俳句は『十七「文字」の文芸・詩』とよく言われ、流布しています。
…実は正しい表現ではありません。
それでは『十七「音」の文芸・詩』か
…これも正しい表現ではありません。
正しくは、俳句は『十七「拍」の文芸・誌』です。
「拍」とは「調べ」や「リズム」と同義語です。
「手拍子」という言葉を用いると、分かり易いかも知れません。
これは特に上五の「字余り」(六文字、六音)、または上五「字足らず」(四文字、四音)で見られます。
つまり六文字、六音・四文字、四音を五拍で読むわけです。
例を挙げます。
・旅に病で夢は枯野をかけ廻る 芭 蕉
・目には青葉山ほとゝぎすはつ松魚 素 堂
・牡丹散りて打ち重なりぬ二三片 蕪 村
・神にませばまこと美はし那智の滝 高浜虚子
・世移り蘆の中州はもとのまゝ 高浜虚子
たびにやんで ゆめはかれのを かけめぐる
①〇〇〇⑤ ①〇〇〇〇〇⑦ ①〇〇〇⑤
「たびにやんで」の六文字・六音が五拍に押し込められています。
これが切迫した感じを生み出しています。
定型通り「旅に病み夢は枯野をかけ廻る」であれば、芭蕉の無念の思いは薄れて平板な句になります。
めにはあをば やまほととぎす はつがつお
①〇〇〇⑤ ①〇〇〇〇〇⑦ ①〇〇〇⑤
これが「目に青葉」であれば、初鰹の鮮度が落ちてしまいます。
五拍で読むことによって句に勢いが生まれ、生きのいい初鰹の句になります。
ぼたんちりて うちかさなりぬ にさんべん
①〇〇〇⑤ ①〇〇〇〇〇⑦ ①〇〇〇⑤
五拍で読むので一音一音が早くなります。この速さに乗った「牡丹散りて」に、読者は今まさにはらりと散った牡丹の花びらの幻影を見ます。
かみにませば まことうるわし なちのたき
①〇〇〇⑤ ①〇〇〇〇〇⑦ ①〇〇〇⑤
句の出だしが他の部分より速度が速まって句に勢いがつきます。
逆に「まこと美はし那智の滝」の部分は言葉がゆったりと流れるような感じがします。
急転直下、断崖を落ちてきた滝の水が滝壺にゆるやかにたゆたう景が見えてきます。
このように上五の「字余り」(六文字・六音)は定型通りの句にはない、切迫感やスピードを産み、その後の中七・下五を緩徐とする効果があります。
よ・うつり あしのなかすは もとのまま
①〇〇〇⑤ ①〇〇〇〇〇⑦ ①〇〇〇⑤
「よ」のあとに音のない一拍が入ります。「よぉ」と捉えてもいいでしょう。
他にも「手ついて」(てぇ)、「戸あけて」(とぉ)「日さして」(ひぃ)などがあります。「火(ひぃ)」「湯(ゆぅ)」なども同じです。
これは大和言葉の母音の名残でもあります。大和言葉の古い発声法が俳句の語法に残っています。
作句にあたっては、「五拍」を念頭に置きつつ、それにが一句に及ぼす効果を考慮しながら推敲されるのが良いかと思います。
〈暗唱句〉
生活・行事〈祭-三夏〉
神田川祭の中を流れけり 久保田万太郎 (☆)
男らの汚れるまへの祭足袋 飯島晴子
左右より化粧直され祭稚児 森田 峠
動物〈蝸牛-三夏〉
かたつぶり角ふりわけよ須磨明石 芭 蕉
かたつむりつるめば肉の食ひ入るや 永田耕衣 (☆)
かたつむり甲斐も信濃も雨のなか 飯田龍太
蝸牛をつまむ微(かす)かに抗ふを 山田みづえ
でで虫の繰り出す肉に後れをとる 飯島晴子
植物〈睡蓮-晩夏〉
・睡蓮のすき間の水に雨の文 富安風生
・睡蓮の開花の刻の水しなふ きくちつねこ
・睡蓮をもたげし水のうねりかな 鷲谷七菜子 (☆)
・睡蓮の睡りそめたる水ゑくぼ 松本澄江
これで重要季語104、例句301です。
角川大歳時記・夏の動物の項を終えます。
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