【緊張と弛緩】
近況も兼ねて…
休日はなるべく俳句に触れないようにしています。
年末までコンテスト、続けて拙句集(今月末発刊)となり、それなりに「燃え尽き」を感じました。
今年は作句しないつもりですが、少しずつ「疼き」のようなものを感じ始めました。
それでもまだ「涸れ井戸」を充たすには「飢え」「飢餓状態」が必要です。
長い目で見れば、今は「休養期間」と思っています。
肝心なことは、俳句と「完全に切れないこと」です。
今は夏の歳時記を見直しています。
以前は良いと感じた作品が今はそうでもなく、また逆も然りです。
職場にノートパソコンと大歳時記2を冊持っていくと結構な重量になります。
実は医学書の殆ど全ては捨ててしまいました。
自室室にも一冊も医学書はありません。職場に数冊置いているだけです。
医療は5年も経てば、それまでの常識が非常識となります。
今のところは頭に残っている貯金で何とかなってます。
基礎医学を習得していれば医療(臨床医学)の多くは理解出来ます。
逆に臨床医学のみの場合は「経験医学」に近い形になります。
やむなく「ガイドライン」や「マニュアル」等がありますが、罰則規定がないためか、それも読まず、また守らない。
そもそも本質的に「医学の勉強の仕方がよく分からない」のだと思います。
懸命に働いているつもりの医療従事者でも、素直に、率直に疑問を抱き、それを解決することを放棄する悪癖がつけば、全ては「単純作業」となります。
意識下または意識して、自分でそうしたことに抑制をかけています。
また社会も、病院などの法人(組織)も、「能動的な人間」より「受動的な人間」の方が「管理しやすい」という体質があります。
労働者(医療従事者)はそのニーズに、意識下に(無意識ではない)自分を歪め(変型させ)受容されとうとします。しかしこれが「モラル」と乖離しています。
医療事故の多くの背景や根底には、こうした根深い問題が絡んでいます。
私は共著で、医学書院から医学書(副読本)を出していますが、もはや昔の話ですし、ここでは伏せておきます。
話は変わります。
先日お話ししたiPadの件ですが、iPad Retina ディスプレイタイプ Wi-Fi+Cellular モデルは、Apple Storeでも家電量販店でも今のところ手に入りません。
慌てて購入するまでもありません。
それまでに後継機が出るかも知れませんし、日本のネットに対するインフラも改善されるかも知れません。
ところで休日は何をしているかというと…殆ど生産的なことはしていません。普段もそう生産的なことはしていませんが。
句会も参加していません。今はどこの結社にも属していませんし、他所から「お呼ばれ」があっても断っています。殆どの場合、私の精神衛生上好ましくありません。
緊張と弛緩…
筋肉には「協調運動」というものがあります。
一方の筋肉が緊張する時、対する筋肉は弛緩します。それで運動は円滑に行えます。
筋肉を支配しているのは錐体外路系という神経です。
個体差はあれ、緊張の持続には限界があります。
自分のリミッターを振り切ることが必要な時もありますが、やがては個々の限界が分かってきます。経験から学ぶ知惠です。その知恵も分からない人間は必ず破綻を来します。
また逆に弛緩し過ぎてもいけません。
野性動物の世界では、自分の生命を守れず、また群れから排他されます。
一生自堕落な生活を送るのであれば、人間として生きた証明にはなりません。
自分一人守れない人間が、家族を守れる筈はありません。
少子化に拍車をかけるつもりはありません。
ただ「モラトリアム」(精神的に未熟)のまま、形の上で実生活を送っている人間は少なくありません。俳人にも見られます。
緊張と弛緩のバランスやペース配分は、自己管理か、何かしらのサポートの介入等で対応せねばなりませんし、個々に課せられた問題かも知れません。
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