2013年2月4日月曜日

私事です。

昨年、私が応募した俳句大会です。① 村上鬼城顕彰俳句大会、② 雪梁舎俳句大会、③ 鬼貫顕彰俳句大会、④ 西東三鬼俳句大会です。
①は一年間の既発表句・三十句ですが、他は一句に対する評価です。

結果は、
①…一次審査で落選。その前年は二次審査で落選。
②…入選三句(坪内稔典氏選 二句、中原道夫氏選 一句)
③…入選(宇多喜代子氏選)
④…佳作

①は別にしても、②〜④に関しては、不甲斐ないと思いつつも、分相応かと観念する次第です。

いずれにしましても、「単発」の俳句大会への応募は止めることにしました。
連作(三十〜五十)の応募はするかも知れませんが、まだ先の話です。

未熟ではありますが、一つの区切りとして、句集を上梓します。
序文・栞・跋・帯等なし、協会・結社にも所属していない、という全く援護射撃のない、自費出版の句集です。

以下は個人的な考えです。

出来映えは別にして、足跡を残すことは重要なことだと思います。それは自分の生きた証明です。アルバムのない人生は虚しいものです。

趣味とはいえ、自分のための俳句です。評価は二の次です。
他者である主催のための俳句でしょうか。
主宰に背中を押されるまで辛抱強く待ち、いざという時に金銭がない…
現在の(第二次?)若手作家ブームに介入する商業主義も上記のことと無関係ではないと思います。

スター的な作家は別にしても、秀逸な作品群が日の目を見ることなく野に散った例(特に高齢者)は決して少なくありません。

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