スランプについて
まずスランプという言葉は、向上心を持ち努力している人にしか適応されません。
私はしばしばスランプに陥ります。そういう時は心身共に疲弊しています。
取りあえず休息が必要です。
無理をしても、エネルギーの消耗に比べ生産性は低いものです。
私はその間、あまり俳句は読みませんし作句はしません。
時には「俳句を止めよう、捨てよう」と思うこともあります。
乱暴な言い方かも知れませんが、しばらく俳句と距離を置いた方がよい時もあります。
ならばそうした時に何をするのか…
小説を読む程度で、あとはぼんやり過ごします。自堕落な生活も送ります。
ただ睡眠は多くとります。できるだけ脳を休息させます。
そうしながらも、自分と俳句と関係、俳句をしている己と社会との関係などについて、ある程度は客観的に考えます。全体を俯瞰することにも繋がります。
いづれ俳句に対する渇望が生じます。その際には、上記のことを念頭に置きながら、俳句に携わることが出来ます。
結果的に、心身共に疲弊しつつも俳句を続けることより、休息を挟む方が効果的なこともあります。
ですから私はスランプを必ずしもネガティブなことだとは思いません。
話は少し逸れますが、時に(特に高齢の男性が)自分のことを「俳句バカ」「俳句キ〇ガイ(俳キチ)」と称す人がいます。
己を鼓舞するためか、自己陶酔なのか分かりません。ただ肝腎の作品が伴わない。
残念ながら、虚しさを吐瀉するという露悪趣味と言われも仕方ありません。
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