俳句と「俗」について。
言祝ぎや伝統的美意識を重んじる和歌では「俗」な言葉は用いられません。それ自体が忌むべきことなのです。
やがて連歌・連俳・俳諧と経るにしたがい「俗」を取り入れるようになります。
小林一茶は顕著な例です。
一茶の「俗」なる言葉は、自己の存在を卑下し、境遇の「哀愁」を深めています。
約120年前、正岡子規により「俳句」という文芸が確立しました。
子規・虚子・四天王・4S・4T・人間探求派・戦中俳句・新興俳句などの時代を経て、「俗」は次第に浸透していきます。
「俗」を全面的に受け容れたのは主に金子兜太氏です。
兜太氏の「俗」なる言葉は人間賛歌・アニミズムを喚起しました。
「男根」「ちんぽこ」「魔羅」「ふぐり」「陰(ほと)」「肉叢(ししむら)」「尿(にょう、しと)」「糞(まり)」「鼻毛」「腋毛」「腋臭」「陰毛」…
また歳時記には「(獣・鳥)交む」「蛆」「毛虫」「水洟」などの季語があります。
残念なことに、一部には(多くは中高年の女性俳人、プロも含む)、それらの季語や、「俗」な内容を嫌い、「美しい」詩を求める意識が依然としてあります。結果として「俳句」も浅いものになりがちです。時代の変化を待つより他はありません。
適度な「俗」の配分により一句を引き立たせる技術は既に確立されています。
またそれが「俳句らしさ」にも通じると思います。
・短夜や毛虫の上に露の玉 蕪 村
・春泥に子等のちんぽこならびけり 川端茅舎
・少年の早くも夏は腋にほふ 山口誓子
・水漬く稲陰まで浸し農婦刈る 沢木欣一
・オートバイ内股で締め春満月 正木ゆう子
・木犀や同棲二年目の畳 髙柳克弘
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