」(2000年、講談社)と角川俳句大歳時記(2006、角川学芸出版)、またインターネットでは「新・増殖する俳句歳時記」(清水哲男氏)を利用させて頂いています。季寄せは用いません。
歳時記を用いるにあたり、最も重要なことは季語の本意・本情をしっかりと掴むことです。例句はそれを裏打ちします。作句にあたり季語に背くしても(反花鳥諷詠?)、やはりそもそもの季語の本意・本情を熟知する必要があります。
季寄せではこのことが不足します。手っ取り早いと思われるかもしれませんが、それが続くと、季語の本意・本情を理解せぬまま、いつまでもピントの外れた句を作るという陥穽に陥りがちです。特に取り合わせの句ではそのことが明白となります。結局は時間と労力の浪費となり、悪癖もなかなか修正できません。「急がば回れ」ということでしょうか。
歳時記も大型のものがいいですね。情報量もそれだけ違います。大型の歳時記とは別に小型の歳時記を持っている方もおられるでしょうが、ついつい小型のものに頼りがちとなります。そうなると上記の季寄せの弊害の延長線に繋がります。
個人的にはスマートフォンのアプリをいれてはいますが、殆ど用いません。
常日頃から歳時記に親しむことは重要です。今必要でなくとも、将来のため用意しておくのです。プロでも歳時記を読んでいます。
ただ2013年の今となっては、例句がやや古いと感じるようになってきました。
そこで「日本の歳時記」(2012、小学館)を購入しました。捲っていくと図版は多いのですが、季語の本意・本情の説明や例句が極端に少ないことに気付きます。歳時記としての条件を満たしているとは思えませんが、俳句図鑑として用いることにします。
2013年1月15日火曜日
全国的に天気は荒れ模様で、雪害に見舞われた方もいるかと思います。
山間部は別として広島は小雨程度です。
新年の行事もそろそろ終りです。
この時期の重要な季語としては【小正月】【餅花】【左義長】などがあります。
【小正月】
・杣が家の百合根あんかけ小正月 阿部月山子
【餅花】
・餅花のなだれんとして宙にあり 栗生純生
・ささめごとめきて餅花揺れ交す 三村純也
町並みで見かける「餅花」はプラスチック製が多く、風情に欠けますね。
「吊り雛(ひいな)(吊るし飾り)」を連想します。
福岡県柳川市には「さげもん」という、独特の「雛祭」があります。
旧柳川藩主・立花家の別邸だった「御花」で「さげもん」や庭園を見て、お掘を舟で巡り(冬は炬燵あり)、料亭(要予約)で有明海の幸を堪能するコースがお勧め。時には天然鰻を味わえる機会も…
【左義長】
・どんど火の跳ねてふるさと逃げもせず 福田甲子雄
・金箔の剥がれとびたる吉初揚 茨木和生
・どんど火の芯を恵方に引き倒す 伊藤浩子
実際にあった話ですが、「左義長」を「ひだりぎっちょ」と読まないように。
山間部は別として広島は小雨程度です。
新年の行事もそろそろ終りです。
この時期の重要な季語としては【小正月】【餅花】【左義長】などがあります。
【小正月】
・杣が家の百合根あんかけ小正月 阿部月山子
【餅花】
・餅花のなだれんとして宙にあり 栗生純生
・ささめごとめきて餅花揺れ交す 三村純也
町並みで見かける「餅花」はプラスチック製が多く、風情に欠けますね。
「吊り雛(ひいな)(吊るし飾り)」を連想します。
福岡県柳川市には「さげもん」という、独特の「雛祭」があります。
旧柳川藩主・立花家の別邸だった「御花」で「さげもん」や庭園を見て、お掘を舟で巡り(冬は炬燵あり)、料亭(要予約)で有明海の幸を堪能するコースがお勧め。時には天然鰻を味わえる機会も…
【左義長】
・どんど火の跳ねてふるさと逃げもせず 福田甲子雄
・金箔の剥がれとびたる吉初揚 茨木和生
・どんど火の芯を恵方に引き倒す 伊藤浩子
実際にあった話ですが、「左義長」を「ひだりぎっちょ」と読まないように。
