【季語あれこれ①】
故・藤田湘子氏の入門書の中で「みなが普段、歳時記を読んでいない事実に驚く」とありました。私も以前は歳時記に馴染んでいませんでした。
構えて歳時記を読む必要はありません。気軽に雑誌でも読む感覚で読めば良いかと思います。ただ常に傍らに置き、毎日目を通すことが大事です。
歳時記を眺めるだけでも様々な発見があります。たとえ句作に用いなくとも、興味は尽きません。驚嘆するもの、死語に近いもの、中には笑ってしまうものもあります。
句作の場合、やはり重要季語から始めた方が良いと思います。
句会などで馴染みのない季語を用いる方がいますが、その季語自体が疎通性にやや乏しくなりがちです。これが吟行句(即吟)となると、作者自身がその季語の本意・本情を良く理解していないことが多く、いよいよ疎通性に乏しくなります。
故・山本健吉氏の「季語ピラミッド説」には懐疑的です。
それでも重要季語を優先的に使い、充分慣れてから下部の季語に移行する方のが良いかと思います。
季語は、縦の系で大から小へと芋づる式になっていたり、また横の系でもそれぞれが関連し合うことが少なくありません。そうすると点であった季語が面になります。
重要季語を用いた例句は多く、全てを言い尽くしているかのように感じます。
ただそのことを、重要季語を避ける言い訳にして欲しくはありません。
「真理」とは多くの芸術や学問によって、ようやく輪郭が浮かび上がるものであると思います。それぞれが「真理」をかすめているのです。「真理」の実体そのものを射抜くことは出来ません。
もちろん名句と呼ばれる俳句でも「真理」のど真ん中を貫くことは出来ません。
我々にできることは「真理」をかすめることです。
違う側面からのアプローチなどにより、違った形で「真理」をかすめることは可能です。
もちろん苦悩は付きまといます。ただそのこと自体が重要なのです。
このことをできれば初学のうちに習慣づけて欲しいと思います。
俳句の「骨法」の一つと確信しています。
次回からは歳時記の季語を挙げながら話をしていきたいと思います。
2013年8月31日土曜日
2013年8月29日木曜日
【俳句用語と一般用語④】
※「てふ」
「てふ」…〈組成;「といふ」の転〉…という。〈参考;中古以後、多く和歌で用いられた。上代では「とふ」「ちふ」が用いられた。〉
「といふ」と語彙は使いますが、「てふ」という語彙は使ったことがありません。。
「てふ」と「といふ」…文字数は2と3とで、意味もそう変わりませんが、一般の方に「てふ」という意味が分かるでしょうか?
比較的高齢の方であれば、「てふてふ(蝶蝶)」かと思うかも知れません。
一方、「といふ」は一般の方にも分かります。
一般の方に少しでも俳句に親しんでもらうことは、私の願いです。そのために障壁となりうる、紛らわしい「俳句用語」は出来る限り慎むようにしています。
日本の総人口は一億万人で、俳句人口を1億人です。
つまり俳人は1万人に一人、0.01%という数字となり、非常にマイナーな文芸です。
俳句界も努力はしているとは思いますが、それでもこの乖離は大き過ぎます。「疎通性」が取れない」といっても過言ではありません。
俳句界は内輪で終始することなく、一般の方にとっても「文芸」であって欲しいと思います。
理想を言えば、一般の方にもそれなりに疎通性が取れ、かつ俳句界でも評価される俳句ということになるのでしょうか。
私は一般の方をある程度考慮しつつ、拙句集を上梓しましが、一般の方の意見(「難しい」、「分からない」など)に愕然としました。
しかしこれからも一般の方たちを意識しつつ、俳句に携わっていく所存です。
※「てふ」
「てふ」…〈組成;「といふ」の転〉…という。〈参考;中古以後、多く和歌で用いられた。上代では「とふ」「ちふ」が用いられた。〉
「といふ」と語彙は使いますが、「てふ」という語彙は使ったことがありません。。
「てふ」と「といふ」…文字数は2と3とで、意味もそう変わりませんが、一般の方に「てふ」という意味が分かるでしょうか?
比較的高齢の方であれば、「てふてふ(蝶蝶)」かと思うかも知れません。
一方、「といふ」は一般の方にも分かります。
一般の方に少しでも俳句に親しんでもらうことは、私の願いです。そのために障壁となりうる、紛らわしい「俳句用語」は出来る限り慎むようにしています。
日本の総人口は一億万人で、俳句人口を1億人です。
つまり俳人は1万人に一人、0.01%という数字となり、非常にマイナーな文芸です。
俳句界も努力はしているとは思いますが、それでもこの乖離は大き過ぎます。「疎通性」が取れない」といっても過言ではありません。
俳句界は内輪で終始することなく、一般の方にとっても「文芸」であって欲しいと思います。
理想を言えば、一般の方にもそれなりに疎通性が取れ、かつ俳句界でも評価される俳句ということになるのでしょうか。
私は一般の方をある程度考慮しつつ、拙句集を上梓しましが、一般の方の意見(「難しい」、「分からない」など)に愕然としました。
しかしこれからも一般の方たちを意識しつつ、俳句に携わっていく所存です。
2013年8月28日水曜日
【角川「俳句」9月号より④(終)】
〈Close Up 塩川雄三句集『舷燈』〉
-新作5句『風の盆』-
(なし)
-『舷燈』自選20句抄-
・なんにでも相槌ばかり生御霊
…作者の親(母)でしょうか。難聴や認知症により、疎通性が取れなくなっています。次第に行動は単純化し、何を言われても頷くばかりとなります。そうした姿を淡々と表現しています。いずれ自分も同じになると、達観しているのかも知れません。
〈新鋭俳人20句競詠『パンプス』小林菜穂〉
(なし)
〈新鋭俳人20句競詠『姉妹』森下秋露〉
・腹と腹合はせ授乳や明易き
…竹下しずの女の句を連想しますが、上五・七の「腹と腹合わせ授乳や」は、ディテールと共に、作者の素直な愛情を感じさせます。
〈Close Up 塩川雄三句集『舷燈』〉
-新作5句『風の盆』-
(なし)
-『舷燈』自選20句抄-
・なんにでも相槌ばかり生御霊
…作者の親(母)でしょうか。難聴や認知症により、疎通性が取れなくなっています。次第に行動は単純化し、何を言われても頷くばかりとなります。そうした姿を淡々と表現しています。いずれ自分も同じになると、達観しているのかも知れません。
〈新鋭俳人20句競詠『パンプス』小林菜穂〉
(なし)
〈新鋭俳人20句競詠『姉妹』森下秋露〉
・腹と腹合はせ授乳や明易き
…竹下しずの女の句を連想しますが、上五・七の「腹と腹合わせ授乳や」は、ディテールと共に、作者の素直な愛情を感じさせます。
2013年8月27日火曜日
【角川「俳句」9月号より③】
〈日本の俳人100⑤ 小笠原和男句集『手持ち顔』〉
-新作7句『もう盛夏』-
・なめくじら顔があるからくたびれる
…一物仕立てとして読めば句意が分かりません。掲句は取り合わせの句です。
顔も含め個性がなければ、人間はせちがらい世のしがらみに煩わされるもない、という反語のようです。その象徴的存在(隠喩)が、「蛞蝓」かと思います。
