(続きより)
・PlayStation(ソニー・コンピュータエンタテイメント(SCE))
医者と働き、大学院に進みました。研究は大脳生理学です。

研究の成果は一向に出ず、心身共に疲弊していました。
それでも週末には見合いの席に座っていました。
やがて結婚し、一子をもうけましたが、あえなく離婚となりました。
研究室にも行かない日々が続きました。
虚ろな心を何とか被ってくれたのがPlay Station(PS)でした。
おそらく数代目のPSです。それまで諸々の理由で他人に譲ったり、捨てていました。
体裁だけのデータはありましたが、もはやそれ以上はかないませんでした。
アメリカでの就労(留学ではない)も断りました。
研究室を離れ、医者として出張しました。
約2年後に医学博士号を授与されましたが、当時は何もかも宙ぶらりんの状況でした。
・NINTENDO 64(任天堂)
出張先は四国の漁師町でした。
狭い町であり、職業上プライバシーを守ることが困難でした。
趣味もなく夜を過ごし、休日も部屋に籠る日々でした。
PSに加えNINTENDO 64で時間潰しをしていました。
残念ながらNINTENDO 64はソフトも少なく、面白くありませんでした。
ソフトの業界もPSなどにシフトしていきました。
やがて週末は福岡に遊びに行くようになりました。
片道3時間半程度はかかりましたが、欲求不満を吐き出すことが出来ました。
その代償として貯金はなくなりました。
その頃の週間文春には「短歌・俳句欄」があり、選者は故・草間時彦氏でした。
ふと投稿してみました。旧かな・文語など知る由もありません。
何故か入選しました。ただこの時は俳句をしようとは思っていませんでした。
その後も出張先を転々としました。
・PlayStation 2(PS2)(SCE)、
長い月日が流れ、私は大分にいました。
いったい何台のPS2を譲るか、捨てたでしょうか。
やがて私は駄文を書くようになりました。
その合間に休憩のように始めたのが俳句です。それが時々、地方新聞に掲載されました。
駄文の方は音沙汰なしです。
駄文を書くため、食事?も睡眠さえも炬燵の前で過ごし、結果酷い腰痛を起こしました。
散文は諦めました。
やがて結社という組織に入りました。
ただ私はテレビも新聞も全く見なくなっていました。
結社の大会で、「イナバウアー」という句を見つけました。
隣の方に聞くと「テレビを見なさい」と一笑されました。
イナバウアー…「因幡の白兎」、「イナバ物置」など考えました。
この頃はそれ程世間を知らなかったのです。
様々な理由で俳句をやめました。歳時記から俳句書まで全て捨てました。
そしてまた漂鳥のような生活を送ることになります。
その度に購入しては捨てていくPS2…ただ心を痛めた時には必ずPS2が、薄い被膜のように傍にいました。
現在は広島にいます。漂鳥がしばし羽根を休めるでしたが、気が付けばだいぶ長いこと住んでいます。
俳句を再開しました。何とか芽が出ました。
結社も渡り歩きました。今は何の結社にも協会にも属していません。
孤独とは思いませんし、それで俳句をやめることはありません。
一つの区切りと、まとめとして、拙い句集を出すことにしました。
身の丈ほどの内容です。
・NINTENDO DS LL
昼間の暇潰し(失礼)に購入しました。
重い…普通のNINTENDO DSの重さを知りませんが、子供らが手に持っていますので、それなりの軽さなのでしょう。
DS LLを持ったり、寝ながら楽しむことは出来ません。自宅ですることはありません。
購入いた当時からのソフト「ドラゴンクエスト9」は未だに終了しません。
・PlayStation 3(PS3)以降
未だにPS3は購入したことがありませんが、何とかPS2で間に合わせています。
ソフト「バイオハザード」シリーズは最早PS3のハードを求めてはいます。
・まとめ?
眠れない夜の「バイオハザード」…
今、デスクの隅にある何代目かの、シルバーのPS2は静かに私を見つめ、心を痛めた時には薄い被膜を掛けてくれます。
私はそっと囁きます。「もう君を捨てたりしない、君を離さないよ」
一応、変質者ではありませんので…
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