2013年1月14日月曜日
成人の日です。
「成人の日」は新年の季語として納められています。
松の内(十五日として)であり、「寿ぐ」ということからでしょう。
昭和二十三年(1948)、国民の祝日として一月十五日に制定。
平成十二年(2000)にハッピーマンデー法により一月の第二月曜となる。
ハッピーマンデー法は、日曜と月曜の連休にする目的で、「成人の日」と「体育の日」に施行されています。脳天気なネーミングですが…
当然ながら私の頃は一月十五日でした。当時は挫折の只中であり、また面倒臭いと感じ成人式を欠席しました。
・成人の日をくろがねのラッセル車 成田千空
・八方の嶺吹雪をり成人祭 福田甲子雄
新年詠では多いことですが、冬の季語との季重なりとなっています。
・美しき紐に縛られ成人式 竹森美喜
「縛られ」という措辞のなまめかしさはさておき、次の句をすぐに連想します。
・花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ(春) 杉田久女
「成人の日」は新年の季語として納められています。
松の内(十五日として)であり、「寿ぐ」ということからでしょう。
昭和二十三年(1948)、国民の祝日として一月十五日に制定。
平成十二年(2000)にハッピーマンデー法により一月の第二月曜となる。
ハッピーマンデー法は、日曜と月曜の連休にする目的で、「成人の日」と「体育の日」に施行されています。脳天気なネーミングですが…
当然ながら私の頃は一月十五日でした。当時は挫折の只中であり、また面倒臭いと感じ成人式を欠席しました。
・成人の日をくろがねのラッセル車 成田千空
・八方の嶺吹雪をり成人祭 福田甲子雄
新年詠では多いことですが、冬の季語との季重なりとなっています。
・美しき紐に縛られ成人式 竹森美喜
「縛られ」という措辞のなまめかしさはさておき、次の句をすぐに連想します。
・花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ(春) 杉田久女
2013年1月13日日曜日
韻文である俳句の詩型は基本的に十七文字です。多くの事象を述べることは出来ません。
しかしその十七文字は、文字情報による伝達のみならず、「記憶の抽斗の鍵」となります。抽斗から溢れる記憶や観念により俳句の情報は伝達および共有されます。
【少女みな紺の水着を絞りけり 佐藤文香】
この句は言外に多くの情報を含んでいます。
例えば中七を言語ではぼ同じである「スクール水着」と置き換えてみます。
〈少女みなスクール水着絞りけり〉…これでは言外の情報は乏しくなります。
「紺の水着を」とすることにより、「紺の」の「の」、「水着を」の「を」という助詞の介在により、まず「水着」が強調され、中七の句中に「間」を生じます。「間」にはリズムを整えると同時に内容にリアリティーを持たせる効果があります。
そこで初めて「記憶の抽斗の鍵」となり得ます。
抽斗を開けると、思春期を迎えた少女らの女の「匂い」が感じられます。滴る水やプールサイドに流れる水にさえエロティックなまでの女の「匂い」が染みているようです。
しかしその十七文字は、文字情報による伝達のみならず、「記憶の抽斗の鍵」となります。抽斗から溢れる記憶や観念により俳句の情報は伝達および共有されます。
【少女みな紺の水着を絞りけり 佐藤文香】
この句は言外に多くの情報を含んでいます。
例えば中七を言語ではぼ同じである「スクール水着」と置き換えてみます。
〈少女みなスクール水着絞りけり〉…これでは言外の情報は乏しくなります。
「紺の水着を」とすることにより、「紺の」の「の」、「水着を」の「を」という助詞の介在により、まず「水着」が強調され、中七の句中に「間」を生じます。「間」にはリズムを整えると同時に内容にリアリティーを持たせる効果があります。