-『手持ち顔』自選20句抄-
・木の瘤を叩いて廻る十二月
…眼目は「十二月」です。これは動きません。
景が浮かびます。心はなかば虚ろでではないでしょうか。こうした体験は私も含め、誰しもありそうです。日常の一コマを俳句にまで昇華する作業は、簡単なように見えて難しいものです。
・頬被取りたる顔の得手不得手
…「頬被」をして表情が読めないことは、ある種の緊張感を生じます。「和」を重んじる日本のややさびれた農村地区でしょうか。馴染みの人でも気を遣うものです。
そのためあらかじめ動作を観察したり、近づきつつも声をかけながら、補助的な材料を得ようとします。
しかしそれでも「頬被」を取ると、予想外の表情と遭遇するあるかもしれません。それを「得手不得手」と表現しているかと思います。
〈今日の俳人 作品7句『立ち泳ぎ』上澤樹實人〉
・麦の穂の波立ち雀立ち泳ぎ
…やや機知を感じますが、「麦の波」というように、丈の伸びた麦畑を海と捉え、そこに垣間見える雀を「立ち泳ぎ」していると喩えているようです。
〈今日の俳人 作品7句『櫨ちぎり』藤 勢津子〉
・朝霧の晴るる早さよ岳樺
…避暑地などの山荘の景を想像します。ただ中七末の「よ」は、一句の流れ(句の調べ)にそぐわない気がします。下五は植物の「岳樺(だけかんば)」を用いていますが、「朝霧」にも関係があり、動物(鳥など)でも良いかと思います。
〈今日の俳人 作品7句『日和』梶原美那〉
(なし)
〈今日の俳人 作品7句『紅斑』田口紅子〉
・頭上より切火を打たれ祭の子
…素直な句と思います。子どもの健やかな成長を「切火」に託しています。ただ子の立場でなく、大人(親)の立場でも良いかと思います。そうなれば中七の「打たれ」が「浴びせ」になるでしょうか。
〈今日の俳人 作品7句『せせらぎ』陽 美保子〉
・生命のはじめはまろし占地茸
…茸の笠は丸みを帯びています。ここで「占地茸」を選んでいるのは、他の茸と違い密集して生えるからではないでしょうか。それは現代の人類にも通じているように思えます。
〈今日の俳人 作品7句『異客』橋本 直〉
・獺祭忌益の蕎麦屋の牛蒡天
…獺が多くの魚を獲た後、それを祭るように並べ、後にこれを食べるという中国の伝承からの季語、これが「獺魚を祭る」・「獺祭」です。
正岡子規はこの季語にちなんで「獺祭書屋主人」と号し、その忌日として「獺祭忌」があります。
ただ掲句の場合、「獺祭忌」よりむしろ「獺」の習性?(俗説)に力点が置かれている感じがします。
中七からの「駅の蕎麦屋の牛蒡天」は、やや貧相な食事かも知れません。特に「駅の」が効いています。また「かけ蕎麦」ではなく、牛蒡天のみのトッピングが効果的です。
「獺」の習性?(俗説)と、「駅の蕎麦屋の牛蒡天」とのギャップが滑稽でもあり、やがては「もののあはれ」に行き着くような気がします。
〈日本の俳人100⑤ 小笠原和男句集『手持ち顔』〉
-新作7句『もう盛夏』-
・なめくじら顔があるからくたびれる
…一物仕立てとして読めば句意が分かりません。掲句は取り合わせの句です。
顔も含め個性がなければ、人間はせちがらい世のしがらみに煩わされるもない、という反語のようです。その象徴的存在(隠喩)が、「蛞蝓」かと思います。
-『手持ち顔』自選20句抄-
・木の瘤を叩いて廻る十二月
…眼目は「十二月」です。これは動きません。
景が浮かびます。心はなかば虚ろでではないでしょうか。こうした体験は私も含め、誰しもありそうです。日常の一コマを俳句にまで昇華する作業は、簡単なように見えて難しいものです。
・頬被取りたる顔の得手不得手
…「頬被」をして表情が読めないことは、ある種の緊張感を生じます。「和」を重んじる日本のややさびれた農村地区でしょうか。馴染みの人でも気を遣うものです。
そのためあらかじめ動作を観察したり、近づきつつも声をかけながら、補助的な材料を得ようとします。
しかしそれでも「頬被」を取ると、予想外の表情と遭遇するあるかもしれません。それを「得手不得手」と表現しているかと思います。
〈今日の俳人 作品7句『立ち泳ぎ』上澤樹實人〉
・麦の穂の波立ち雀立ち泳ぎ
…やや機知を感じますが、「麦の波」というように、丈の伸びた麦畑を海と捉え、そこに垣間見える雀を「立ち泳ぎ」していると喩えているようです。
〈今日の俳人 作品7句『櫨ちぎり』藤 勢津子〉
・朝霧の晴るる早さよ岳樺
…避暑地などの山荘の景を想像します。ただ中七末の「よ」は、一句の流れ(句の調べ)にそぐわない気がします。下五は植物の「岳樺(だけかんば)」を用いていますが、「朝霧」にも関係があり、動物(鳥など)でも良いかと思います。
〈今日の俳人 作品7句『日和』梶原美那〉
(なし)
〈今日の俳人 作品7句『紅斑』田口紅子〉
・頭上より切火を打たれ祭の子
…素直な句と思います。子どもの健やかな成長を「切火」に託しています。ただ子の立場でなく、大人(親)の立場でも良いかと思います。そうなれば中七の「打たれ」が「浴びせ」になるでしょうか。
〈今日の俳人 作品7句『せせらぎ』陽 美保子〉
・生命のはじめはまろし占地茸
…茸の笠は丸みを帯びています。ここで「占地茸」を選んでいるのは、他の茸と違い密集して生えるからではないでしょうか。それは現代の人類にも通じているように思えます。
〈今日の俳人 作品7句『異客』橋本 直〉
・獺祭忌益の蕎麦屋の牛蒡天
…獺が多くの魚を獲た後、それを祭るように並べ、後にこれを食べるという中国の伝承からの季語、これが「獺魚を祭る」・「獺祭」です。
正岡子規はこの季語にちなんで「獺祭書屋主人」と号し、その忌日として「獺祭忌」があります。
ただ掲句の場合、「獺祭忌」よりむしろ「獺」の習性?(俗説)に力点が置かれている感じがします。
中七からの「駅の蕎麦屋の牛蒡天」は、やや貧相な食事かも知れません。特に「駅の」が効いています。また「かけ蕎麦」ではなく、牛蒡天のみのトッピングが効果的です。
「獺」の習性?(俗説)と、「駅の蕎麦屋の牛蒡天」とのギャップが滑稽でもあり、やがては「もののあはれ」に行き着くような気がします。
2013年8月26日月曜日
【角川「俳句」9月号より②】
〈作品16句『博多祇園山笠』行方克巳〉
・祭支度素つぽんぽんにされてより
…博多祇園山笠らしい景です。男児ですが、褌をまだ自分で締めることが出来ません。
・追山笠の空筋交ひに明烏
…祭が最高潮に達するのはフィナーレの追山笠です。嵐の前の静けさといった景です。「明烏」が効いています。
〈作品16句『愛しきものへ』仙田洋子〉
・手にすればくずるる骨や虎が雨
…「虎が雨」と内容との距離は難しいものです。やや近い(即き過ぎ)とは思いますが、全体をよくまとめています。
・白日傘吾子とへだたりゆくこころ
…成長した子をやや遠くから眺めている白日傘の母-作者の情景が見えてきます。場所は菖蒲園や川べりなどを連想します。
〈作品8句『秋順順』水見壽男〉
・怒り肩撫で肩北の山粧ふ
…句意は分かります。ただ中七途中からの「北の山粧ふ」の「北の」は不可欠でしょうか。「山の粧へる」としてもも句意はそう変わらず、リズムも整う気がします。
