追記;「かな」の句は「一物仕立て」か、「取り合わせの変型」か?
・いきながら一つに冰(こお)る海鼠哉
・さまざまのこと事おもひ出す桜かな 芭 蕉
どちらも芭蕉の句です。両方とも「かな」で終わっています。
結果を先に言えば、一句目は「一物仕立て」、二句目は「取り合わせの変型」です。
一句目「いきながら一つに冰る」は「海鼠」の説明です。「いきながら一つに冰る」だけでは内容としては独立していません。
二句目「さまざまのこと事おもひ出す」は「桜」を説明していません。「さまざまのこと事おもひ出す」だけで独立しています。
時にそれでも「一物仕立て」とも「取り合わせの変型」とも取れる句があります。
その場合は、全体の内容を考えてより良い方を選ぶ方がよいとされています。
それでは昨日の句はどうでしょうか。
・おもしろさ急には見へぬすすきかな 鬼 貫
「おもしろさ急には見へぬ」は「すすき」の説明のようでもあり、
また内容も独立しているように見えます。
つまりどちらにも取れそうな句と言えます。悩ましいとことです。
要点は「すすき」が「おもしろさ急には見へぬ」にかかる、「取り合わせの変型」が優位か否かということです。
あくまでも個人的な意見で、間違っているかも知れません。
ただ全体の内容を見れば、「一物仕立て」の方がやや優位のような気がします。
また個人的な話になりますが、句作において「取り合わせの変型」は用います。
ただどちらにも取れるような句作は避けるようにしています。
それでなくとも17拍の俳句は、他の文芸に比べ読者に負担をかけるものです。
上記の話を俳句に携わっていない一般の人に通じる筈はありません。
読者は「通好み」の俳人ばかりではありません。できるだけ一般人にも「何となくいい…」と感じてもらうことも大事なことかと思います。
技巧がうまいことと、俳句がうまいこと、は必ずしも一致しません。
俳人は、特に他人の句を読む際に、上記のこ知識が必要となります。
ただ句作においては、より分かり易い、よりストレートな方法(叙法)はないか等、念頭に置くことも同じように重要なことかと思います。
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