そこで初めて「記憶の抽斗の鍵」となり得ます。
抽斗を開けると、思春期を迎えた少女らの女の「匂い」が感じられます。滴る水やプールサイドに流れる水にさえエロティックなまでの女の「匂い」が染みているようです。
2013年1月12日土曜日
今日から三連休の方も多いかと思います。お屠蘇気分がなかなか抜けません。
また【寒の内】ですから尚更活動性が鈍ります。
【寒の内】
・投函のたびにポストへ光入る 山口優夢 「残像」
・木犀や同棲二年目の畳 髙柳克弘 「未踏」
・少女みな紺の水着を絞りけり 佐藤文香 「海藻標本」
また【寒の内】ですから尚更活動性が鈍ります。
【寒の内】
・物として寒の畳に座しゐたり 村越化石
・現身(うつしみ)の寒極まりし笑ひ声 岡本 眸
・東海道なんと寒九のゆきわたる 松澤雅世
・捨て石のなかに石臼寒四郎 亀田虎童子
最近読んだ句集より(不勉強で申し訳ありません)
・下半身省略されて案山子佇つ 大石雄鬼 「だぶだぶの服」
・枇杷咲いてなかぞら軽くなりにけり 金子 敦 「乗船券」
・葉ずれみな言の葉となる五月かな 堀本裕樹 「熊野曼荼羅」
・負鶏を蛇口の水に洗ひをり 押野 裕 「雲の座」・投函のたびにポストへ光入る 山口優夢 「残像」
・木犀や同棲二年目の畳 髙柳克弘 「未踏」
・少女みな紺の水着を絞りけり 佐藤文香 「海藻標本」
2013年1月11日金曜日
2013年1月10日木曜日
何とか風邪は快癒の方向です。年々に心身の衰えを覚えます。
しかし見方によっては、老いや死に対する心構えの準備にもなり得るかとも思います。
さて季語の話です。
歳時記では春夏秋冬に応じ、時候・天文・地理・生活(人事)・動物・植物に分類され、さらに細分化されます。また各々は地下茎のように互いに関連を持ちます。
ただ例えば【春】をとってみても、殆ど全ての季語は【春】に関わっています。ですからまず【春】という季語の本意・本情を理解し臨むのが良いかと思います。どの季節にも言えることです。
【春】
・腸に春滴るや粥の味 夏目漱石
しかし見方によっては、老いや死に対する心構えの準備にもなり得るかとも思います。
さて季語の話です。
歳時記では春夏秋冬に応じ、時候・天文・地理・生活(人事)・動物・植物に分類され、さらに細分化されます。また各々は地下茎のように互いに関連を持ちます。
ただ例えば【春】をとってみても、殆ど全ての季語は【春】に関わっています。ですからまず【春】という季語の本意・本情を理解し臨むのが良いかと思います。どの季節にも言えることです。
【春】
・腸に春滴るや粥の味 夏目漱石
・女身仏に春剥落のつづきをり 細見綾子
【夏】
【夏】
・算術の少年しのび泣けり夏 西東三鬼
・プラタナス並木一直線に夏 片山由美子
【秋】
【秋】
・くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 飯田蛇笏
・線香の灰に線香立てて秋 廣瀬直人
【冬】
・山河はや冬かがやきて位に即けり 飯田龍太
【冬】
・山河はや冬かがやきて位に即けり 飯田龍太
・冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ 川崎展宏
2013年1月9日水曜日
何とか風邪の峠は越えたようですが、快癒していません。
全国的に流行しているようです。乳幼児や老人では、気管支炎・肺炎を引き起こし死に至ることも稀ではありません。
風邪、咳、嚔、水洟の例句を挙げます。
【風邪】
・風邪おして着る制服の釦多し 榎本冬一郎
・とほくから子供が風邪をつれてきぬ 鴇田智哉
一句目は社会人の辛さが伝わります。
二句目は易しい言葉で深い内容を叙しています。見倣いたいものです。
【咳】
・せきをしてもひとり 尾崎放哉