〈作品8句『月の山』三田きえ子〉
・草は穂にいづれも眠り地蔵尊
…句意は分かります。移ろいゆく季節を表現しています。ただ上五の後に句中の切れがあり、中七の後にも句中の切れがあります。そのため多少分かりにくくなっています。上五と下五を入れ替え、「切れ字」を用いると分かり易くなりそうです。
〈作品8句『十勝・夏』源 鬼彦〉
・トンネルの先もトンネル滝不意に
…北海道以外でもありそうな景です。下五で話を一気にまとめる作方は今風かも知れませんが、わざとらしさは感じませんし、個人的には悪くないと思います。
・さよならの仕草涼しきエアポート
…これは北海道の空港ならではと思います。国内線ではあるものの、北海道には北方の大陸という感覚があります。さよならの仕草も北海道の涼気を帯びていそうです。
〈作品8句『蟻も吾も』山崎千枝子〉
・明易し旅も三日の身づくろひ
…三日間の旅の終りの身支度です。朝のうちに出立するのでしょう。ただ上五が「明易や」でなく「明易し」なのが不思議です。
〈作品8句『初秋抄』松尾隆信〉
・百円を入れて撞く鐘稲の花
…「稲の花」と内容の距離感が良いと思います。ただ普遍性の問題で、「百円」が気になります。鐘撞き料は変わってきています。
〈作品12句『山湖』永島靖子〉
・古書市のわが書西日の燦爛と
…古本市に並んでいる陽で茶けた自分の本…気持ちはよく分かります。上五「古書市の」の「の」は「に」ではないかと思います。
〈作品12句『種の保存』秋尾 敏〉
・夕暮の木槿飲屋が待っている
…これは一風変わった「木槿」の句です。ただやはり夕方です。木槿は白か底紅です。
普段着感覚であり、気取りがありません。中七から下五にかけての「飲屋が待っている」の「待っている」には苦笑します。私の日常とそう変わりません。
〈作品12句『京都にて』福永法弘〉
・然(さ)はあれど長州贔屓湯引き鱧
…鱧は獰猛な魚で共食いもします。倒幕の獅子たちと鱧(「湯引き鱧」)とに共通点があります。
ただ上五「然はあれど」の前提が分かりませんので、幕府VS長州藩なのか薩摩藩VS長州藩なのか、それとも長州藩の悪や弱さ(桂小五郎(逃げの小五郎)-木戸孝允、薩長連合の前は危機的状況にあった、など)か分かりません。
〈作品12句『宵闇』長嶺千晶〉
・夏牡蠣を採るや礁を掌で伝ひ
…きれいにまとまっていると思います。ただ「夏牡蠣」という独立した季語は見当たりませんし、「夏の牡蠣」だとしても、冬の牡蠣ではなく「岩牡蠣」です。内容からも「岩牡蠣」と思います。「岩牡蠣」はそれぞれが癒着して岩の塊のようになっています。とても一人で採れるものではありません。
〈作品12句『よどみなき水』今瀬一博〉
・重力をなくして死せり兜虫
…名前の通り兜虫は甲冑を着込んだように重そうに見えます。死んだ兜虫を持ち上げると、案外軽いことに気付きます。そのことを前提に、順序を変えて「重力をなくして」と表現していると思います。
〈作品16句『博多祇園山笠』行方克巳〉
・祭支度素つぽんぽんにされてより
…博多祇園山笠らしい景です。男児ですが、褌をまだ自分で締めることが出来ません。
・追山笠の空筋交ひに明烏
…祭が最高潮に達するのはフィナーレの追山笠です。嵐の前の静けさといった景です。「明烏」が効いています。
〈作品16句『愛しきものへ』仙田洋子〉
・手にすればくずるる骨や虎が雨
…「虎が雨」と内容との距離は難しいものです。やや近い(即き過ぎ)とは思いますが、全体をよくまとめています。
・白日傘吾子とへだたりゆくこころ
…成長した子をやや遠くから眺めている白日傘の母-作者の情景が見えてきます。場所は菖蒲園や川べりなどを連想します。
〈作品8句『秋順順』水見壽男〉
・怒り肩撫で肩北の山粧ふ
…句意は分かります。ただ中七途中からの「北の山粧ふ」の「北の」は不可欠でしょうか。「山の粧へる」としてもも句意はそう変わらず、リズムも整う気がします。
〈作品8句『月の山』三田きえ子〉
・草は穂にいづれも眠り地蔵尊
…句意は分かります。移ろいゆく季節を表現しています。ただ上五の後に句中の切れがあり、中七の後にも句中の切れがあります。そのため多少分かりにくくなっています。上五と下五を入れ替え、「切れ字」を用いると分かり易くなりそうです。
〈作品8句『十勝・夏』源 鬼彦〉
・トンネルの先もトンネル滝不意に
…北海道以外でもありそうな景です。下五で話を一気にまとめる作方は今風かも知れませんが、わざとらしさは感じませんし、個人的には悪くないと思います。
・さよならの仕草涼しきエアポート
…これは北海道の空港ならではと思います。国内線ではあるものの、北海道には北方の大陸という感覚があります。さよならの仕草も北海道の涼気を帯びていそうです。
〈作品8句『蟻も吾も』山崎千枝子〉
・明易し旅も三日の身づくろひ
…三日間の旅の終りの身支度です。朝のうちに出立するのでしょう。ただ上五が「明易や」でなく「明易し」なのが不思議です。
〈作品8句『初秋抄』松尾隆信〉
・百円を入れて撞く鐘稲の花
…「稲の花」と内容の距離感が良いと思います。ただ普遍性の問題で、「百円」が気になります。鐘撞き料は変わってきています。
〈作品12句『山湖』永島靖子〉
・古書市のわが書西日の燦爛と
…古本市に並んでいる陽で茶けた自分の本…気持ちはよく分かります。上五「古書市の」の「の」は「に」ではないかと思います。
〈作品12句『種の保存』秋尾 敏〉
・夕暮の木槿飲屋が待っている
…これは一風変わった「木槿」の句です。ただやはり夕方です。木槿は白か底紅です。
普段着感覚であり、気取りがありません。中七から下五にかけての「飲屋が待っている」の「待っている」には苦笑します。私の日常とそう変わりません。
〈作品12句『京都にて』福永法弘〉
・然(さ)はあれど長州贔屓湯引き鱧
…鱧は獰猛な魚で共食いもします。倒幕の獅子たちと鱧(「湯引き鱧」)とに共通点があります。
ただ上五「然はあれど」の前提が分かりませんので、幕府VS長州藩なのか薩摩藩VS長州藩なのか、それとも長州藩の悪や弱さ(桂小五郎(逃げの小五郎)-木戸孝允、薩長連合の前は危機的状況にあった、など)か分かりません。
〈作品12句『宵闇』長嶺千晶〉
・夏牡蠣を採るや礁を掌で伝ひ
…きれいにまとまっていると思います。ただ「夏牡蠣」という独立した季語は見当たりませんし、「夏の牡蠣」だとしても、冬の牡蠣ではなく「岩牡蠣」です。内容からも「岩牡蠣」と思います。「岩牡蠣」はそれぞれが癒着して岩の塊のようになっています。とても一人で採れるものではありません。
〈作品12句『よどみなき水』今瀬一博〉
・重力をなくして死せり兜虫
…名前の通り兜虫は甲冑を着込んだように重そうに見えます。死んだ兜虫を持ち上げると、案外軽いことに気付きます。そのことを前提に、順序を変えて「重力をなくして」と表現していると思います。
2013年8月25日日曜日
【角川「俳句」9月号より①】
〈特別作品50句『荒野』大木あまり〉
・青き蛾の夜な夜なきたる網戸かな
…空想めいた句が目立ちますが、作者の個性でもあります。
