【未知との遭遇(序)-『カルナヴァル』】
遅ればせながら『カルナヴァル』金原まさ子(草思社)定価2.000円+税を購入し、読み始めました。
まずタイトル、外観、値段から
「カルナヴァル」とはフランス語で、英語の「カーニバル」に当たります。
語源はラテン語と思いますが、英語圏の「カーニバル」とは多少色彩が異なる印象を受けます。
ハードカバーの外装です。当初は「薄い」と思いましたが208句収録しています。紙質の問題でしょうか。
値段です。例えば『海藻標本』佐藤文香(ふらんす堂)は2.100円、『未踏』髙柳克弘(ふらんす堂)は2.400円、『残像』山口優夢(角川学芸出版)は1.500円+税です。
拙句集『原型』(200句)はそのあたりを踏襲しつつ、消費税が10%になっても2.000円以内で購入でき、また版元の「ふらんす堂」との折り合いを考え、1.800円+税としましたが、1.500円〜1.700円+税でも良かったかも知れません。
句集をはじめ短文学は基本的に売れません(商業ベースに乗りません)。商業ベースの散文(小説)で1.500円の本は、かなりの厚みと内容があり、かつ容易に購入できます。
さて「カルナヴァル」にもどると、ハードカバーとはいえ、208句で定価2.000円+税は少し高いのではと最初は思いましたが、中には挿絵が多く納得できました。
話は逸れますが、300〜400句の句集でも桂句は全体の10%前後です。
最近の200句程度の句集の方が桂句の密度が濃いという印象を受けます。
その一因としては、200句前後の句集でも600句程度の中から絞り込んでいるためかと思います。連綿と載せることより絞り込む際の「捨てる作業(勇気)」が大変です。
特に第一句集は、結社の主宰の選に一任する方も少なくなく、「俳句界」の出世街道かも知れません。そのこと自体を否定するつもりはありません。
自分で自分の句の選をする場合、自分自身と向き合う作業を要します。辛い作業です。
そこで失敗があっても、作者は自分と充分向き合っており、それはそれで価値のあることだと思います。「生きた証」となります。
そもそも俳句も句集も、結社の主宰のために存在するものではないと私は思っています。
だいぶ話が逸れました。
さて肝心の「カルナヴァル」ですが、当初は1、2時間程度で読破するつもりでした。
Ⅰ〜Ⅴ章に分かれていますが、まずⅠ章の38句を読むだけで疲弊してしまいました。
新かな・口語もあれば、旧かな・文語もあります。
内容も観念的と思われる句が多く、一読しただけではすっと頭に入りません。
一句を読むのに5分はかかります。
まだ途中であり、読み終えたら(二三度読む必要があるでしょうが)、私なりの解釈をしたいと思います。出来るだけ客観的に、理性的に、体系的に。
「謎」は「謎」で終わらせることも良いのかも知れませんが、「謎」に迫り「体系化」してゆくのもまた人間のあり方かと思います。文芸(芸術)は宗教ではありません。
いずれにしてもここまで手こずるとは、やはり私にとっては「未知との遭遇」と言えるかも知れません。
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