2013年5月20日月曜日

『香天』5・6月号
(岡田耕治主宰)
【『香天』・無季と歌枕】

Twitterで相互フォローでの、『香天』の岡田耕治氏に拙句集『原型』を寄贈しました。
すぐにmailで返信があり、岡田氏の選(42句)と『香天』誌への「招待作品」(21句)の依頼がありました。

拙句集『原型』からの21句抄です。岡田氏の選と合わせようかとも思いましたが、あえて自選としました。

昨日、『香天』誌が届きました。開いてみて驚きました。結社誌の一番前、主宰より前に掲載されていました。
いたるところにお褒めの言葉があり、全身にむず痒さを感じました。

特に注目して戴いたのが次の拙句です。

・爆心地跡の屋台に舌焦がす             山咲臥竜

拙句は5年程前、俳人協会大分県支部の俳句大会において、『河鹿(鹿児島)』の淵脇護主宰より特選を戴いたものです。

両者に対し、深く御礼申し上げます。

この句に対し次のような質問をよく受けます。
「季語はどれ?」「季語がないのではないか?」

このように解釈されて下さい。

〈無季と捉える場合〉
俳句は季節を詠む句です。
たとえ「季語」がなくとも、おおよその季節が分かれば良いのです。
一句を通して読むと、やはり場面は「晩夏」から残暑厳しい「初秋」です。

また「爆心地」とは歌枕(枕詞)です。広島か長崎という地名と、その歴史があります。
歌枕は季語と同じ働きをします。
次の句も無季ですが、「沖縄」という歌枕があります。

・沖縄や悲しき歌を晴晴と              小栗たゑ

「爆心地」と「季語」の入った句も少なくありませんが、互いがぶつかっていることが多く、あまり良い句は見かけません。

「枕詞」と「季語」がぶつかっていない句もあります。

・象潟や雨に西施がねぶの花             芭 蕉

問題は「枕詞」と「季語」がぶつかるかどうか、ということであり、そのことは「季重なり」と同じです。

詳しくは「無季の句について」『一億人の季語入門』長谷川櫂(角川学芸出版)p.152〜155を参考にされて下さい。

〈有季と捉える場合〉
大歳時記になると、原爆忌の傍題に「爆心地」が載っています。

・彎曲し火傷し爆心地のマラソン           金子兜太

この句の「爆心地」は長崎です。季語の傍題となっているのはこの句の影響が大きいかと思えます。

季語は生命体のごとく時代と共に変化し、動くものです。

・万緑の中や吾子の歯生え初むる           中村草田男

この句が人口に膾炙されるようになり「万緑」という独立した季語が定着しました。
「ひめはじめ」は語源も不確かながら、それでも時代と共に意味が変容してきました。

振り返って拙句を見ますと、無季、有季の両方に取れますが、個人的には「無季+歌枕」と捉えたいと考えます。金子兜太氏の句も同じではないかと思います。

俳句には「季語」を要す…そうした固定観念や風潮により、「爆心地」という言葉は曖昧な位置にあるように思います。

〈暗唱句〉

生活・行事

〈名越の祓-晩夏〉
・薄闇に蹠拭きゐる夏越かな            桂 信子      (☆)
ありあまる黒髪くぐる茅の輪かな         川崎展宏

植物
〈瓜-晩夏〉
・朝露によごれて涼し瓜の泥            芭 蕉
・水桶にうなづきあふや瓜茄子           蕪 村       (☆)
・瓜貰ふ太陽の熱さめざるを            山口誓子

〈夕顔-晩夏〉
・夕顔の他に彩なく日暮れ待つ           林田紀音夫     (☆)

これで重要季語113、例句318です。

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