頭の中に『カルナヴァル』金原まさ子氏の「毒気」の余韻があり、今も眩暈にも似た「陶酔感」あるいは「痺れ感」が残っています。
将来も、私には『カルナヴァル』のような句は詠めないでしょう。また詠むつもりもありません。
どの句や句集にも言えることですが、他者の模倣(類想)は忌避しますが、その根底に流れるエッセンスは汲み取り、換骨奪胎し、自分の血肉とすることを欲しています。
文芸(芸術)とは、エッセンス(影響・インスピレーション)を提示する者と、そのエッセンス盗む者には、ある種の共犯関係が存在するものではないかと思います。
重要なことは、本人の精神的支柱が「軸ブレ」しないことです。
他者により影響を受けた本人が、充分に咀嚼・嚥下・消化・吸収せぬまま、盲目的にそれに傾倒することは非常に危ういことです。
作者としてのアイデンティティーは、一個人としてのアイデンティティーにまで遡るものであると、私は信じています。
俳句の奴隷となるのか、利用するのか、それとも妥協したふりをするのか…
「甘言は易し、苦言は難し」…
「仲良しごっこ」は、個人のアイデンティティーの脆さの裏返しという側面もあるように感じます。
ここらで自分の「原点」を見つめ直しても良いかも知れません。
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