【俳句を捨てたこと】
私が俳句を始めたのは、35、6才の頃と思います。
激しい腰痛に悩まさ、散文(小説)の道を諦めた頃です。
最初は地方新聞への投稿からでした。
やがて独学に限界を感じ、結社に入会しました。38才頃かと思います。
最初は惨憺たるものでした。
それでも回を重ねていく度に少しずつ改善していきました。
職場での上司とのトラブルもあり辞職しました。
それから半年間は貯金を切り崩しつつ、九州を旅しました。
結社との関係は保てる範囲で新しい職場を探し、ある僻地に赴任しました。
その地にも結社の支部がありました。
しかし小さな支部ですから、勉強の場にはなりませんでした。
さらにその支部で問題が起こります。混乱が生じました。
同時にその地でも上司とのトラブルにより辞職しました。
全てを放棄したい気持ちになりました。
老人内科に転向しました。
歳時記、俳句書、そしてそれまでのデーターも全てと共に俳句を捨てました。
その地には半年余りしか居ませんでした。39才頃でしょうか。
それから3年ほど職場を転々としました。
「骨休め」のつもりで広島に来ましたが、それが今日に至っています。
安堵しつつも、時間を持て余すようになりました。
しばらく悩んだ末に俳句を再開することにしました。42才の手前でした。
やがて知人から俳人協会O県支部の募集句の誘いがありました。
淵脇護氏(河鹿(鹿児島)主宰・河)が選者で、そこで特選・準特選を戴きました。
その特選句は拙句集に入れています。
・爆心地跡の屋台に舌焦がす
ここから本格的な再出発となりました。
今、私は47才です。拙句集の全ては広島での約5年間に作ったものです。
俳句歴はトータルでも10年に足りません。
俳句力は俳句歴と比例関係にはないと思います。
たとえ定年退職後に俳句を始めるにしても、短期的・中長期的な計画のもと、目標を掲げていれば、句集なり何らかの成果は出ると思います。
〈暗唱句〉植物
〈芒-三秋〉
・折りとりてはらりとおもきすゝきかな 飯田蛇笏 (☆)
・貌が棲む芒の中の捨て鏡 中村苑子
・一叢の芒粗ならず密ならず 深見けん二
・風のないときは乱れてゐる芒 山崎十生
・わが行けばうしろ閉ぢゆく薄原 正木ゆう子
〈葛の花-初〉
〈葛の花-初〉
・男老いて男を愛す葛の花 永田耕衣
・葛咲くや嬬恋村の字(あざ)いくつ 石田波郷 (☆)
・葛の花来るなと言つたではないか 飯島晴子
・葛の花むかしの恋は山河越え 鷹羽狩行
〈曼珠沙華-仲〉
〈曼珠沙華-仲〉
・曼珠沙華散るや赤きに耐へかねて 野見山朱鳥
・西国の畦曼珠沙華曼珠沙華 森 澄雄 (☆)
・野にて裂く封書一片曼珠沙華 鷲谷七菜子
以上で重要季語78、例句220です。
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