寒さが少し弛み過ごしやすくなりました。「節分」「寒明」「立春」を迎えます。
それでも「初春」「早春」は、「春浅し」「冴返る」「余寒」「春寒」「遅春」など時候の季語が表すように、まだ本格的な春らしさを実感するのは先になります。
自然は少しずつではありますが確かに移ろいを見せませす。
「時候」のみならず、「天文」「生活・人事」「動物」「植物」のそれぞれは、季節の移ろいの中で絶えず変化しています。
どの季節においても移行期は存在します。それぞれの季節は岩のようなものではなくなだらかに移行します。
古人らは季節の僅かな変化を見逃さず、それが今日も生きています。その日本人の繊細な心は大事にしたいものです。
しかしながら冒頭に挙げた「初春」「早春」「春浅し」「冴返る」「余寒」「春寒」「遅春」というこれらの季語に対し、本意・本情を踏まえ、使い分け作句するのは実は困難です。その理由の一つとして、近隣・類縁の季語らには重複するところがあります。
それでも特に初学者は、先ずは「冴返る」など重要季語とされているものから作句してみるのがよいでしょう。その際には近縁の季語も歳時記で調べておくことが大事です。
このことは「冴返る」という季語を用いた句の確かさを保証するだけでなく、他者の俳句を「正しく」読むことに繋がります。そして次の機会に近縁の季語を詠む際のステップとなります。
便宜上、歳時記は重要季語と言われる太い縦糸とそれ以外の細い糸が織りなすものとしましょう。やがてはそれらは密度を増し、織物であったり地下茎や芋の蔓のようにに上下左右と綿密なものとなります。
初学者にとっては、重要季語の太い縦糸の本数を増やすことが重要と考えます。
歳時記で重要季語を引けば、詳しい本意・本情に加え、数多の例句があります。
例えば「梅」や「桜」、本来ならば「春」。
初学者にとってはこれらは「壁」のような存在でしょう。ここで挑むか、避けるか。
まさしくそこが、上達する者とそうでない者の分岐点の一つです。
まずしっかりとした「写生」し、そして例句を何度も音読し、そこから何らかのエッセンスやインスピレーションを受け、そして「自分らしさ」を出し句作してみて下さい。ファイティング・スピリットがあれば何度失敗しても構いません。
最初は重労働でしょう。それでもやがて後は苦しさは半減し、楽しさも増えます。
「学問に王道なし」…それでも効率の良いトレーニングや柔軟性のある思考は、それを物理的に半減し、精神的に余裕を持ちながら進むことを可能にすると信じています。
0 件のコメント:
コメントを投稿