以前に『月の茗荷』鳥居真里子(角川書店)を紹介し、その中から私なりに10句を選び、鑑賞しました。
その中でも、どうもすっきりしない句がありました。
それでしばらく再考し、改めて鑑賞してみました。
・黒こんにやくちぎつてなげて椿かな
蒟蒻と言えば、黒く、四角い板状(板蒟蒻)が一般的です。
製造過程において、本来は白灰色なのですが、ひじき等で黒くしています。
掲句ではあえて「黒こんにやく」し黒を強調しているようです。
また「黒こんにやく」を「こんにやくを」に置き換えると、字余りは解消されますが、「を」という助詞の介在がやや間延びした印象を与えます。「を」を省略しても意味は通じます。
更には、上から中七を一気に読ませた方が、一句全体にメリハリが付き、効果的です。
「椿」は藪椿と思いますが、花弁は紅色でも、少し黒みを帯びています。
ここで「黒こんにやく」の「黒」が効いてきます。
薮椿は、咲いている花も莟も、また落椿も、色の変化はそう目立ちません。
白椿の場合、痛み具合により茶色を帯び、花、莟、落椿には色の差異が目立ちます。
ここからは推察になります。
作者は家にいて、嫁姑の問題等や、電話により、激昂する場面に遭遇しているのではないかと思います。
激しい怒りに、冷蔵庫やレジ袋の中にある蒟蒻(板蒟蒻)を取り出し、厨口あるいは裏口から裏庭に出たと推測します。裸足のままかも知れません。
怒りをぶちまくかのように、蒟蒻を乱暴に手でちぎり投げています。
投げる方向や範囲はある程度限られると思います。ちぎった蒟蒻の断片の多くは、怒りの対象である人でもあり、地面に叩き付けているでしょう。ちぎっては投げ、ちぎっては投げの連続です。それでも全く同じ所には投げていません。
そうすると連続して投げていた蒟蒻の断片が、ある輪郭を持ち始めます。本人も感情的になっている時はそのことを強く意識しません。ただ網膜に視覚情報は残っています。
冷静になりその時の視覚情報を思い出し、あるいは意識化にあるネガティブな体験を探る作業により、次第に何かの形に似ていたことに気付きます。錯視と連想が働きます。
ちぎっては投げていた蒟蒻の断片は椿ではないか、断片は花や莟のようであり、そして落椿のようだと作者は気付きます。
黒こんにやくをちぎつてなげたところ、(仮想現実ながら)それらは椿を形づくってしまった。
掲句は過去の体験を手繰り寄せ、掲句が作ったのではないかと思います。つまりとタイム・ラグが存在するかと考えます。
これが今の私の読解力の限界です。深読みし過ぎ、あるいは的外れかも知れません。ご容赦下さい。
〈暗唱句〉
植物〈紅葉-晩秋〉
・この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉 三橋鷹女 (☆)
・義仲や臓腑のごとき紅葉山 大串 章
時候〈身に入む-三秋〉
・野ざらしを心に風のしむ身かな 芭 蕉 (☆)
・身に入みて貝殻骨のありどころ 岡本 眸
・身に入むや汁粉にしづむ玉ひとつ 橋本榮治
天文〈天の川-三秋〉
・荒海や佐渡に横たふ天の川 芭 蕉 (☆)
・妻二タ夜あらず二タ夜の天の川 中村草田男
・ちちははに遠く銀河に近く棲む 上村占魚
・嗽するたびに近づく銀河かな 鳥居真里子
・眠るたび父は銀河に近づきぬ 櫂 未知子
以上で重要季語42、例句116です。
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