【泣くということ】
人間の持つ心的要素を表す「知情意」という言葉があります。知性と感情と意志です。
もちろんこれらは相互に補完しあっています。
「情(感情)」の話から。
大脳には主に感情を司る扁桃体という部位があります。怒り・憎しみ・恨みといった「負の感情」の源とも言えます。
それを抑制するのは主に海馬と前頭野です。
扁桃体と海馬は大脳辺縁系の一部です。大脳辺縁系は旧皮質と呼ばれます。
前頭野は新皮質と呼ばれます。
大脳は新皮質が旧皮質を包む構造をしており、新皮質は旧皮質に主に抑制をかける機能があります。
ネコは扁桃体が発達し、抑制系があまり機能しません。つまり「好き・嫌い」が明白な動物の一例です。
人の場合、前頭野が強く大脳辺縁系に抑制をかけます。
ところで人の感情を表す言葉に「七情」という言葉があります。
仏家では「喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲」です。
ただ「感情」を抑制する際に、記憶と共に「負の感情」を意識下に止めます。防衛機制の一つです。
しかしながら本人はそのことを自覚(意識)するのが困難であることも事実です。
意識に上れば、「理性(知性)」を上回り「感情」に振り回される危険性があります。
逆に押し殺し続ければ、人格の歪みや破綻を引き起こしかねません。
大脳辺縁系と前頭野の風通しが良いのが理想的ですが、なかなかそうはいきません。またむしろそれが「人間らしさ」なのかも知れません。
ただ自覚(意識)されにくいからこそ、旧皮質にこびりついた「負の感情」を適度に解消する必要があります。
その一つが「泣くこと」です。泣くことでカタルシス(浄化)は促されます。
「なく」にも「泣く・鳴く・啼く」とありますが、ここでは単に「泣く」とします。
また悲嘆して泣く、悔しさに泣く等の事象は別にします。
特に自覚していなくても、「自発的に自分を誘導して泣く」ことに限ります。
よく幼児が駄駄をこねて泣きますが、やがては眠りに落ちます。
ここには原始的ながらカタルシスが生じています。身体的な疲れもありますが、「泣く」により欲求不満の解消を起こしているからです。
生命に危機的な状況であれば、衰弱するまで泣き続けます。
「時々風通しを良くすること」…私自身の体験も含めて話します。
何も大勢の前で泣く必要はありません。一人の場所を確保し一人で泣けばいいのです。
そこにトリガー(引き金)を要することもありますが、本や映画や音楽でも身近なものでいいでしょう。
私は漫画でも昔の安っぽいドラマでも泣きます。ただ泣いた次の日は、胸のつかえがとれたようにすっきりとした気分になります。
人はそれ程強くありません。大脳辺縁系の容量も限度があり、前頭野の抑制にも限度があります。精神論を否定はしませんが、お勧めできません。
すっきりした脳で生きることは、QOL(生活の質)にも深く関わります。
俳句に関して言えば、冷静に句を読み・詠むことにも繋がります。
私の体験では、感情に任せて作った句の殆ど全ては、客観的評価は得られませんでした。
常に自分の中に「(客観的な)第三者の自分」の居場所が確保できる、心の余裕が欲しいものです。
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