・咳き込めば我火の玉のごとくなり 川端茅舎
二人の咳は結核によるものです。
・咳の子のなぞなぞあそびきりもなや 中村汀女
末尾の「もなや」は、「も」接続助詞(余情-強調・感動)・「な」は「なし(形・活用)」の語幹・「や」は助詞(詠嘆・感動)と思います。
【嚔】
・くしやみの子答へ忘れてしまひけり 山根繁義
・大嚔して自転車のぐらつけり 小西領南
多くの例は滑稽さが主体です。
・洗礼のみどりご小さき嚔せり 藤田 宏
この嚔は滑稽さではなく、小さな命への賛歌と取れます。
【水洟】
・水洟をすすりて拝む神ほとけ 青柳志解樹
滑稽(諧謔)に加え、悲哀が滲んでいます。
全国的に流行しているようです。乳幼児や老人では、気管支炎・肺炎を引き起こし死に至ることも稀ではありません。
風邪、咳、嚔、水洟の例句を挙げます。
【風邪】
・風邪おして着る制服の釦多し 榎本冬一郎
・とほくから子供が風邪をつれてきぬ 鴇田智哉
一句目は社会人の辛さが伝わります。
二句目は易しい言葉で深い内容を叙しています。見倣いたいものです。
【咳】
・せきをしてもひとり 尾崎放哉
・咳き込めば我火の玉のごとくなり 川端茅舎
二人の咳は結核によるものです。
・咳の子のなぞなぞあそびきりもなや 中村汀女
末尾の「もなや」は、「も」接続助詞(余情-強調・感動)・「な」は「なし(形・活用)」の語幹・「や」は助詞(詠嘆・感動)と思います。
【嚔】
・くしやみの子答へ忘れてしまひけり 山根繁義
・大嚔して自転車のぐらつけり 小西領南
多くの例は滑稽さが主体です。
・洗礼のみどりご小さき嚔せり 藤田 宏
この嚔は滑稽さではなく、小さな命への賛歌と取れます。
【水洟】
・水洟をすすりて拝む神ほとけ 青柳志解樹
滑稽(諧謔)に加え、悲哀が滲んでいます。
2013年1月8日火曜日
風邪はまだ治りそうもありません。心も体も貧しさを覚えますが、焦りは禁物と自分に言い聞かせています。
寒の内です。小寒・大寒を経て寒明(立春の前日二月三日頃)までのおよそ三十日間をいいます。寒に入って四日目を寒四郎、九日目を寒九といいます。
初春の季語に「余寒」があります。暦の上では寒が明けて春を迎えているものの、まだ残る寒さがあるというのが本意です。
ですから「余寒なほ」という措辞には問題があるのですが、実際のところ少なからず例句があります。しかしやはり本意から外れていますので使用は避けたいところです。
物として寒の畳に座しゐたり 村越化石
現身(うつしみ)の寒極まりし笑ひ声 岡本 眸
寒の内です。小寒・大寒を経て寒明(立春の前日二月三日頃)までのおよそ三十日間をいいます。寒に入って四日目を寒四郎、九日目を寒九といいます。
初春の季語に「余寒」があります。暦の上では寒が明けて春を迎えているものの、まだ残る寒さがあるというのが本意です。
ですから「余寒なほ」という措辞には問題があるのですが、実際のところ少なからず例句があります。しかしやはり本意から外れていますので使用は避けたいところです。
物として寒の畳に座しゐたり 村越化石
現身(うつしみ)の寒極まりし笑ひ声 岡本 眸
東海道なんと寒九のゆきわたる 松澤雅世
捨て石のなかに石臼寒四郎 亀田虎童子
2013年1月7日月曜日
風邪で弱っています。インフルエンザかも知れません。アレルギーのためワクチンが打てません。
ここ二日程は句作も出来ませんが、以前ほど焦りはありません。コンディションの悪い時は頭の回転も悪く生産性に乏しいものです。
さて七種(七草)です。春の七草と言っても良いでしょう。旧暦では正月一日(元日)から春です。旧暦の正月は現在の旧正月にあたり、陽暦と約1ヶ月のズレが生じます。
芹・薺・御形・はこべら・仏の座・すずな・すずしろ
せりなずなごぎょうはこべら母縮む
ほとけのざすずなすずしろ父禿(ち)びる 坪内稔典
