2013年8月11日日曜日


【俳句を捨てたこと】

私が俳句を始めたのは、35、6才の頃と思います。

激しい腰痛に悩まさ、散文(小説)の道を諦めた頃です。

最初は地方新聞への投稿からでした。
やがて独学に限界を感じ、結社に入会しました。38才頃かと思います。

最初は惨憺たるものでした。
それでも回を重ねていく度に少しずつ改善していきました。

職場での上司とのトラブルもあり辞職しました。
それから半年間は貯金を切り崩しつつ、九州を旅しました。

結社との関係は保てる範囲で新しい職場を探し、ある僻地に赴任しました。
その地にも結社の支部がありました。

しかし小さな支部ですから、勉強の場にはなりませんでした。
さらにその支部で問題が起こります。混乱が生じました。
同時にその地でも上司とのトラブルにより辞職しました。

全てを放棄したい気持ちになりました。
老人内科に転向しました。
歳時記、俳句書、そしてそれまでのデーターも全てと共に俳句を捨てました。
その地には半年余りしか居ませんでした。39才頃でしょうか。

それから3年ほど職場を転々としました。
「骨休め」のつもりで広島に来ましたが、それが今日に至っています。

安堵しつつも、時間を持て余すようになりました。
しばらく悩んだ末に俳句を再開することにしました。42才の手前でした。

やがて知人から俳人協会O県支部の募集句の誘いがありました。
淵脇護氏(河鹿(鹿児島)主宰・河)が選者で、そこで特選・準特選を戴きました。
その特選句は拙句集に入れています。

・爆心地跡の屋台に舌焦がす

ここから本格的な再出発となりました。

今、私は47才です。拙句集の全ては広島での約5年間に作ったものです。
俳句歴はトータルでも10年に足りません。

俳句力は俳句歴と比例関係にはないと思います。
たとえ定年退職後に俳句を始めるにしても、短期的・中長期的な計画のもと、目標を掲げていれば、句集なり何らかの成果は出ると思います。


〈暗唱句〉植物
〈芒-三秋〉

・折りとりてはらりとおもきすゝきかな        飯田蛇笏      (☆)
・貌が棲む芒の中の捨て鏡              中村苑子
・一叢の芒粗ならず密ならず             深見けん二
・風のないときは乱れてゐる芒            山崎十生
・わが行けばうしろ閉ぢゆく薄原           正木ゆう子

〈葛の花-初〉

・男老いて男を愛す葛の花              永田耕衣
・葛咲くや嬬恋村の字(あざ)いくつ         石田波郷      (☆)
・葛の花来るなと言つたではないか          飯島晴子
・葛の花むかしの恋は山河越え            鷹羽狩行

〈曼珠沙華-仲〉

・曼珠沙華散るや赤きに耐へかねて          野見山朱鳥
・西国の畦曼珠沙華曼珠沙華             森 澄雄      (☆)
・野にて裂く封書一片曼珠沙華            鷲谷七菜子

以上で重要季語78、例句220です。

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