私自身はそうした句をあまり好みませんが、それでも掲句が気になりました。
頭の中で作者を消し、見知らぬ誰かに置き換え、何度か読みました。
やはり妖しい不思議な魅力が漂っています。
バーチャルがリアリティーを越えた一瞬を垣間見た思いがします。
・炎帝よ飛込台で待ってをれ
…飛込台は高さがありますので、下を見なければ視野は空となります。
おそらく正面にギラギラした太陽があるでしょう。
その太陽を抱き込み、水の中へと引き摺り落とそうという心理描写です。
私も自分の頭の中にに眠っていた、似たような記憶の存在に気付きました。
・アツパツパ夜の句ばかり作りをり
…眼目は「アツパツパ」です。
「サマードレス」の傍題に「簡単服」があり、「アツパツパ」はその俗称です。
掲句ではこれが他の夏の衣類と置換することが出来ません。
家居している生活感が滲み出ています。
・子猫はや身籠るまでに萩の雨
…眼目は上五「子猫はや」の「はや」です。
上五・中七の内容には実感があります。猫を飼った体験のある人です。
雌猫の避妊手術は雄猫の場合より困難です。本能的な「猫の恋」もありますし、生々しい話ですが、近親相姦もあります。
下五「萩の雨」の距離が適切かどうか分かりませんが、他に季語を含めた言葉が見つかりません。
・鴎外の墓に供えて烏瓜
…中七の末に「切れ」のある、取り合わせの句と思います。鴎外の墓に烏瓜を供えたのではありません。
烏瓜の細長い蔓や散在する実は、軍服の金モールや勲章を連想させます。
〈特別作品21句『音』岸本尚毅〉
・汀めくところに人や出水川
…巧いですね、ぐうの音も出ません。
出水あとの景ですが、確たる把握と描写です。そう言われれば、と思い当たります。
また掲句は(西洋)絵画(写真では不可)として描出できそうです。
・扇子置き団扇を持ちてくつろげる
…眼目は下五「くつろげる」です。
外出から戻ってきています。やはり扇子は外向き、団扇は家庭向きです。
何気ない日常の生活を描写しつつ、巧さがさりげなく滲んでいます。
・土用波昼寝の人に遠からず
…眼目は下五「遠からず」です。
「近い」とは言っていません。「明日は淵瀬」などの格言のように、近い将来の不安・不幸といった「憂(浮)き世」を暗示しているかのようです。
季重なりですが、ここでは「土用波」より「昼寝」の方にウェイトがあるかと思います。
一句の構成の完成度が高いと感じます。
〈特別作品21句『水の呪文』上田日差子〉
・空蟬やひとりよがりの夢のあと
…句意は分かります・中七の措辞も良いと思います。
ただし下五「夢のあと」が気になります。「事の果(はて)」などの方がベターかと思います。
〈特別作品50句『荒野』大木あまり〉
・青き蛾の夜な夜なきたる網戸かな
…空想めいた句が目立ちますが、作者の個性でもあります。
私自身はそうした句をあまり好みませんが、それでも掲句が気になりました。
頭の中で作者を消し、見知らぬ誰かに置き換え、何度か読みました。
やはり妖しい不思議な魅力が漂っています。
バーチャルがリアリティーを越えた一瞬を垣間見た思いがします。
・炎帝よ飛込台で待ってをれ
…飛込台は高さがありますので、下を見なければ視野は空となります。
おそらく正面にギラギラした太陽があるでしょう。
その太陽を抱き込み、水の中へと引き摺り落とそうという心理描写です。
私も自分の頭の中にに眠っていた、似たような記憶の存在に気付きました。
・アツパツパ夜の句ばかり作りをり
…眼目は「アツパツパ」です。
「サマードレス」の傍題に「簡単服」があり、「アツパツパ」はその俗称です。
掲句ではこれが他の夏の衣類と置換することが出来ません。
家居している生活感が滲み出ています。
・子猫はや身籠るまでに萩の雨
…眼目は上五「子猫はや」の「はや」です。
上五・中七の内容には実感があります。猫を飼った体験のある人です。
雌猫の避妊手術は雄猫の場合より困難です。本能的な「猫の恋」もありますし、生々しい話ですが、近親相姦もあります。
下五「萩の雨」の距離が適切かどうか分かりませんが、他に季語を含めた言葉が見つかりません。
・鴎外の墓に供えて烏瓜
…中七の末に「切れ」のある、取り合わせの句と思います。鴎外の墓に烏瓜を供えたのではありません。
烏瓜の細長い蔓や散在する実は、軍服の金モールや勲章を連想させます。
〈特別作品21句『音』岸本尚毅〉
・汀めくところに人や出水川
…巧いですね、ぐうの音も出ません。
出水あとの景ですが、確たる把握と描写です。そう言われれば、と思い当たります。
また掲句は(西洋)絵画(写真では不可)として描出できそうです。
・扇子置き団扇を持ちてくつろげる
…眼目は下五「くつろげる」です。
外出から戻ってきています。やはり扇子は外向き、団扇は家庭向きです。
何気ない日常の生活を描写しつつ、巧さがさりげなく滲んでいます。
・土用波昼寝の人に遠からず
…眼目は下五「遠からず」です。
「近い」とは言っていません。「明日は淵瀬」などの格言のように、近い将来の不安・不幸といった「憂(浮)き世」を暗示しているかのようです。
季重なりですが、ここでは「土用波」より「昼寝」の方にウェイトがあるかと思います。
一句の構成の完成度が高いと感じます。
〈特別作品21句『水の呪文』上田日差子〉
・空蟬やひとりよがりの夢のあと
…句意は分かります・中七の措辞も良いと思います。
ただし下五「夢のあと」が気になります。「事の果(はて)」などの方がベターかと思います。
2013年8月24日土曜日
【角川「俳句」9月号より・付録】
ここしばらくは活力・生産性に欠け、だらだらとした生活を送っていました。
激しい眼精疲労、頭重感と頭痛、易疲労感、全身倦怠感(心身共に)、睡眠障害…などに悩まされていました。
47年間の人生で、はじめての夏バテと思います。
季語で言えば、「夏痩」の傍題の「夏負け」に相当するのでしょうか。
そんなメリハリのないリビング・デッドさながらの私に、スパイスというかメガ・シャキ(商品名)が届きました。
角川「俳句」9月号・「新刊サロン」に関悦史氏による拙句書評が紹介が掲載されました。
掲載と評者のことは事前に知っていました。
有り難いことではありますが、まずこれはミスマッチではないかと思いました。関氏もまたよく受けたものだ、と不思議でした。
実は私と関氏とでは、交わる(重なる)部分がないのではないかと思っていました。
また関氏の句に対しても当初はやや懐疑的でした。
掲載自体でも光栄なのですが、ページの半分だろうと思っていたところ、1ページ丸ごとの掲載です。これは拙句集によるものではなく、関氏の力に依るものです。
関氏からの「暑中見舞」に、「辛口になるかも知れない」とありました。
これは関氏の沽券にも関わりますし、かつ私が「ベタ褒め」は嫌悪するだろうと見越しての心遣いです。
さて、本題の関氏の書評「隘路から見る定型の力」ですが…む、難しい…著者の私でさえ、3,4回読んで何となく分かったような感じです。
私が凡才ゆえか、よく分からない箇所もあります。