七種を行平(雪平)鍋の粥に投じます。薺だけでも粥(湯気)の白さと緑の対比が鮮やかです。
それに対し秋の七草は
萩・芒・葛(の花)・撫子(夏期)・女郎花・藤袴・桔梗
ここ二日程は句作も出来ませんが、以前ほど焦りはありません。コンディションの悪い時は頭の回転も悪く生産性に乏しいものです。
さて七種(七草)です。春の七草と言っても良いでしょう。旧暦では正月一日(元日)から春です。旧暦の正月は現在の旧正月にあたり、陽暦と約1ヶ月のズレが生じます。
芹・薺・御形・はこべら・仏の座・すずな・すずしろ
せりなずなごぎょうはこべら母縮む
ほとけのざすずなすずしろ父禿(ち)びる 坪内稔典
七種を行平(雪平)鍋の粥に投じます。薺だけでも粥(湯気)の白さと緑の対比が鮮やかです。
それに対し秋の七草は
萩・芒・葛(の花)・撫子(夏期)・女郎花・藤袴・桔梗
2013年1月6日日曜日
「寒の入」です。
年末・年始の暴飲暴食による体調不良に加え、間違えてエアコンを冷房にしたまま寝てしまい「風邪」の入ともなってしまいました。
俳句も体調不良の時は休むに限ります。頭も鈍くなっています。
個人的にはそれなりに出来ることをしています。例えば歳時記より今の節季(晩冬)の季語を書き出したり、広辞苑(電子辞書など)の暗記帳をワープロに書き出したりします。また小説を読んだり、部屋で映画を見たりしています。そうしたことも俳句の辺縁となります。
初学の頃は若さや体力もあったのでしょうが、焦燥感が強くかなり無理をしました。高熱のなか旅行も強行していました。
旅先での発見は意外にも近辺にも存在するのですが、当初はそれを見逃しがちです。
逆説的になりますが、ある時期にはそうした経験も必要かも知れません。体験は実感を伴い強固に記憶に残ります。
今はあまり旅行をしません。ただ以前の旅の記憶がいい具合に残っています。赤ワインの澱が沈み飲み頃になっているのにも似ています。
もちろん次の仕込みも必要ですが、それも次第に要領が良くなっていきます。
年末・年始の暴飲暴食による体調不良に加え、間違えてエアコンを冷房にしたまま寝てしまい「風邪」の入ともなってしまいました。
俳句も体調不良の時は休むに限ります。頭も鈍くなっています。
個人的にはそれなりに出来ることをしています。例えば歳時記より今の節季(晩冬)の季語を書き出したり、広辞苑(電子辞書など)の暗記帳をワープロに書き出したりします。また小説を読んだり、部屋で映画を見たりしています。そうしたことも俳句の辺縁となります。
初学の頃は若さや体力もあったのでしょうが、焦燥感が強くかなり無理をしました。高熱のなか旅行も強行していました。
旅先での発見は意外にも近辺にも存在するのですが、当初はそれを見逃しがちです。
逆説的になりますが、ある時期にはそうした経験も必要かも知れません。体験は実感を伴い強固に記憶に残ります。
今はあまり旅行をしません。ただ以前の旅の記憶がいい具合に残っています。赤ワインの澱が沈み飲み頃になっているのにも似ています。
もちろん次の仕込みも必要ですが、それも次第に要領が良くなっていきます。
2013年1月5日土曜日
陽暦一月五日頃より「寒の入」で「節分」まで約三十日間「寒(の内)」となります。正月七日の「人日」「七種粥」も含まれてしまいます。
現在、これまでの句を整理していますが、冬の句が少ないですことに気付きます。要因は様々です。他の季節とバランスが取れるよう補填している最中です。
それでもこうした作業を通して、その季節にとらわれることなく、一年を円環とみなし俯瞰することが容易になります。例えば冬に夏の句を作ることも可能です。
自慢にもならず、参考にもならない話です。
私は「机上派」です。とはいえ全くの「虚」の句も作りません。幼少の頃からの記憶やこれまでの一人での旅や吟行、そして日常の生活(厨ごと俳句)における体感を脳裏に残しつつ、多少の時間をかけてそれらを漉すような作業をします。
