2013年1月19日土曜日

昨晩、耳朶がちぎれるほどの寒風に当たったせいか、また風邪に罹患してしまいました。
皆様も体調管理に気を付けて下さい。

「字余り」の話をします。

その前に俳句は「十七文字の詩」と言われますが、正しくは「十七音」または「十七拍」の詩というべきかと思います。
例えば「日短」は文字から言えば「ひみじか」と四音ですが、俳句では「ひいみじか」と五音で読むことが許されています。

角川「俳句」一月号に小川軽舟氏の「軽舟の俳句入門」⑬(p. 102〜107)に「調べをととのえることがなぜ大切なのか」と重複するところがあるかも知れません。

先ず自分の句作の話ですが、これまでの最も字余りとなったものは、九・七・六という形です。どう推敲しても俳句の「器」をはみ出ました。
一応ストックしますが、公開はしません。別のアプローチにより良いものが出来る可能性があると思うからです。
答えは一つではなく、またアプローチも一つではありません。

〈上五の字余り〉 
これはよく見られます。
よく見かけるのは六または七です。「五・七調または七・五調」という調べでのためか、七・七・五は比較的安定します。

上六は下の字余りとも連動することが少なからずあります。下五の字余りで後述します。

上五の字余りの限界は八ないし九です。
プロの句で上十五、十六を知っていますが、良いものとは思えません。その理由として、 ① 定型の十七音に近づき俳句の器から完全にはみ出ること、 ②  その字余りのなかに「切れ」がなく、冗長で韻文から離れる、ということが挙げられます。

〈中七の字余り〉
限りなく禁忌に近いと思われて下さい。
俳句には、言語による意味性と調べという音楽性が共存します。どちらが欠けても句としての成立は困難です。
特に中七は俳句の背骨とも言うべき音楽性が存在します。
プロでもかなりの技巧がなければ成功(成立)しません。逆に言えば中八の句の殆ど全ては推敲の余地があるとも言えます。

例外を二句揚げます。

・春ひとり槍投げて槍に歩み寄る。   能村登四郎

リフレインの作用によります。仮に「槍投げ槍に」とすると七音ですが、「て」という助詞の介在により「間(時間経過も含め)」が生まれ、春らしい情緒を醸しています。

・夏芝居監物某出てすぐ死       小澤 實

中八は「けんもつなにがし」と読みます。分解してみると、
夏芝居(5)・監物(4)・某(4)・出て・(2)すぐ(2)・死(1)…()は音数
このように上から下へと減数化しています。スリリングなまでのスピード感に溢れ、中八であることも気になりません。技巧の極みとも言えます。

〈下五の字余り〉
これは六音しかありません。七音、またそれ以上は禁忌と思われて下さい。
「係り結び」に加え中七・下五に「句またがり」する時にしばしば生じます。
また別に上五の字余りと連動することも少なくありません。特に六・七・六は中七を中心に上下が同じ音数であり、比較的バランスが保たれます。

例句を挙げます。

・父がつけしわが名立子や月を仰ぐ   星野立子

「月仰ぐ」とせず、助詞「を」の介在により、「月」と「仰ぐ」に「間」が生まれ、季語である「月」は存在感を増し、より鮮やかに見えてきます。

このように下五に二、三文字の季語と活用語(主に動詞・助動詞)が入る場合、助詞を介在させることにより一層季語が引き立つ場合があります。

実作において「字余り」を試みる場合、先ずは上五の字余りから始めるのが良いかと思います。それに充分慣れたら下五の字余りまたは上五と下五の字余りへ段階的に移行するのが良いかと思います。

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