2013年5月18日土曜日

【結社に何を求めるか】

多くの書店で拙句集『原型』を取り扱って戴いています。
Amazonもで扱って戴いていますが、当初より「在庫なし」の状態が続いていましたので、「ふらんす堂」と連絡をとり、その上で著者である私本人が「出品者」となりました。

他の販売先と同じく、「新品」1.890円にしています。
注文があればAmazonを経由し、私から発送する形になります。

しかし…そのAmazonから私に一向に発送の依頼は来ません。
そもそも読者層が薄い上に、無名の俳人の句集であればなおさらです、何かイベントがあれば一気に売れるかも知れませんが…それが現実であり、大衆心理なのかも知れません。

ボヤキ?はこの辺にして…

私は今どこの結社にも協会にも属していません。
少し前までは、結社に求めたものは主宰の選でした。

確かに優れた選者(主宰)は相対的に、良い句を抽出し、評価することに長けています。
それでもそれは絶対的ではありません。
最後は自分を信じるしかありません。

結社の役割には、「教育」「育成」という側面がありますが、過大な期待は禁物です。
自分の「俳句力」を高めるのが第一義です。
「おんぶにだっこ」というような受動的・依存的な姿勢では話になりません。
能動的・独立的な姿勢で臨むべきでしょう。

その「ツール」の一つとして、「結社」というシステムがあっても良いかと思います。
主宰や同門の方々に気兼ねする気持ちも分かりますが、自分は彼らのために俳句をしているのではなく、自分自身のために俳句をしているのだ、と時に割り切ることも必要です。

「ドクター・ショッピング」という言葉がありますが、「結社のショッピング(巡り)」もあって良いかと思います。
確かに「俳句界」は閉鎖的です。しかし「俳句界」に居づらくなったと思う人の大半の心理にの本質は、自己愛であり、他者から見れば傲慢とも言えます。

「茶話会」のような句会の存在を否定はしませんが、少なくとも私は遠慮します。
「ぬるま湯」に長く浸かっていると、「妥協」が生まれてきます。
上達も遅くなり、初学のまま停滞します。

またそういうところは、「足の引っ張り合い」等、人間の醜悪さを露呈する温床となりがちです。「和」の押し売りもします。
俳句とは全く次元を別にした、低レベルの話です。

〈暗唱句〉

生活・行事〈神田祭-初夏〉
(なし)

植物
〈百合の花-仲夏〉

・偽りのなき香を放ち山の百合           飯田龍太     (☆)
・服薬や夜明の百合のうすみどり          岡本 眸
・たくさんの百合添へて死を頂戴す         正木ゆう子

〈紅の花-仲夏〉

・峠より日の濃くなれり紅の花           皆川盤水     (☆)

これで重要季語107、例句305です。

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