例えば「…(略)ただしそこで出てくるのは伝統的な画題に依った(略)…飯田龍太〈なにはともあれ山に雨山は春〉を想起させる(略)…元句の生彩と飛躍を殺いでいる」。
一見すると否定的な見解のように感じますが、何度か読むとむしろ「良い意味」かと思うようになります。
「毀誉褒貶」という言葉がありますが、関氏の書評はそれとも違う感じがしました。
書評の最後の方に「(略)にもかかわらず見るべき句はできてしまう事態を通して定型の恩寵にたしかに触れ…」とあります。
大井恒行氏(豈)も拙句集を「俳句の恩寵の享受」と書かれています(「俳壇」-(赤旗))。
う〜ん…著者である私自身が上記のことを意識したことがなかったこともあり、こそばゆく感じます。
何れにしても他人の客観的意見に素直に耳を傾けるということは大事なことだと思います。そこには「発見」があります。
Twitterでの私の関氏への発言です。
『「さすがに頭いいなぁ〜(非凡の才)」と感心しつつも、自分の凡才を改めて愛している(自己愛)次第です。』
Twitterでの関氏の発言(返信)を紹介し、終りとします。
『「適当に褒める」というのをやりたくなかったので(却って失礼でしょうし)ああいうことになってしまいましたが、もうちょっと美点を引き出す道もあったのではないかと、やや忸怩たるものがあります。』
「新刊サロン」に異例の大抜擢していてくれた『俳句』編集部の方々に御礼申し上げます。関さんはさぞや疲れたことでしょう、ご苦労様でした。そして感謝致します。
ここしばらくは活力・生産性に欠け、だらだらとした生活を送っていました。
激しい眼精疲労、頭重感と頭痛、易疲労感、全身倦怠感(心身共に)、睡眠障害…などに悩まされていました。
47年間の人生で、はじめての夏バテと思います。
季語で言えば、「夏痩」の傍題の「夏負け」に相当するのでしょうか。
そんなメリハリのないリビング・デッドさながらの私に、スパイスというかメガ・シャキ(商品名)が届きました。
角川「俳句」9月号・「新刊サロン」に関悦史氏による拙句書評が紹介が掲載されました。
掲載と評者のことは事前に知っていました。
有り難いことではありますが、まずこれはミスマッチではないかと思いました。関氏もまたよく受けたものだ、と不思議でした。
実は私と関氏とでは、交わる(重なる)部分がないのではないかと思っていました。
また関氏の句に対しても当初はやや懐疑的でした。
掲載自体でも光栄なのですが、ページの半分だろうと思っていたところ、1ページ丸ごとの掲載です。これは拙句集によるものではなく、関氏の力に依るものです。
関氏からの「暑中見舞」に、「辛口になるかも知れない」とありました。
これは関氏の沽券にも関わりますし、かつ私が「ベタ褒め」は嫌悪するだろうと見越しての心遣いです。
さて、本題の関氏の書評「隘路から見る定型の力」ですが…む、難しい…著者の私でさえ、3,4回読んで何となく分かったような感じです。
私が凡才ゆえか、よく分からない箇所もあります。
例えば「…(略)ただしそこで出てくるのは伝統的な画題に依った(略)…飯田龍太〈なにはともあれ山に雨山は春〉を想起させる(略)…元句の生彩と飛躍を殺いでいる」。
一見すると否定的な見解のように感じますが、何度か読むとむしろ「良い意味」かと思うようになります。
「毀誉褒貶」という言葉がありますが、関氏の書評はそれとも違う感じがしました。
書評の最後の方に「(略)にもかかわらず見るべき句はできてしまう事態を通して定型の恩寵にたしかに触れ…」とあります。
大井恒行氏(豈)も拙句集を「俳句の恩寵の享受」と書かれています(「俳壇」-(赤旗))。
う〜ん…著者である私自身が上記のことを意識したことがなかったこともあり、こそばゆく感じます。
何れにしても他人の客観的意見に素直に耳を傾けるということは大事なことだと思います。そこには「発見」があります。
Twitterでの私の関氏への発言です。
『「さすがに頭いいなぁ〜(非凡の才)」と感心しつつも、自分の凡才を改めて愛している(自己愛)次第です。』
Twitterでの関氏の発言(返信)を紹介し、終りとします。
『「適当に褒める」というのをやりたくなかったので(却って失礼でしょうし)ああいうことになってしまいましたが、もうちょっと美点を引き出す道もあったのではないかと、やや忸怩たるものがあります。』
「新刊サロン」に異例の大抜擢していてくれた『俳句』編集部の方々に御礼申し上げます。関さんはさぞや疲れたことでしょう、ご苦労様でした。そして感謝致します。
2013年8月23日金曜日
【俳句用語と一般用語③】
「かをり」と「にほひ」
※「かをり」
広辞苑;「かおり/薫・香(かおり)」…①よいにおい。香(か)。②つややかな美しさ。③(芸術品などの)何となく感じられるよい感じ。
古語辞典(旺文社古語辞典);「かをり(薫り)」…①よいにおい。②容貌の美しいさま。
と、意味はそう大差なさそうです。ただ広辞苑の③の例文として「文化の…が高い」とありますが、現代では限定的な使われ方をしています。
さて布施明の『シクラメンのかほり』(題・作詞;小椋佳)という歌謡曲があります。
古語に比較的馴染みがある人は、「かをり」の間違いではないのか、と疑問を抱きます。
この話について、小川軽舟氏の講演を大分県で聴いたことがあります。
詳細については、契沖以降の「歴史的仮名遣」では「かをり」が正しいとされ、それ以前にスタンダードだった定家仮名遣では「かほり」が正しいとされている。「かほり」の表記が必ずしも誤りであるとは言えない(Wikipediaより)とのことです。
※契沖(けいちゅう、1640年 - 1701年);江戸時代中期の真言宗の僧。古典学者(国学者)。
「かをり」と「かほり」の平仮名表記では…確かに「かほり」の方が感覚的には好ましい気もします。
少なくとも私は句作において、「香(か)」しか用いませんので、特に不自由はしていません。それには俳句の器の問題もあります。
ただ一般の方は、「シクラメンの『かほり』」の影響が強いためか、無防備に「かほり」と用いているケースを散見します。
う〜ん…、悩ましいところですが、俳人以前に現代社会の人間である訳ですから、大目に見る方が得策でしょうか。
※「にほひ」
広辞苑では…「におい/匂(にほひ)」;①赤などのあざやかな色が美しく映えること。②はなやかなこと。つやつやしいこと。③かおり。香気。④(「臭」と書く)くさいかおり。臭気。⑤ひかり。威光。⑥(人柄などの)おもむき。気品。⑦そのものが持つ雰囲気。それらしい感じ。⑧同色の濃淡によるぼかし。⑨芸能や和歌・俳諧などで、そのものに漂う気分・情緒・余情など。
古語辞典では…「にほひ/匂ひ)」;①色の美しく映えること。②つやのある美しさ。きわだった美しさ。③香り。香気。④風情。気品。⑤光・威光。⑥染め色、または「襲(かさね)の色目」の配色。⑦「匂ひ縅(おどし)」の略。⑧⦅俳諧用語⦆連句で、気分・情緒・余情。
“語史”;古語の「にほひ」;視覚的な美しさから、平安時代以後より、香りや、さらには余情的な風情・気韻も表すようになる。近世には、蕉風俳諧の用語として⑧の意にも使われた。