上記の場合でも句帳は持参せず、即吟もしません。。記憶に残ったことは自室に戻りメモする程度です。感情を伴う記憶は簡単には忘却しません。
当然ですが句会の吟行詠を苦手とします。その吟行詠が入選しても、私に「快」はありません。その句が自分に馴染んでいないからです。欲求不満が頭をもたげます。この状況を改善する努力はしてますが、今の私には精神衛生上良くありません。
あくまでも本道から外れている一個人のケースであり、皆様は各々のスタイルやスタンスで俳句に携わって下さい。
現在、これまでの句を整理していますが、冬の句が少ないですことに気付きます。要因は様々です。他の季節とバランスが取れるよう補填している最中です。
それでもこうした作業を通して、その季節にとらわれることなく、一年を円環とみなし俯瞰することが容易になります。例えば冬に夏の句を作ることも可能です。
自慢にもならず、参考にもならない話です。
私は「机上派」です。とはいえ全くの「虚」の句も作りません。幼少の頃からの記憶やこれまでの一人での旅や吟行、そして日常の生活(厨ごと俳句)における体感を脳裏に残しつつ、多少の時間をかけてそれらを漉すような作業をします。
上記の場合でも句帳は持参せず、即吟もしません。。記憶に残ったことは自室に戻りメモする程度です。感情を伴う記憶は簡単には忘却しません。
当然ですが句会の吟行詠を苦手とします。その吟行詠が入選しても、私に「快」はありません。その句が自分に馴染んでいないからです。欲求不満が頭をもたげます。この状況を改善する努力はしてますが、今の私には精神衛生上良くありません。
あくまでも本道から外れている一個人のケースであり、皆様は各々のスタイルやスタンスで俳句に携わって下さい。
2013年1月4日金曜日
非常に寒い朝です。雪は降っておらず夜空は澄んでいます。放射冷却によるものです。こうした日の昼間は「冬日和(冬晴)」となりがちです。
正月三が日を経ればすぐに「寒の入」です。「小寒」「大寒」という「寒の内」を「節分」で締め、ようやく「立春」です。
俳句においては、旧暦と新暦の入り交じる現代は悩ましいところです。
ところで今日は「仕事始」の方が多いでしょう。しかし今年は金曜日の今日を挟んでまた土日を迎えます。本格的な仕事は週明けからでしょうか。
〈仕事始とて人に会うばかりなり 大橋越央子〉
歳時記には「仕事始」は二日と十一日に行うことが多いとありますが、現代では農業・漁業などを除けば一般的に四日となるのでしょうか。
「仕事始」は傍題を含め多くの表現があります。「初仕事」、官公庁の「御用始」(原則四日)、民間企業などの「事務始」。ざっと歳時記を見回すと「秤始(はかりぞめ)」「初原稿」「稿始」「河岸始(かしはじめ)」「医務始」「初出勤」なども。
〈初仕事コンクリートを叩き割り 辻田克巳〉
お屠蘇気分が吹っ飛んでしまう感があります。正月十一日の「鏡開(鏡割)」を連想させ、おそらくそれに因んでいると思います。
〈創傷の抜糸を仕事始とす 有泉七種〉
医師として実感があります。抜糸は切創の縫合の後1週間で施行します。年末に「忘年会」か何かで怪我をした人が縫合を受けているのでしょう。「医務始」は救急でない限り四日ですので、抜糸のタイミングと合致します。年末に怪我した人は「医務始」まで、風呂も入らず飲酒も控え目にし、自分で傷を消毒し、抗生剤の軟膏を塗り、包帯を巻き、抗生剤を内服していたことでしょう。個人的には両方の体験がありますが、一人で二役をこなすこともあります(役得でしょうか?)。
正月三が日を経ればすぐに「寒の入」です。「小寒」「大寒」という「寒の内」を「節分」で締め、ようやく「立春」です。
俳句においては、旧暦と新暦の入り交じる現代は悩ましいところです。
ところで今日は「仕事始」の方が多いでしょう。しかし今年は金曜日の今日を挟んでまた土日を迎えます。本格的な仕事は週明けからでしょうか。
〈仕事始とて人に会うばかりなり 大橋越央子〉
歳時記には「仕事始」は二日と十一日に行うことが多いとありますが、現代では農業・漁業などを除けば一般的に四日となるのでしょうか。
「仕事始」は傍題を含め多くの表現があります。「初仕事」、官公庁の「御用始」(原則四日)、民間企業などの「事務始」。ざっと歳時記を見回すと「秤始(はかりぞめ)」「初原稿」「稿始」「河岸始(かしはじめ)」「医務始」「初出勤」なども。
〈初仕事コンクリートを叩き割り 辻田克巳〉
お屠蘇気分が吹っ飛んでしまう感があります。正月十一日の「鏡開(鏡割)」を連想させ、おそらくそれに因んでいると思います。
〈創傷の抜糸を仕事始とす 有泉七種〉
医師として実感があります。抜糸は切創の縫合の後1週間で施行します。年末に「忘年会」か何かで怪我をした人が縫合を受けているのでしょう。「医務始」は救急でない限り四日ですので、抜糸のタイミングと合致します。年末に怪我した人は「医務始」まで、風呂も入らず飲酒も控え目にし、自分で傷を消毒し、抗生剤の軟膏を塗り、包帯を巻き、抗生剤を内服していたことでしょう。個人的には両方の体験がありますが、一人で二役をこなすこともあります(役得でしょうか?)。
2013年1月3日木曜日
2013年1月2日水曜日
2013年1月1日火曜日
俳句を中心とした文芸に、時に私個人の日記を織り交ぜ進めていく所存です。
宜しくお願い致します。
例句の出典は主に角川俳句大歳時記(角川書店)と新日本大歳時記(講談社)です。
謹賀新年
元日の重要季語だけでもかなりの数があります。
主な季語と代表句を列記します。
【去年今年】 去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子
【元日】 元日や手を洗ひをる夕ごころ 芥川龍之介
(元朝) 元旦の一字も置かぬ原稿紙 神蔵器
【初空】 初空へさし出す獅子の首(かしら)かな 一茶
【初日】 大濤にをどり現れ初日の出 高浜虚子
【初景色】 たちまちに火の海となり初景色 鷹羽狩行
【初富士】 夕まで初富士のある籬かな 松本たかし
【屠蘇祝ふ】 屠蘇酌むや光琳の鶴啼かんとす 室生犀星
【雑煮祝ふ】 殖えてまた減りゆく家族雑煮食ふ 大橋桜坡子
【初詣】 御手洗の杓の柄青し初詣 杉田久女
【初鴉】 雪山の大白妙に初烏 田村木国
また明日は三が日に関わる重要季語と代表句を紹介します。
それでは皆様、良い元日を、良い正月を、良い一年をお迎え下さい。
宜しくお願い致します。
例句の出典は主に角川俳句大歳時記(角川書店)と新日本大歳時記(講談社)です。
謹賀新年
元日の重要季語だけでもかなりの数があります。
主な季語と代表句を列記します。
【去年今年】 去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子
【元日】 元日や手を洗ひをる夕ごころ 芥川龍之介
(元朝) 元旦の一字も置かぬ原稿紙 神蔵器
【初空】 初空へさし出す獅子の首(かしら)かな 一茶
【初日】 大濤にをどり現れ初日の出 高浜虚子
【初景色】 たちまちに火の海となり初景色 鷹羽狩行
【初富士】 夕まで初富士のある籬かな 松本たかし
【屠蘇祝ふ】 屠蘇酌むや光琳の鶴啼かんとす 室生犀星
【雑煮祝ふ】 殖えてまた減りゆく家族雑煮食ふ 大橋桜坡子
【初詣】 御手洗の杓の柄青し初詣 杉田久女
【初鴉】 雪山の大白妙に初烏 田村木国
また明日は三が日に関わる重要季語と代表句を紹介します。
それでは皆様、良い元日を、良い正月を、良い一年をお迎え下さい。
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