俳句では、視覚・嗅覚のみならず、上記の広辞苑では⑨・古語辞典では⑧の要素を含んでいます。
俳句において「匂ひ(にほひ」は頻繁に見られますし、また句作にも用います。
「匂ひ(にほひ」の有する多義性・情報量は、「季語」の本意・本情の有するそれと近いものがあります。
俳句においては必須語彙と言えるかも知れません。
さて一般の方の「におい(匂)」では、一部は視覚や雰囲気を指すことがありますが、嗅覚が主体かと思われます。広辞苑も古語辞典でも③に相当するかと思われます。
「臭」に関しては、俳句でも一般用語としても用います。
少なくとも私は、たとえそれが臭気を放っていなくとも、生活に密着する場合は、上記「にほひ」(動;にほふ)と表記しています。
一般用語は、腐敗したものを指し、「臭い(動:臭う)」と使うことが多いような気がします。
「匂ひ「(にほひ)」だけでも、俳句用語と一般用語は用法に乖離が生じています。
確かに一般の方が、俳句の「匂ひ(にほひ)を充分に把握するのは難しいかも知れません。
このあたりの差異も寛大な心で受け止めた方が良さそうです。
媚を売る必要はありませんが、一般の方が俳句を読んでみて、「よくは分からないが、何となくいい感じがする」という声を聞きたいものです。
俳諧も最初は大衆芸能に近いものでした。
俳句の言葉は、マイノリティーのためだけに存在する言葉で良いものだろうか、と私は常々悩んでいます。
「かをり」と「にほひ」
※「かをり」
広辞苑;「かおり/薫・香(かおり)」…①よいにおい。香(か)。②つややかな美しさ。③(芸術品などの)何となく感じられるよい感じ。
古語辞典(旺文社古語辞典);「かをり(薫り)」…①よいにおい。②容貌の美しいさま。
と、意味はそう大差なさそうです。ただ広辞苑の③の例文として「文化の…が高い」とありますが、現代では限定的な使われ方をしています。
さて布施明の『シクラメンのかほり』(題・作詞;小椋佳)という歌謡曲があります。
古語に比較的馴染みがある人は、「かをり」の間違いではないのか、と疑問を抱きます。
この話について、小川軽舟氏の講演を大分県で聴いたことがあります。
詳細については、契沖以降の「歴史的仮名遣」では「かをり」が正しいとされ、それ以前にスタンダードだった定家仮名遣では「かほり」が正しいとされている。「かほり」の表記が必ずしも誤りであるとは言えない(Wikipediaより)とのことです。
※契沖(けいちゅう、1640年 - 1701年);江戸時代中期の真言宗の僧。古典学者(国学者)。
「かをり」と「かほり」の平仮名表記では…確かに「かほり」の方が感覚的には好ましい気もします。
少なくとも私は句作において、「香(か)」しか用いませんので、特に不自由はしていません。それには俳句の器の問題もあります。
ただ一般の方は、「シクラメンの『かほり』」の影響が強いためか、無防備に「かほり」と用いているケースを散見します。
う〜ん…、悩ましいところですが、俳人以前に現代社会の人間である訳ですから、大目に見る方が得策でしょうか。
※「にほひ」
広辞苑では…「におい/匂(にほひ)」;①赤などのあざやかな色が美しく映えること。②はなやかなこと。つやつやしいこと。③かおり。香気。④(「臭」と書く)くさいかおり。臭気。⑤ひかり。威光。⑥(人柄などの)おもむき。気品。⑦そのものが持つ雰囲気。それらしい感じ。⑧同色の濃淡によるぼかし。⑨芸能や和歌・俳諧などで、そのものに漂う気分・情緒・余情など。
古語辞典では…「にほひ/匂ひ)」;①色の美しく映えること。②つやのある美しさ。きわだった美しさ。③香り。香気。④風情。気品。⑤光・威光。⑥染め色、または「襲(かさね)の色目」の配色。⑦「匂ひ縅(おどし)」の略。⑧⦅俳諧用語⦆連句で、気分・情緒・余情。
“語史”;古語の「にほひ」;視覚的な美しさから、平安時代以後より、香りや、さらには余情的な風情・気韻も表すようになる。近世には、蕉風俳諧の用語として⑧の意にも使われた。
俳句では、視覚・嗅覚のみならず、上記の広辞苑では⑨・古語辞典では⑧の要素を含んでいます。
俳句において「匂ひ(にほひ」は頻繁に見られますし、また句作にも用います。
「匂ひ(にほひ」の有する多義性・情報量は、「季語」の本意・本情の有するそれと近いものがあります。
俳句においては必須語彙と言えるかも知れません。
さて一般の方の「におい(匂)」では、一部は視覚や雰囲気を指すことがありますが、嗅覚が主体かと思われます。広辞苑も古語辞典でも③に相当するかと思われます。
「臭」に関しては、俳句でも一般用語としても用います。
少なくとも私は、たとえそれが臭気を放っていなくとも、生活に密着する場合は、上記「にほひ」(動;にほふ)と表記しています。
一般用語は、腐敗したものを指し、「臭い(動:臭う)」と使うことが多いような気がします。
「匂ひ「(にほひ)」だけでも、俳句用語と一般用語は用法に乖離が生じています。
確かに一般の方が、俳句の「匂ひ(にほひ)を充分に把握するのは難しいかも知れません。
このあたりの差異も寛大な心で受け止めた方が良さそうです。
媚を売る必要はありませんが、一般の方が俳句を読んでみて、「よくは分からないが、何となくいい感じがする」という声を聞きたいものです。
俳諧も最初は大衆芸能に近いものでした。
俳句の言葉は、マイノリティーのためだけに存在する言葉で良いものだろうか、と私は常々悩んでいます。
2013年8月22日木曜日
【俳句用語と一般用語②】
「雷」と「稲妻」
「雷」は夏の季語です。春は「春の雷」、冬は「冬の雷」(「寒雷」)です。
「稲妻」は秋の季語です。
つまり秋以外の三季は「雷」ということになります。
さて「雷」と「稲妻」の違いは何でしょうか?
『角川俳句大歳時記』の夏・秋より「雷」と「稲妻」の解説を引用します。
「雷」…空中に上昇気流が発生すると、雲の上方と下方で放電が起こる。一瞬のエネルギー放出が見せる光が稲妻、音が雷鳴。上空が冷え、地表付近が高温多湿のとき発声するので夏に多い。日雷は晴天の雷。晴天の霹靂は晴天ににわかに起こる雷のこと。
「稲妻」…空中電気が放電されることによって閃く電光を稲妻という。遠くのために雷鳴が聞こえず、光だけが見える場合や、雨を伴わないものをさすことが多い。雷は「神鳴り」、つまり音が中心に考えられたのに対し、稲妻は光に注目した季語である。昔の農民は、この現象が稲の出来に深い関わりがあると考えた。すなわち、稲がこの電光によって霊的なものと結びつき、実るのだと信じていたのである。そこから稲の伴侶→稲夫→稲妻と転じたものと思われる。
「稲妻」の場合、稲作文化に基づいた風習が深く関わっていることは分かります。
「雷」の場合は「音」ー「雷鳴」を、「稲妻」の場合は「光」ー「稲光」を念頭に置く必要があります。
しかしながら夏と秋は隣り合った季節であり、実際には「音」と「光」だけでは両者の区別は困難と思います。
ここまでは俳句の話です。
それでは一般の方はどのように認識しているのでしょうか?
まずはWikipediaより引用します。
「雷・稲妻」…雷に際して起こる光は稲妻であり、雷電の「電」である。それに対して雷に際して起こる音は雷鳴であり、雷電の「雷(らい)」である。光と音を伴う雷放電現象を雷電と呼ぶ。現代日本語でいう雷は雷電とほぼ同義語であるが、遠方で発生した雷は光は見えるものの、風向きの影響などで音が聞こえない事がある。そのため、日本式天気図においては「過去10分以内に雷電または雷鳴があった状態」を雷としている。気象庁の定義によると「雷」とは「雷電(雷鳴および電光)がある状態。電光のみは含まない。」とされている。…と両者の区別は定かではありません。
英語では“thunder”は「雷鳴」、「稲光」は“lightning”、音と光の双方を伴う「雷電」は“thunderbolt”とされています。
ただ一般用語としては、区別は曖昧かと思います。
たとえ秋でなくても日本人は「稲妻」が好きなようです。「イナヅマ」の濁音の効果もあるでしょう。
私の知る範囲での雑学です。
まずは「アリス」の歌「冬の稲妻」を思い付きます。「稲妻」と言いつつ、歌詞の中には“♪ You're rollin thunder …”とあり、英語の部分は「雷鳴」になっています。
元ジャニーズの男闘呼組(おとこぐみ)の歌詞のサビに「♪冬の稲妻ー」とありました。
プロレスでは元・プロレスラーの木村健吾氏(愛称;「稲妻戦士」)の「稲妻レッグ・ラリアット」(後に「稲妻継承」へ)。
実写ヒーローものでは、「イナズマン」(二段階変身?変態?-一定時間は「サナギマン」)。
ゲーム(漫画)では「イナヅマイレブン」など…
「雷」は英語で使われることが多いようです。
「雷」と「稲妻」
「雷」は夏の季語です。春は「春の雷」、冬は「冬の雷」(「寒雷」)です。
「稲妻」は秋の季語です。
つまり秋以外の三季は「雷」ということになります。
さて「雷」と「稲妻」の違いは何でしょうか?
『角川俳句大歳時記』の夏・秋より「雷」と「稲妻」の解説を引用します。
「雷」…空中に上昇気流が発生すると、雲の上方と下方で放電が起こる。一瞬のエネルギー放出が見せる光が稲妻、音が雷鳴。上空が冷え、地表付近が高温多湿のとき発声するので夏に多い。日雷は晴天の雷。晴天の霹靂は晴天ににわかに起こる雷のこと。
「稲妻」…空中電気が放電されることによって閃く電光を稲妻という。遠くのために雷鳴が聞こえず、光だけが見える場合や、雨を伴わないものをさすことが多い。雷は「神鳴り」、つまり音が中心に考えられたのに対し、稲妻は光に注目した季語である。昔の農民は、この現象が稲の出来に深い関わりがあると考えた。すなわち、稲がこの電光によって霊的なものと結びつき、実るのだと信じていたのである。そこから稲の伴侶→稲夫→稲妻と転じたものと思われる。
「稲妻」の場合、稲作文化に基づいた風習が深く関わっていることは分かります。
「雷」の場合は「音」ー「雷鳴」を、「稲妻」の場合は「光」ー「稲光」を念頭に置く必要があります。
しかしながら夏と秋は隣り合った季節であり、実際には「音」と「光」だけでは両者の区別は困難と思います。
ここまでは俳句の話です。
それでは一般の方はどのように認識しているのでしょうか?
まずはWikipediaより引用します。
「雷・稲妻」…雷に際して起こる光は稲妻であり、雷電の「電」である。それに対して雷に際して起こる音は雷鳴であり、雷電の「雷(らい)」である。光と音を伴う雷放電現象を雷電と呼ぶ。現代日本語でいう雷は雷電とほぼ同義語であるが、遠方で発生した雷は光は見えるものの、風向きの影響などで音が聞こえない事がある。そのため、日本式天気図においては「過去10分以内に雷電または雷鳴があった状態」を雷としている。気象庁の定義によると「雷」とは「雷電(雷鳴および電光)がある状態。電光のみは含まない。」とされている。…と両者の区別は定かではありません。
英語では“thunder”は「雷鳴」、「稲光」は“lightning”、音と光の双方を伴う「雷電」は“thunderbolt”とされています。
ただ一般用語としては、区別は曖昧かと思います。
たとえ秋でなくても日本人は「稲妻」が好きなようです。「イナヅマ」の濁音の効果もあるでしょう。
私の知る範囲での雑学です。
まずは「アリス」の歌「冬の稲妻」を思い付きます。「稲妻」と言いつつ、歌詞の中には“♪ You're rollin thunder …”とあり、英語の部分は「雷鳴」になっています。
元ジャニーズの男闘呼組(おとこぐみ)の歌詞のサビに「♪冬の稲妻ー」とありました。
プロレスでは元・プロレスラーの木村健吾氏(愛称;「稲妻戦士」)の「稲妻レッグ・ラリアット」(後に「稲妻継承」へ)。
実写ヒーローものでは、「イナズマン」(二段階変身?変態?-一定時間は「サナギマン」)。
ゲーム(漫画)では「イナヅマイレブン」など…
「雷」は英語で使われることが多いようです。
プロレスラーでは故・「サンダー杉山」、「獣神サンダー・ライガー」。
漫画では「リングにかけろ」の「志那虎一城」の「ローリングサンダー」。「聖闘士星矢(Ω)」の「シャイナ」の「サンダークロウ」など…
漢字の場合、筆頭は伝説の力士「雷電」でしょう。
漫画では「魁(暁)!! 男塾」の「三面拳」の一人、「雷電」など…
という訳で、一般の方はさほど「雷」と「稲妻」を区別していませんが、一般社会においては、俳人はうまく聞き流す方が良さそうです。
次回は季語ではなく、「香(かをり、かほり)」と「にほひ」について話をしたいと思います。
漫画では「リングにかけろ」の「志那虎一城」の「ローリングサンダー」。「聖闘士星矢(Ω)」の「シャイナ」の「サンダークロウ」など…
漢字の場合、筆頭は伝説の力士「雷電」でしょう。
漫画では「魁(暁)!! 男塾」の「三面拳」の一人、「雷電」など…
という訳で、一般の方はさほど「雷」と「稲妻」を区別していませんが、一般社会においては、俳人はうまく聞き流す方が良さそうです。
次回は季語ではなく、「香(かをり、かほり)」と「にほひ」について話をしたいと思います。
2013年8月21日水曜日
【俳句用語と一般用語①】
朝晩は少ししのぎやすくなったものの、日中はやはりきびしい残暑です。
まだ雲は秋の様相を呈しておらず、峰雲が目立ちます。
「雲の峰」…おそらく一般の方には殆ど伝わらない言葉かと思われます。「伝播性に欠く」、「疎通性が取れない」言葉とも言えます。
歳時記でも「雲の峰」の傍題に「積乱雲」や「入道雲」はあります。しかし例句の殆どは「雲の峰」か「峰雲」です。
季語としては「雲の峰」や「峰雲」の方に含みを感じます。
悩ましいところですが、季語と一般用語を使い分けるのが適当かと思います。
それでは「野分」と「台風(颱風)」はどうでしょうか?
歳時記でもこの二者は独立した季語として扱われています。独立している以上、使い分けはあると思います。
ただ個人的には、現代では「台風(颱風)」の方がしっくりと感じます。
また一般の方にも伝わるという側面も持ちます。
次回は「稲妻」と「雷」について話したいと思います。
朝晩は少ししのぎやすくなったものの、日中はやはりきびしい残暑です。
まだ雲は秋の様相を呈しておらず、峰雲が目立ちます。
「雲の峰」…おそらく一般の方には殆ど伝わらない言葉かと思われます。「伝播性に欠く」、「疎通性が取れない」言葉とも言えます。
歳時記でも「雲の峰」の傍題に「積乱雲」や「入道雲」はあります。しかし例句の殆どは「雲の峰」か「峰雲」です。
季語としては「雲の峰」や「峰雲」の方に含みを感じます。
悩ましいところですが、季語と一般用語を使い分けるのが適当かと思います。
それでは「野分」と「台風(颱風)」はどうでしょうか?
歳時記でもこの二者は独立した季語として扱われています。独立している以上、使い分けはあると思います。
ただ個人的には、現代では「台風(颱風)」の方がしっくりと感じます。
また一般の方にも伝わるという側面も持ちます。
次回は「稲妻」と「雷」について話したいと思います。
【recovery-不易流行】
ご迷惑をおかけしました。何とか復調しました。
この間、「俳句集団 itak」の HP(http://itakhaiku.blogspot.jp)に、鈴木牛後氏による拙句集の評『ドライな目』をupして戴きました。
この評はやや視点が異なります。作者(私)の人物像を探っています。いわゆるプロファイリングです。
本音を言えば「遂に見破られた」と思いました。
私の意図したところも、性も生活スタイルも職業も、そして家族も隠すことにあったからです。
「序文」も「あとがき」もなく、簡素な「著者略歴」も、全て自己韜晦のためと言っても過言ではありません。
殊に医師という職業の特殊性を俳句に前面に出すことを自戒しています。
職業上、死を含め多くの特殊な体験をしますが、俳句ではそれらを滲ませる程度で良いと考えています。
俳句はやはり「季節を詠む詩」であり、ある程度の「普遍性を有する詩」だと思います。
普遍性に関しては、携帯電話やPCなどの電化製品などにも言えます。
私の考えは今の時代には古いかも知れません。
ただ今の時代も歴史の断面に過ぎません。
もちろん、現代的な俳句も読みます。そこで何かエッセンスを感じれば、アレンジしつつ取り入れることもあります。
「不易流行」とはよく言ったものです…ただ作者は「不易」と「流行」のバランスを自ら客観視することが肝要かと思います。
ご迷惑をおかけしました。何とか復調しました。
この間、「俳句集団 itak」の HP(http://itakhaiku.blogspot.jp)に、鈴木牛後氏による拙句集の評『ドライな目』をupして戴きました。
この評はやや視点が異なります。作者(私)の人物像を探っています。いわゆるプロファイリングです。
本音を言えば「遂に見破られた」と思いました。
私の意図したところも、性も生活スタイルも職業も、そして家族も隠すことにあったからです。
「序文」も「あとがき」もなく、簡素な「著者略歴」も、全て自己韜晦のためと言っても過言ではありません。
殊に医師という職業の特殊性を俳句に前面に出すことを自戒しています。
職業上、死を含め多くの特殊な体験をしますが、俳句ではそれらを滲ませる程度で良いと考えています。
俳句はやはり「季節を詠む詩」であり、ある程度の「普遍性を有する詩」だと思います。
普遍性に関しては、携帯電話やPCなどの電化製品などにも言えます。
私の考えは今の時代には古いかも知れません。
ただ今の時代も歴史の断面に過ぎません。
もちろん、現代的な俳句も読みます。そこで何かエッセンスを感じれば、アレンジしつつ取り入れることもあります。
「不易流行」とはよく言ったものです…ただ作者は「不易」と「流行」のバランスを自ら客観視することが肝要かと思います。
2013年8月17日土曜日
【『俳壇』9月号より⑥(終)】
〈現代俳句の窓『夏帽子』飯塚すなお〉
・ぼうたんの蕊に幼き蟻溺る
・掴みたる蛾を投げ返す梅雨の闇
〈現代俳句の窓『落し文』今井星女〉
(なし)
〈現代俳句の窓『花菖蒲』栗原憲司〉
・蛇泳ぎゐる水の翳草の翳
・花菖蒲むらさきばかりこみあひて
〈現代俳句の窓『青山河』黒沢孝子〉
(なし)
〈現代俳句の窓『奥日光』酒井 晃〉
(なし)
〈現代俳句の窓『余花の雨』千葉日出代〉
(なし)
〈現代俳句の窓『磯笛』渡辺早月〉
(なし)
〈競詠・新句集の人々『中山法華経寺』安部栄子〉
(なし)
〈競詠・新句集の人々『蝸牛』金子竜胆〉
・河骨の明るき雨に咲き誇る
〈競詠・新句集の人々『茅の輪』中尾京子〉
・涼しさや釘を使はぬ薬師堂
〈競詠・新句集の人々『蟻の列』鈴木基之〉
・過不足を言はぬが仏冷奴
※ 個人的な理由により、無味乾燥な句の抽出に終わり、申し訳ありませんでした。
〈暗唱句〉
行事〈大文字-初秋〉
(なし)
植物〈松茸-晩秋〉
(なし)
以上で重要季語98、例句251です。
これにて秋の重要季語の暗唱句を終わります。
※ 私はASD(急性ストレス障害)による抑うつ状態にあります。
この現状で続けても、閲覧者に対し失礼になるかと思います。
薬物治療はしていますが、少し休養のための時間が必要です。
大変申し訳ありませんが、10日間ほどこのブログを休ませて下さい。
角川『俳句』9月号が出版される頃には、再開したいと思います。
〈現代俳句の窓『夏帽子』飯塚すなお〉
・ぼうたんの蕊に幼き蟻溺る
・掴みたる蛾を投げ返す梅雨の闇
〈現代俳句の窓『落し文』今井星女〉
(なし)
〈現代俳句の窓『花菖蒲』栗原憲司〉
・蛇泳ぎゐる水の翳草の翳
・花菖蒲むらさきばかりこみあひて
〈現代俳句の窓『青山河』黒沢孝子〉
(なし)
〈現代俳句の窓『奥日光』酒井 晃〉
(なし)
〈現代俳句の窓『余花の雨』千葉日出代〉
(なし)
〈現代俳句の窓『磯笛』渡辺早月〉
(なし)
〈競詠・新句集の人々『中山法華経寺』安部栄子〉
(なし)
〈競詠・新句集の人々『蝸牛』金子竜胆〉
・河骨の明るき雨に咲き誇る
〈競詠・新句集の人々『茅の輪』中尾京子〉
・涼しさや釘を使はぬ薬師堂
〈競詠・新句集の人々『蟻の列』鈴木基之〉
・過不足を言はぬが仏冷奴
※ 個人的な理由により、無味乾燥な句の抽出に終わり、申し訳ありませんでした。
〈暗唱句〉
行事〈大文字-初秋〉
(なし)
植物〈松茸-晩秋〉
(なし)
以上で重要季語98、例句251です。
これにて秋の重要季語の暗唱句を終わります。
※ 私はASD(急性ストレス障害)による抑うつ状態にあります。
この現状で続けても、閲覧者に対し失礼になるかと思います。
薬物治療はしていますが、少し休養のための時間が必要です。
大変申し訳ありませんが、10日間ほどこのブログを休ませて下さい。
角川『俳句』9月号が出版される頃には、再開したいと思います。
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